期せずして問題化される「帝国」

週刊読書人」9月5日号「論潮」に、上記今月の論壇時評が掲載されています。

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 若干補足しておく。

 「論潮」に述べたように、柄谷行人は、新刊『帝国の構造』において、ソ連やユーゴは解体してしまったのに、なぜ中国は崩壊しなかったのかと問い、その理由を、毛沢東の革命が清朝の政策を継承し、「易姓革命」の伝統にも則っていたために、「たんにマルクス主義にもとづくのでない」「正統性」があったからだと論じている。したがって、毛の革命が遺産となって、「帝国」が分解されずに残ったのだ、と。

 だが、これは、あまりにも中ソ論争の影響を軽視した捉え方だろう。毛沢東の「正統性」は、何よりソ連社会主義国の覇権を争った、中ソ論争の過程で見出されていったものだと思われるからだ。この過程で、今回柄谷も注目した「第三世界」に対しても、中国は盟主の地位を獲得していくのである。

 一方ソ連は、中ソ論争において、一貫してアメリカと生産力を競おうとする「生産力理論」のもとに、「平和共存」路線をとった。このソ連のスタンスが、中国その他の社会主義陣営には、資本主義の受容とそれに対する武装解除にしか映らず、これ以降ソ連は、急速にマルクス主義の「正統性」を失っていくのである。

 また、中ソ論争の影響を見ないことは、スターリンの「転向」を見ないことでもある。柄谷の新刊では、はじめからスターリンは、「大ロシア民族主義」や「大ロシア排外主義」の悪でしかないが、もともとスターリンは、ヨーロッパのマルクス主義が、いかにアジアやアフリカの諸民族を排除しているかを批判していたのではなかったか。


ヨーロッパの完全な権利のない民族を解放するためにたたかう必要はあるにしても、「文明」を「維持するために「必要な」植民地の解放をまじめに論じるのは、「お上品な社会主義者にとって」まったく不似合いなことだと暗黙のうちに考えられていたのである。これらの社会主義者たち――といってははばかりがあるが――は、ヨーロッパにおける民族的圧迫の廃止は、帝国主義の圧迫からアジアとアフリカの植民地諸民族を解放しないで考えられないこと、前者が有機的に後者と結びついていることは考えてもみなかった。(「民族問題の提起によせて」一九二一年)


 この「お上品な社会主義者」とは、少数民族を捨象するヨーロッパのマルクス主義者たち、とりわけそうした民族を「民族のくず」と呼んだエンゲルスに向けられている。それまで「お上品な」マルクス主義が経験したこともない、「ユーラシア」を視野に入れて思考せねばならなかったスターリンにとって、ヨーロッパの正統マルクス主義を逸脱してでも、先のように言う必要があったのだ。この正統との対立・論争が、スターリンの「正統性」を確立していくのである。

 そのとき重要になってきたのが、今回柄谷も重視している、ヨーロッパにおいて少数民族の問題を考えねばならなかった、オーストリア=ハンガリー帝国マルクス主義者、オットー・バウアーであった。重要なのは、1920年代までのスターリンが、このバウアーを批判したカウツキーをさらに批判し、むしろバウアーの立場で民族と言語の問題をとらえていたことだ。


社会主義の時代には全人類的な言語が創出されて、その他のすべての言語は死滅するだろう、と論じるものがいる(たとえばカウツキーのように)。私は、すべてを包括する単一の言語が生れるという、この理論をあまり信じない。経験は、いずれにせよ、このような理論に有利なことをかたらずに、不利なことをかたっている。今日までの事態の動きを見れば、社会主義革命は言語の数を減少させずに増加させている。なぜなら、社会主義革命は、人類の底の底までゆりうごかし、彼らを政治の舞台におしだすことによって、いままで知られなかったか、あまり知られていなかったいくたの新しい民族を、新しい生活へとめざめさせているからである。(「東方勤労者共産主義大学」創立四周年記念講演、1925年)


 柄谷は、スターリンが「バウアーとカウツキーの論争を下敷きにし」ながらも、両者の対立・論争の根底に「帝国という問題があった」ことを無視して、「民族」を定義しているかのように論じている。これでは、ヨーロッパ帝国主義に抵抗するためにユーラシアで「帝国」を思考していた1920年代のスターリン(これは現在のプーチンの両義性ともつながる)と、すっかり「転向」した1950年代のスターリンとの区別がつかなくなるだろう。もちろん、このスターリンの変質が、両大戦間から冷戦へと移行していく段階で、ソ連自体が変容を余儀なくされていく過程とパラレルだったことは言うまでもない。

 そして、最初に述べたように、その変容を批判し、ソ連と対立・論争したのが中国・毛沢東だったのだ。マルクス主義の歴史とは、常にその「正統性」をめぐる対立と論争の歴史だったはずであり、毛沢東を、中ソ論争をオミットして「帝国」の伝統からのみとらえることは、「たんにマルクス主義にもとづくのでない」の「たんに」を取ることにもなりかねない。

(中島一夫