蓮實重彦『ボヴァリー夫人』論

「ボヴァリー夫人」論 (単行本)

「ボヴァリー夫人」論 (単行本)


上記の書評「小説という現実を生きる」が、「共同通信」の配信で、今後各地の新聞読書欄に掲載される予定です。

ーーーーーーー

 記事の補足をしておく。
 確か、浅田彰の言葉だったと思うが、「貧乏人は蓮實の真似をするな」というのがあった。「貧乏」というのは、階級でもあり教養でもあり、感性でも世界性でもあるのだろうが、妙に腑に落ちた言葉だった。

 今回の大著にしても、キー概念にして戦略でもある「フィクションの「テクスト的な現実」」を、「貧乏人」が真に受けて、ひたすらテクストだけを読めばいいのだとやってしまったら、それはますます知的に「貧」しい実践にしかならないだろう。

 「テクスト的な現実」とは、そのような崇拝的なテクスト主義とはほど遠く、英米系のフィクション論や、いわゆるテクスト論的な物語の構造分析、さらにはブランショなどの反表象の美学など、あるスタンスやポジションから繰り出される『ボヴァリー夫人』をめぐる研究や批評が、いかにテクストそのものをきちんと読もうとしていないかを問題化するための戦略的概念なのだ。

 著者は、あくまでヨーロッパ、いや世界の知の総体に向けて本書を書いている。800頁超の厚みと重さには、まずもって著者が相手にしているものの巨大さが感じ取れよう。改めて、とても真似できるものではないと痛感した。

 これは書評にも書いたが、それなりに著者の批評を読んできた者にとって、今回何より驚いたのは、その内容もさることながら、本書が完成して「しまった」こと自体だった。20年前の金井美恵子によるインタビューでは、著者はこう述べていたからだ。

「僕は「ボヴァリー夫人論」を完成させたくないのです」、「何かこれを完成させてしまうと、自分の批評はおしまいになりはしないかというような危惧がある」、「ですからあれをまとめないのは、批評家蓮實というものが持っている、ことによったら最後の前衛性ではなかろうかというふうに考えているのです」。(「蓮實重彦論のために」『魂の唯物論的な擁護のために』所収)。

 一九六八年以来、全集別巻や大学紀要など、さまざまな媒体で断続的に書き続けられた著者による「ボヴァリー夫人論」は、いわばその、終わりなき拡散ぶりに真骨頂があった。重要なのは、それが『ボヴァリー夫人』のテクストにふさわしいものとして選択されたあり方だったことだ。

 著者は、先のインタビューで、『ボヴァリー夫人』の最大の欠点は、それが「終わっていること」だだと語っている。また、薬剤師の「オメー」が「最近レジオン・ドヌール勲章をもらった」という末尾の一文は、「文学的な価値からすると」「いちばん駄目な部分だと思っている」とも。逆にいえば、テクストを豊かに読むためには、「批評も中間にとどまるべきで、はじまりと終わりを否定する記号の表情の変化推移というものだけに身をさらしているべきではないか」というわけだ(王寺賢太が、『文學界』7月号で、この「中間地帯」をめぐる美しい書評を書いている)。

 この、自らの「ボヴァリー夫人論」の拡散状態への放置が、今回強調される、シャルルの「気化=拡散」という視点へとつながっていることは言うまでもない。ロドルフやレオン、さらにはエンマまでも含めた「所有の欲望」の物語から、『ボヴァリー夫人』のテクストを解放すること。それが、シャルルにウェイトを置いた「気化」の物語として『ボヴァリー夫人』を読むという戦略の意味するところであり、今まで書き「散らしてきた」自らの「ボヴァリー夫人論」に対する「所有の欲望」を、身をもって禁じてきたゆえんではなかったか。すなわち、自らのテクストを拡散、放置させること自体が、『ボヴァリー夫人』の「テクスト的な現実」に真摯に向き合うことだったのであり、このとき「前衛性」とは、まずもってこの「所有の欲望」の批判を意味していたはずである。

 では、著者は、今回大著をまとめることで、「批評家蓮實」の「最後の前衛性」を放棄したのか。そのように捉えることもできよう。だが、いずれにしても、それは勝利の確信と引き換えだったはずだ。すなわち、1857年の刊行以来、誰ひとり指摘しなかったという事実――『ボヴァリー夫人』のテクストに「エンマ・ボヴァリー」という固有名詞は一度も登場しない――の発見がそれである。

 西洋近代の知の総体を相手取っている著者にとって、この世界的な「新発見」が確かな勝算へとつながったことは想像に難くない(ただ、工藤庸子も指摘するように、十九世紀ヨーロッパ小説では、『赤と黒』の「レナール夫人」や、『谷間の百合』の「モルソフ夫人」など、「ファーストネームと嫁ぎ先の名前がセットになって出てくることは絶対にない」ので、「「エンマ・ボヴァリー」という呼称が出てこないという現象は、それ自体は異例のことではない」といえる。また、テクスト外的に捉えれば、この「姓と名の乖離や葛藤は、実は今だって女にとっては「齟齬」なんて軽い問題」ではないだろう(『文學界』8月号)。『「ボヴァリー夫人」論』においても一章割かれている「署名」の問題とも関わって、この「新発見」の意義や意味については、さらなる議論が必要だろう)。

 しかも、この発見は、著者が自らの「恩師」と言って憚らない、山田ジャクの記憶とともに、師が目にしていただろう『ボヴァリー夫人』のテクストにかつて存在していた「伏せ字」によって導かれたものだという。

わたくしがエンマ・ボヴァリーという誰もが知っている固有名詞が『ボヴァリー夫人』のテクストに「不在」であることに気づいたのは、はじめて読んだ岩波文庫版の『ボヴァリー夫人』に不可解な余白――すなわち「不在」――が存在しており、その「余白」が、どこかでわたくしに「不在」を読めとうながしていたように思えてならないからだ。その「不在」こそ、ジャク青年にとっての「伏せ字」にほかならない。その意味で、わたくしの『「ボヴァリー夫人」論』は、この長編小説の翻訳をはじめて「伏せ字」――まさしくそれは、四行分の「余白」だった――入りの書物で読んだ世代の日本人にしか書けないテクストだったはずであり、そのことをひそかに自負したい気持ちなのだ。(「姦婦と佩剣」『新潮』8月号)

 かつて著者は、これまたあるインタビューで、「自分は愛国者以外の振る舞いをしたことがない」と挑発して驚かせた。まさに今回、上のような「自負」と勝算のもと、「日本人」の「愛国者」として、世界の知との戦いに打って出たのではなかったか。

 この戦いによって、著者にはふさわしい「勲章」が与えられるのだろうか。いずれにしても、この大著による戦い方は、かつての「前衛性」とはずいぶん異質なものである。そこには、かつての拡散、放置的な、こう言ってよければ、いわばアナーキズム的な「前衛性」はもはや効かなくなっているという現状認識も、おそらくあっただろう。

 そのことは、今回主にⅡ章で論じられるように、『ボヴァリー夫人』の執筆が、第二共和制下から第二帝政期にかけてなされていながら、実際にそこで描かれる物語は、共和制下でも帝政下でもなく、あくまで王政下で展開されており、したがって「進歩主義者を気どるオメーさえ、作者自身が体験している革命やクーデタの可能性など思い描けずにいる」(河出文庫版『ボヴァリー夫人』解説)ことと無縁ではないのだろうが、これについてはまた別の機会に譲ろう。

 そういえば、「批評家蓮實」の「前衛性」は、「性交で完成されることのない」「不断の接吻」として「生き続ける」ようなものだとたとえられてもいた。今回の大著が、著者自ら危惧したように、「不断の接吻」ではなく、勝利を確信したうえでのとどめの「性交」としてあるのかどうか。

 批評と研究の間の「接吻」ならぬ「交通」が途絶えてしまったことに業を煮やすように、批評も研究もやってしまったように見える大著は、さながらその両方を傘下におさめる「帝国」の相貌をたたえてもいる。この事態こそが「前衛性」の終焉なのかもしれないが、この余りに大きな一冊を、ようやく一度通読した現在の段階では、正直まだよくわからない。

中島一夫