サブウェイ123 激突(トニー・スコット)

 はじめからヘリコプターで運べばいいものの、一分一秒を争う人質救済のための1000万ドルを、わざわざバイクと現金輸送車を爆走させて運ぼうというのだから、交差点での激突や転倒は避けられるはずもない。案の定、派手に事故ってしまい、とても時間までに運べないことを告げると、地下鉄車両をハイジャックした犯人のジョン・トラボルタは「お前自身がトロッコで運んで来い!」。そこで、単なる地下鉄職員でしかない、やや中年太りのデンゼル・ワシントンが、線路の上をトロッコでひた走る――。

 そんな荒唐無稽でややお約束めいた展開も、そこはあいかわらずのスコット節、目まぐるしく切り替わる画面と激しいノイズにあおられ、スリルとスピード感で片時たりとも飽きさせることはない。無機質に閉ざされたハイテク空間(地下鉄の運行指令室)と、外部の宙吊り空間(高架線やブルックリン・ブリッジ)という空間設定もおなじみのものだ。さらに遠隔通信も加わるのだから、トニー・スコット作品の必携アイテムは、ここにすっかり出揃ったといってよい。それらについては、蓮實重彦の「映画時評」(「群像」10月号)に詳しいのでそちらに譲るとして、ここでは今作で見出された、新たな『エネミー・オブ・アメリカアメリカの敵)』について触れよう。

 言うまでもなく、その「敵」とは「金融」である。本作は、ジョゼフ・サージェント監督の『サブウェイパニック』(1974)のリメイクだが、それが前年の石油ショックによる「パニック」を、気分として色濃く反映させた作品であることを、スコットが意識していなかったはずはない。したがって、この『サブウェイ123 激突』は、単なるリメイク作品ではなく、明らかにその事態を踏まえた、リーマンショック後の「パニック」映画になっているのだ。

 ハイジャック犯のトラボルタは、かつて証券会社の社長だった男であり、今回のハイジャックには、彼を十年間監獄へと送り込んだニューヨーク市長に対する私怨が隠されている。彼にとって、人質と交換の1000万ドルが重要なのではない。本当の狙いは、ハイジャックによって株式市場を混乱に陥れ、その反動から金相場を高騰させることで、莫大な儲けを得ることにあった。

 そんなトラボルタは、遠隔通信でデンゼルと要求のやり取りを交わしているうちに、彼もまた組織や社会に不満を抱いている――日本からの賄ろを受け取った疑いで降格させられている――人間であることを知り、シンパシーを抱くようになる。他人を蹴落とし金儲けばかり企んできたトラボルタは、自身認めるように「孤独」な男なのだ。ハイジャックした運転室を「まるで告解室のようだ」と言う彼は、デンゼル相手に「内面」の「告白」すら見せるだろう。おそらく、日常的に横の関係を結べない孤独なトラボルタは、この瞬間、デンゼルをまるで超越的な神のごとく見なしてしまっているのだ(だからこそ、ラストでほかならぬデンゼルに殺されることを望む)。あるいは、またトラボルタは、自分を裏切らないデンゼルこそ「俺の代表者だ」と見なし、したがって、交渉相手も、彼を代表していない(つながっていない)市長ではなく、デンゼルを指名していくことになる。

 だが、トラボルタの「孤独」は、単に個人的なものではない。それは、もはや歴史的なものだというべきだろう。投機家の彼は、他を欺き続けた結果、孤独を味わってきた。と同時に、その孤独は、現在の金融資本の「孤独」でもある。リーマンショックサブプライムローン問題とは、16世紀に誕生した資本主義が、誕生当初から「国家」と、さらに1789年のフランス革命後はそれに「国民」も加わって三位一体、手を携えて発展してきたものの、ついに「資本」が「国家」や「国民」と絶縁し、それらの利益ではなく己の利益のみを、なりふり構わず追求するものになり果てたことを、決定的に露呈させた出来事だった。「資本」は、己の存続のために「孤独」を選び、「国民」(市民)を見捨てたのだ。だからこそ、かのニューヨーク市長は、トラボルタ=金融資本を「エネミー」(敵)として名指すことで、市民社会を守るポーズをし(友愛!)、彼曰く「打率」(支持率)を上げることに成功したのである。

 地下(鉄)でキレて暴れまくるトラボルタの狂乱は、市民社会にとって目に見えない「リスク」という「エネミー」そのものだ。もはやパッケージ化された金融商品は、どこにリスクが潜んでいるかすら分からない。地下鉄車両は金融商品の、たまたま切り離されハイジャックされた一両目はリスクの比喩ともとれよう。

 だが、この監督が、リスクを排除して事足れりとするような、保守的な市民主義者に収まらないことは、市長を、ことのほか俗物に描いていること一つとっても明らかである。トラボルタと市長との間で、その双方からシンパシーを抱かれてしまい、今作では一貫して表情の冴えないデンゼル・ワシントンの曖昧さを、おそらくトニー・スコット自身も共有しているのではなかろうか。

 それにしても、何の符合だろうか、今日のニューヨーク市場金相場は、史上最高値をつけた。

中島一夫