監獄の記憶(ネルソン・ペレイラ・ドス・サントス)

 ブラジルの映像作家、ネルソン・ペレイラの作品を、今回京都ではじめて見ることができた。

 “シネマ・ノーヴォ”運動の先駆となり、ゴダールトリュフォーに多大な影響を与えた『リオ40度』(1956年)も良かったが、ここでは『監獄の記憶』(1984年)について少し触れたい。

 「誤解だ!」――。ヴァルガス独裁政権下のブラジル。コミュニスト弾圧の嵐が吹き荒れ、強制逮捕が相次ぐなか、作家グラシリアーノ・ラモスは、ある日コミュニストと「誤解」され、そのまま政治犯として監獄に送られる。おそらく理由は、教育省の公務員として働いていたラモスが、ある軍幹部の甥っ子の「追試」要請を退けたためだ。一度フレームアップされてしまえば、彼の作品の片言隻句から、共産主義者に仕立てることなど、この政権下では朝飯前なのだ。

 188分にわたる作品は、この後、転々と監獄を移送されるラモスが、それぞれの獄中で囚人たちと触れ合っていくさまを映し出していくが、ラモス自身の作品の映画化でありながら、主人公が、決して美化、英雄化されていないところが何より良かった。

 ラモスは、逮捕、送還される段に至るまで妻に浮気を疑われ続け、家庭も「監獄だ」と感じているような男だ。最初に送られる、下層民ひしめく船倉房に、習慣からパナマ帽とスーツ姿で現れてしまう彼は、囚人たちから「警察だと思ったよ」とからかわれてしまう。

 ねぐらにゴミを投げ込まれたり、他人が見ていようとお構いなしにペニスをいじり続ける彼らの姿を目の当たりにしているうちに、ラモスは痛感する。監獄という場所は、お互いに他人の視線への関心を失わせ、気取りなどまったく通用しない世界なのだ――。

 次に移送されるのは、どうやら政治犯ばかりが100人は詰め込まれていようかという大監獄である。ここでは、新たな囚人が到着するたびに、囚人たちが総出で歓待し、歌いながら出迎える。ラモスも到着早々、著書にサインを求められるものの、コミュニストたることを否認する彼は周囲になじめず、どこか居心地が悪い(バナナ一本で相手を「ファシスト」と罵倒するようなところに、ラモスのインテリくさい子供じみたプライドの高さがうかがえる)。

 夜中に、外から入手した情報を、獄中全体に報道する「解放ラジオ」のシーンが素晴らしい。靴をマイクに見たて、テーマ音楽をハミングし、その日のニュースを代わる代わる読みあげる、にわか「キャスター」たち。番組が始まると、やおら全員が房から顔を出し、ニュースに一喜一憂し、感想を思い思いに述べ合う。時には、隣りの女性房から声のゲスト出演、監獄いっぱいに甘い歌声が響き渡り、囚人一同、束の間の安らぎを得るのだ。

 囚人たちは陽気で活気に満ちている。個人(スター)ではなく、人々の群れを活写するというエイゼンシュテイン的なスタイルが、この監督の真骨頂だ(現代映画は「民衆を現前させるのではなく、逆説的に民衆が欠けていることを示す」と言ったドゥルーズは、このネルソン・ペレイラについてはどう言うだろうか?)。

 『リオ40度』は、ブラジルのスラムを行き交う人々を徐々に絡ませながら、ラストの大団円では、カーニバルのリハでサンバを踊る群集へと彼らを結集させていく。同様に、この『監獄の記憶』でも、作家ラモスは、最初は外の家族を食わせるために短編小説などを綴っていたが、監獄を渡り歩くうちに知識人の使命に目覚め、囚人仲間を登場人物とする囚人たちの物語の執筆に、寝食を忘れて取り組むことになる。この作品においては、政治犯に仕立てられた作家=知識人の悲劇ではなく、あくまで彼の視点を通じて囚人たちが群集を形成していくさまを描く方にウェイトが置かれているのだ。

 ラモスの収監環境は、移送のたびに悪化の一途をたどる。最後にたどり着く離島の強制労働キャンプに至っては、看守長が「貴様らに権利はない。貴様らは、ここに矯正されに来たのではなく、死にに来たのだ!」と連呼し、囚人たちの抵抗する心を徹底的に挫く。

 だが、「囚人」とは、いやがおうにも、連帯と抵抗とを求めてしまう存在である――。
 体を壊し、もはやきつい労働につくことができないラモスは、「せめて…」とばかりに、看守が餓死を危ぶむほど執筆に明け暮れる。そんな彼の苦心の跡ともいえる膨大な原稿が、だが彼の解放とともに押収されそうになる。

 もちろん、囚人間のいざこざは絶えないし、彼が労働を回避されていることをよく思わない囚人も多かったはずだ。だが、我々は奇跡を見る。奪い取られそうになる原稿を、囚人たちが手から手へ次々とリレーし、まんまと隠し通してしまうのだ。殊更劇的に描かれるわけでもないシーンであるゆえに、余計に胸を打つ。

 解放され、キャンプを後にするラモスが、パナマ帽を空高く放り上げるラストシーンが美しい。もちろん、彼は、自由と解放を謳歌するために帽子を放ったのではない。かつて囚人たちに「警察」と揶揄された役人の象徴を、自ら投げ捨てたのである。
 ブラジルが21年間に及ぶ軍事政権に終わりを告げたのは、『監獄の記憶』公開の翌年のことだった。

中島一夫