江藤淳と大江健三郎 戦後日本の政治と文学(小谷野敦) その1

 上記の書評が、「週刊読書人」4月24日号に掲載されています。

 以下、本書の内容とはまた別につらつら考えたことを。
 本書を読んでいて強く思ったのは、「非現実的」で「感情論的」な「反米右翼」と化していくという、本書が描く江藤淳の末路は、やはり江藤が平野謙を批判したときに、すでに決まっていたのではないかということだ。

 江藤は「青春の荒廃について」(1962)で、平野の「青春」の根幹をなすプロレタリア文学運動を批判した。中村光夫にならって、プロレタリア文学運動に、「青年たちの心を根こそぎにしていったひとつの強力なロマン主義の運動」を見出したわけだ。

 江藤に言わせれば、だとしたらそこからの「転向」は、「敗北して青春の影から覚め」て「成熟」していくきっかけとなるべき出来事だった。にもかかわらず、平野(のみならず昭和文学者の大部分)は、どうしていつまでも「荒廃」した「青春」と戯れ、「成熟」を「放棄」しようとしているのか。平野が、小林秀雄の「私小説論」に見出す「可能性としての人民戦線」なども、その「青春」という「一種の偏光プリズムつきのフィルター」を通して見た「虚像」にすぎない、と。

 だが、この江藤の平野批判は、正しかったがゆえに間違っていたと言わねばならない。平野の言う「青春=人民戦線」が不可能なフィクションでしかなかった(すが秀実「フィクションとしての人民戦線」参照)としたら、江藤の言う「成熟」もフィクションにフィクションを重ねることでしかなく、結局は不可能だったからだ。『成熟と喪失』とは、何より「成熟」自体の「喪失」のことである。

 むろん、そうした「成熟」の「喪失」は、江藤(あるいは平野)個人の問題ではなく、この国の文化全体を覆っているといってよい。「成熟」を放棄し、幼稚化と動物化に覆われたこの国において、サブカルチャーの領域がもはや「サブ」ともいえぬものになっている。江藤の批評が、意外にも「サブカル」と親和的なのも頷けよう(大塚英志サブカルチャー文学論』参照)。

 江藤が、「成熟」でもって平野の「青春」を乗り越えようとしたとき理解していなかったのは、実はあのとき「平野謙は「散文芸術」という文学の理念を逆説的にではあれ敗北の一歩手前にまで追い込んでいた」(すが前掲論)ということではなかったか。いわば、江藤の「成熟」とは、平野が罠のように仕掛けておいた「敗北」の方向へと、まんまと突き進んでいくようなものだったのだ(小谷野も指摘する、平野の「悪行」のひとつをここにも認めてよいかもしれない)。

しかし、やはり統一的な視点としては、プロレタリア文学運動の挫折とそれにつづく人民戦線的な萌芽とを挙ぐべきではないか。共産党プロレタリア文学との関係が純文学と私小説との関係にほぼひとしいというアナロジーは、この時期において、アナロジーというよりむしろ同心円的なものとなってくる。(平野謙私小説共産党」)

 平野の「青春」が「フィクション=わな」であることが、より一層明瞭になるのが、この「私小説共産党」(『文学・昭和十年前後』)だろう。ここで平野は、「プロレタリア文学共産党との関係は私小説と純文学との関係にほぼひとしい」と言う。平野の批評において、最初は、単なるアナロジーとして語られていた「共産党」と「私小説」は、人民戦線の「萌芽」を媒介として、やがて「同心円」を形成していくことになるのだ。
 
 すなわち、両者はともに「世俗的なものをきびしく排除する」「純粋性のシンボルになり得た」のだ、と平野は言う。ここで平野がやろうとしたのは、「政治と文学」という二項対立を、「共産党=純文学」あるいは「プロレタリア文学私小説」とすることで乗り越えようとすることだった。

(続く)