ポー川のひかり(エルマンノ・オルミ)

 カンヌのグランプリに輝いた、あの『木靴の樹』(1978)のオルミの新作。長篇劇映画としては、これがラストだという。

 イタリア、ボローニャ大学図書館で、大量の古文書が、床から机から至るところに張り付けのごとく釘で打ちつけられるという怪事件が勃発、その後忽然と姿を消した若き哲学教授が容疑者として浮かび上がる。彼は、将来を約束されながらも、わずかな現金とカードのほかは何もかも捨て去って、ポー川のほとりの廃屋に住みつき周辺住民との交流を始める。やがて、河川工事のため立ち退きを迫られる住民たちは、彼を指導者と見なすようになる。一同は抵抗を試みるも嘆願は受け入れられない。いつしかその風貌から「キリストさん」と呼ばれるようになった彼は、全財産の入ったカードを住民たちに託していく――。

 物語としては、典型的な「マレビト」もの、現代版のキリスト寓話だが、何よりその知識人観がリアリティに乏しい。古文書を唯一の友人として愛してやまない伝統的知識人たる老教授に対して、その書斎派的な知に「書を捨て街に出よ」とばかりに反逆する聖職者的知識人たる若き教授という対立は、いかにも平板で分かりやす過ぎないか(ましてや、大学の職を辞すことによって「聖人=キリスト」になるというのでは、もはやファンタジーだ)。

 むしろ、いかに知識人は存在し得るのかというのが今日的な問いであり、伝統的知識人はもちろん、サルトル以降、聖職者的知識人すらもはやリアリティがないというのが正直なところだろう。たとえ、年越し派遣村村長の湯浅誠氏や、プレカリアートの女神たる雨宮処凛氏が、一瞬「キリストさん」に見えることがあったとしても。

 だから、観客の反応が総じて淡白だったのは仕方がないだろう。特に、かつて『木靴の樹』に魅せられた人は、裏切られるかもしれない(実際、妻はそのようだった)。

 それでも感動を覚えてしまったのは、何より、オルミが最後の劇映画のロケ地に、ほかならぬポー川を選んだことだ。ポー川といえば、あのアントニオーニが、ポー川流域の貧民達の暮らしを描いた『ポー川の人々』(1942)以来、イタリア・ネオレアリズモの重要なトポスとしてあった。ロッセリーニの『戦火のかなた』の助監督を務めていたフェリーニが、ポー川をくだりながら「私はイタリアを発見した!」とつぶやいたのは有名だろう。

 今作を最後に、今後はドキュメンタリーを撮っていきたいと公言するオルミが、その言葉とともにポー川に回帰したということは、したがって、自らをネオリアリズモの直系へと位置付ける行為であり、その精神を継承していくという宣言でもあろう。ちなみに、今作のカメラはオルミの息子のファビオが、制作総指揮は娘のエリザベッタがそれぞれ担当しており、ここでは文字通り親から子への「継承」が行われている。ボートを流れへと出し、そこからの視点でカメラが回るエンドロールの風景画は、まるでストローブ=ユイレを思わせる。「これからは、ひたすら画を撮るのだ」というオルミの意志を雄弁に語っているかのようで、この上なく美しいラスト、いや船出である。

中島一夫