探究?(柄谷行人)

 本当は、モライヨーリの『湖のほとりで』に触れようと思っていたのだが、あまりに凡作だったので書く気が起こらない。イタリアのアカデミーと言われるダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞で史上最多の十部門受賞、さらに監督は、あのナンニ・モレッティの弟子だというから、かなり期待していたのだが…。

 そこで急遽、別の話を。先日、ある機会があり、久々に『探究?』を読み直した。

探究(1) (講談社学術文庫)

探究(1) (講談社学術文庫)

 中高の教員の参加者が多かったこともあり、話は自然とそこで論じられる「教える―学ぶ」という関係をめぐって終始したのだが、結局「当初(刊行は1986年だ)、これを読んだときは衝撃的だったけど、今やこれが当たり前だからなあ」という感慨で何となく一致をみた。例えば、冒頭近くの次のような一節。

 「……「教える―学ぶ」という関係を、権力関係と混同してはならない。実際、われわれが命令するためには、そのことが教えられていなければならない。われわれは赤ん坊に対して支配者であるよりも、その奴隷である。つまり、「教える」立場は、ふつうそう考えられているのとは逆に、けっして優位にあるのではない。むしろ、それは逆に、「学ぶ」側の合意を必要とし、その恣意に従属せざるをえない弱い立場だというべきである」。

 読み進めていくと、この「教える―学ぶ」関係は、やがて「売る―買う」関係に重ね合わせられていき、ヴィトゲンシュタインマルクスへと変奏されていく。その手並は、何度読んでも鮮やかでスリリングだ。だが、生徒や学生という「学ぶ」立場が、消費者という「買う」立場として主体化し、一方「教える」立場が、サービスを「売る」立場として彼らの「合意」を必要とする「奴隷」と成り果てていることなど、今や教育現場では常識に属することだろう。

 もちろん、そうした学生のニーズに応えるといった「学生消費者主義」(リースマン)は、学生を「買う」立場のままゆるやかに囲い込んでおく管理の形態にすぎず、就職活動を始めるやいなや、彼らは突然自らの労働力を「売る」立場に立たされ、それまでの「買う」立場が、とりあえずの虚偽のものだったことに気付かされるわけだが。

 引用中の、「命令」が成り立つためには、それが前もって「教えられていなければならない」という言葉なども、今となっては滑稽にすら聞こえる。本来、「学ぶ」立場の「合意」など必要としないからこそ「命令」なのだから。考えてみれば、「教える」立場の権威が危うくなり、「命令」が不可能にならないとこのような言葉は出てこない。いかに『探究』が、そうした社会における権威失墜と、それに伴う「規律・訓練」型権力から「監視・管理」型権力への移行を背景としていたかが、今から振り返るとよくわかる。確か、ドゥルーズだったと思うが、「教育には二種類ある、俺の真似をしてみろ、というものと、俺と一緒にやろう、というものだ」と。今日の状況は、もはや前者は成り立たないということなのだ。

 このことに、最も敏感だったのは、やはり東浩紀だろう。東は、「教える―学ぶ」関係について、こう述べている。「彼らポストモダニストはそれを「理論的」な問題だと思っていたようだけど、いまは僕は、あの流行は、一九八〇年代、社会が急速に多層化し不透明化したためにあちこちでコミュニケーションがうまくいかなくなり、その感覚を表現するために出てきた「理論」だったのだと思います」(『波状言論S改』)。

 もはや東には、柄谷のいう「教える」「売る」立場の危機(クリティック)に立つことが、批評的(クリティカル)な行為には見えなかった。浅田彰のいう「投瓶通信」――テクストをまじめに書いたら、あとは海に流すしかない(読者に届くかどうかは分からない)――に居直れないというのも同じ理由による。「投瓶通信」とは、柄谷のいう「教える―学ぶ」「売る―買う」関係にある「非対称性」の言い換えにほかならないからだ。

 東にとって、すでに情勢的に「学ぶ」「買う」立場に主導権が移ってしまっているのは自明であった。そうである以上、いくら原理的に「教える」「売る」立場の危機を訴えていても、それは荒野の怒号とかわらなかった。「教える」「売る」という弱い奴隷の「立場」に居直ることは、批評の敗北を意味した。だからこそ、「学ぶ」「買う」立場にあるものたち(オタク?)の「合意」を取りつけようとマーケットを掘り起こしていったのである。

 だが、見てきたように、すでに『探究?』には、東が見ただろう情勢の変化が語られていたのだとしたら、東は、柄谷や『探究』から遠く離れていったのではないということになろう。むしろ、彼は、『探究』の認識を最も忠実に実践(パフォーマンス)に移したプレイヤーだったというべきなのだ。

中島一夫