被害者メンタリティーについて

 「自分こそ被害者」という「被害者メンタリティー」が蔓延している。コミュニケ―ション社会においては、誰もが明確な「位置」を取り得ない。そこでは、人は常に「買い手」に立とうとする欲動に突き動かされている。「被害者」の位置に立つことは、いわば常に有利に立つ「貨幣」所有者になることなのだ。彼らは「被害者」なので、「正義」を振りかざすことに躊躇がない。

 かつて、詩人石原吉郎は、被害者は「集団としての存在」でしかないと言った。そこには「自立することのないものの連帯」しかなく、たとえ彼は一人でいたとしても、集団的な存在だ、と。そして「集団であるゆえに、被害者は潜在的に攻撃的であり、加害的であるだろう」と(「ペシミストの勇気について」)。すなわち、被害者は加害者でもあるのだ。石原が見つめたのは、この「加害と被害の同在」である。

 したがって、石原は、戦後旧ソ連ラーゲリに収容されていた「被害者」でありながら、「告発せず」の姿勢を貫いた。以前、論じたことなので繰り返さないが、これは「自虐(史観)」とはまったく異質の姿勢だ。そのことが、吉本隆明鮎川信夫にはついに理解できなかった。またソルジェニーツィンなどとも決定的に違う点である。

 ソルジェニーツィンが、いかに金銭に汚かったかは、例えば内村剛介が、その『ロングインタビュー』で暴露している。ソルジェニーツィンは、スターリン体制の「被害者」としてノーベル賞を受け、その後もそれを売りに、反スタ産業で自らの価値を釣り上げていった、と。

 一方、石原は決して「被害者」になろうとしなかった。被害者面した反スタが、結局は「攻撃的」で「加害的」なスターリン主義者でしかないことを、ラーゲリで嫌というほど味わったからである。

 石原は、「私は告発しない。ただ自分の「位置」に立つ」と言った。石原は「政治というものに対する徹底的な不信」からそうしたと述べているが、だからといって、間違っても彼の姿勢を「非政治的」と受け取ってはならない。石原自身、「政治には非常に関心がありますけれど、それははっきりした反政治的な姿勢からです」(「沈黙するための言葉」)と明言している。

 スターリン批判の年(1956年)に、言わばそれと引き換えに帰国を許された石原は、スターリン体制の「被害者」たちが、一斉に「告発」する反スタの「政治」が、今後世界中に広がっていくことを、その渦中で感受していたのだろう。そして、その「被害者」たちによる「正義」の「政治」が、政治の基盤そのものを掘り崩していくだろうことも。「正義論」(ロールズ)的なPC全盛の現在が、この石原が見た光景の帰結であることは言うまでもない。

 したがって、石原の「告発せず」は、「反政治的」どころか、その中でなお政治的であるにはどうしたらいいかを問おうとしたものだと言わねばならない。かつて大西巨人は、「「反スターリン」主義」と、「反「スターリン主義」」とは違うと言ったが、まさに石原は、前者の反スタの被害者どもの正義が、結局はスターリン主義に陥ることを喝破し、あくまで前者に「反」する、本質的な意味での「反「スターリン主義」たろうとしたのである。前者の「「反スターリン」主義」ほど、スターリン(主義)に依存したものもないからである。

 重要なのは、この「位置」に立つことで、はじめて石原が「詩」を手にしたことだ。

〈みずからに禁じた一行〉とは、告発の一行である。その一行を切りおとすことによって、私は詩の一行を獲得した。その一行を切りおとすことによって、私の詩はつねに断定に終わることになった。いわば告発の一歩手前へふみとどまることによって、断定を獲得したのである。(「1963年以後のノートから」)

 ドゥルーズは、コミュニケーションと創造とは違うと言った。前者は今日、あまりにも金銭にまみれている、と。冒頭で見たように、コミュニケーション(社会)においては、誰もが貨幣所有者に駆り立てられるからだ。まさに石原の「告発せず」は、コミュニケーションを「切りおとすことによって」、創造の「位置」に立とうとしたものだった。そのときはじめて、石原は、詩=創造を獲得したのである。

中島一夫