ザ・コーヴ(ルイ・シホヨス)

 これは、ドキュメンタリーではない。
 すでにこの映画については、さまざまな事実やデータの誤り、意図的で過剰な演出、露骨なプロパガンダ性など、内容面でいろいろなことが言われてきた。だが、ここで指摘したいのは、内容以前に、手法においてドキュメンタリーではないということだ。

 まず目立つのは、ワンショット、ワンショットが、短くぶつ切れにされ過ぎていることだ。制作側は、おそらくテンポを良くし、観客を飽きさせないための工夫だと言うだろう。だが、マイケル・ムーアじゃあるまいし(笑)、ドキュメンタリーでテンポを考えてどうするのか。

 編集なしの「ダダ漏れ」で見せてくれ、とまでは言わないが、事実を事実として広く伝えていくためなら、それなりの手法が必要なはずだ。次から次へと切り換えの早い画面は、何が事実なのかも判別できないうちに、作品をスピード豊かに進行させていく。そのことが、「判別させたくないのではないか」「何かを隠したいのではないか」と勘ぐらせてしまう(例えば、TVのニュース番組でも取上げられていたが、子供イルカが殺されるさまを見て女性が泣くシーン)。

 思わず「ムーア」と口走ってしまったが、そう、全編音楽が鳴りっぱなしのところも含めて、ムーア作品に似ているのだ。だが、ムーアならわかる。最初から笑いとエンタメが目指され、本人も民主党のイデオローグたることを隠さない彼の映画を、「ドキュメンタリーではない」とか「政治的に中立でない」と目くじらを立てても仕方がないからだ。だが、「笑い」抜きのムーアのようなこの『ザ・コーヴ』は、プロパガンダではなくドキュメンタリーの顔をしているぶん始末が悪い(ニュートラルな映像などないという、いわずもがなの次元の話をしているのではない)。

 サーフボードに乗って抗議活動をし、漁師たちに排除されて泣かされていたあの金髪少女たちが、実はシー・シェパード(以下「SS」)の支援活動家として名高い有名ハリウッド女優であるという事実を筆頭に、作中インタビューを受けている出演者が、ほぼSS関係者であることは、すでに前田有一氏のレビューhttp://movie.maeda-y.com/movie/01477.htm などで指摘されている。

 さらに、前田によれば、そもそも日本のイルカ漁の大半は岩手県沿岸で、作品の舞台であるここ和歌山県太地町では、ほんの10%にすぎないという。にもかかわらず、SSが執拗に太地をターゲットとするのは、代表ポール・ワトソンの妻アリソンが、2003年11月に太地町で破壊活動(漁師の網を切り裂き、イルカ十五頭を逃がした)を行なった際、地元警察に拘留された、そのときの「私怨」ではないかというのだ。その他、何も排外主義やナショナリズムによらずとも、この映画の「うさんくささ」はそこかしこに指摘できよう。

 だが、一方で、映画が最も批判するイルカの追い込み漁を、「伝統的な食文化だ」という理屈で守ろうとする主張にも、全面的には承服しがたいものがある。そもそも、太地町で組織的にイルカの追い込み漁が始められたのは、せいぜい40年前のことであり、現地の学校給食のメニューに取り入れられていたのも、2006年から2009年までのことだという。それを「伝統的」というのは、いささか強弁に過ぎないか。

 映画にも取り上げられながら、しかし他の点と異なり事実誤認との反論が聞かれないのは、太地でイルカが獲られているのは、端的に世界中の水族館や博物館、あるいはイルカショーなどのレジャー用として、高値(映画では、一頭最大15万ドルとされている)で売れるからにほかならないということだ。「伝統的な食文化」ではなく、あくまで資本主義的な利益が追求されているにすぎない。いや、より正確にいえば、太地のイルカ漁には、「資本主義的」な「伝統」があるというべきか。

 というのも、ここでは近世の昔から、もともと捕鯨が行われていた。その様子は、例えば中沢新一のエッセイ「すばらしい日本捕鯨」(『純粋な自然の贈与の所収』)に活写されている。

 それによれば、日本の捕鯨は、海を、それまでの略奪や戦争の領域から、平和と生産の空間へと塗り替えようとした、豊臣氏の「海賊停止令」(むろん刀狩令と並行している)の発布に端を発する。以降、それまで海賊が駆使してきた技術が、海の「狩猟」たる捕鯨へと転用されていったのだ。

 「その思考の飛躍は、熊野の太地でおこった。せっかく発達したまま、無用のものとなりつつあった海の戦争の技術は、捕鯨の技として、新しく生まれ変わったのだ。まず、慶長十一(一六〇六)年に、太地の和田頼元によって、手投げの銛を使った鯨取りの技法があみだされた。和田頼元は、もともと鎌倉幕府につながる武士の家の出身だったが、近世のはじめにおこった兵農分離のさいに、海の農民である漁師となることを決意して、太地の村中に住みはじめたという、とても自立心にとんだ人物だった。彼は、この海民の村に蓄積されてきた海戦の技術を利用して、沖合を行く鯨を捕獲するための方法を考えだしたのだ。
 彼のあみだした方法は、海戦の技術を直接的に、捕鯨に転用したものだった。船足の速い幾艘もの勢子船に、銛を手にした「羽刺」をのせ、陣形を整えながら、鯨を包囲して、銛で捕獲するという方法だ。これを実現するために、頼元は、太地の村全体を、一種の戦争機械として組織することに成功したのである。」

 また、太地の海の「戦争機械」は、陸地に上がれば、今度は引き上げた鯨を解体・商品化していく、組織的なマニュファクチュアを村全体に形成した。重要なのは、中沢風にいえば、「荒れ狂うピュシスの力」を、「国利民福」のために、人間の世界に移行させ手なずけていった、その闘争の果てに「捕鯨資本論がはじまる」ということだ。「浜で待っている女や子供たちが待ち望んでいるような、暮らしに豊かさと安定をもたらす富」の「最深部」に、「戦争や狩猟や神聖な儀式におけるたたかい」が厳然と存在すること――。

 例によって、中沢は、そのピュシスから富を生成させ、それを「自然」からの「贈与」として受け取る彼らの営みを、近代以降は滅びてしまった「すばらしい日本捕鯨」の「繊細な技術」として美化する。だが、それが豊臣政権下に起こっていることからも明らかだが、要は捕鯨とは、海上における暴力・権力的な「原始的蓄積」にほかならない。

 太地のイルカ追い込み漁とは、いったん衰退した捕鯨が、イルカが愛玩の対象として世界商品化することで「リニューアル」されたものではないか。現在から振り返ったときに、それは「伝統的」な行為として「再発見」されるのだ。だが、その「伝統」とは、「食文化」のそれではなく、食べる以上に捕らえた鯨を商品化・流通させることで富を生産した、「捕鯨資本論」の「伝統」にほかならない。

 すると、太地町の猟師とSSとの「ザ・コーヴ」(入り江)をめぐる闘争は、さしずめ海賊対海賊、「戦争機械」対「戦争機械」の戦いということか。そう思ってみると、なかなか興味深い映画かもしれない。

中島一夫