収容病棟(ワン・ビン)

 ここは本当に病院なのか。

 三階建ての中央がくり抜かれ、下には中庭がある。各階の回廊には鉄格子が張り巡らされている。回廊を歩き回ったり走り回ったり、ベンチに腰掛けて談笑しながら中庭をながめたりするのはまったくの自由だが、各階を行き来することは固く禁じられている。

 パノプティコンのように、四六時中監視されている(可能性がある)わけでもない。それどころか、男性の「病人」は最上階(女性は二階)にひしめいて、むしろ一階の医者たちを終始見下ろすような配置になっているのだ(実際、「患者」たちが、顔は見えずとも下にはいるらしい「先生」を呼ぶシーンが何度となくある)。

 病院の向こう側には、アパートやビルらしき建物が立ち並んでいるのが見え、別段ここが他から隔離されているわけでもなさそうだ。まずは、この建物の奇妙なありように目を奪われる。監獄のようでも収容所のようでもあり、いずれでもないような構造なのだ。

 治療行為がなされているようにも見えない。著しく状態が悪くなった者を、三人がかりで脈をとったり診察する場面があるが、治すというより「ここで死なれてしまっては困る」と言わんばかりの対応だ。

 「病人」たちは定時になると、一列に並ばされて、薬を飲まされ、きちんと飲み切ったか、舌の裏までチェックされる。あれは、いったい何の薬なのか。精神安定剤のようなものなのだろうが、彼らの抵抗力を奪い、従順な「ゾンビ」(彼らは自らを「ゾンビ」と言っている)として病棟内をうろつかせるために処方されているようだ。彼らは、むしろ薬を飲まされ続けることで精神病にさせられているようにしか見えない。彼らの一人が言うように。「ここに長くいればいるほど精神病になる」。

 おそらく彼らの従順さは、この病院にとどまるものではない。かつて、フーコーは、ソ連の精神病院への強制収容について、次のように述べた。

 しかし、〔精神医学の〕治療処置の対象とされているのが、誰より彼ら政治的な反体制派の人たちなのです。それは、ある人に、その人の抵抗は根拠薄弱だということを、理性的な言葉で説得することは不可能であると、いきなり最初から認めることではないでしょうか?
 それは、ソビエトの現実をそれを好まぬ者たちに受け入れさせるための唯一の手段は薬学技術によって彼らのホルモンやニューロンに権威ずくで処置を施すことであると認めることではないでしょうか? そこには実にいろいろなことを示唆してくれる逆説が存在しています。つまり、ソビエトの現実はラーガクティル〔英国の抗鬱剤の商標〕のもとでしか魅力的なものとはならないということです。ソビエトの現実が「人に不安を抱かせるもの」であるが故に、それを人に受け入れさせようとする時には、「人を安心させるもの」〔=精神安定剤〕が必要になるということなのでしょうか? 体制の指導者達は、自分たちの「革命」がもっていた合理性を放棄してしまい、もはや従順さのためのメカニズムを維持することにしか気を配っていないのでしょうか? ソ連で用いられている刑罰技術が最終的に明らかにするのは、社会主義のプロジェクトを特徴づけるあらゆるものが、このように根本的に放棄されているということなのです(「ソ連およびその他の地域における罪と罰」)


 すでにいろいろなところで述べてきたことだが、ソ連ラーゲリ経験をもつジャック・ロッシは、ボルシェヴィキがいつ頃まで革命の未来を信じていたのかは、ラーゲリの囚人の拘禁期間をみればよく分かると言った。1921年当初は、5年もたてばユートピアが到来すると信じられていたので、刑期の上限も「5年」だった。それが22年に「10年」、36年に「20年」、37年に「25年」と徐々に延長され、ついに1948年には「無期」になる。この時点で、彼らは革命の未来と共産主義社会の実現を完全に放棄したのだ、と。

 比嘉徹徳も言うように、「このドキュメンタリーが描くこの病棟には、いかなる未来も指し示されない。ここには未来がない。時間は円環的に閉じている」(『映画芸術』HP)。先も述べたような、彼らがぐるぐると歩き回されている回廊の構造は、事態を端的に示していよう。ここは「無期」刑の「囚人」たちの「収容病棟」なのだ。

 むろん、彼らが政治的な反体制派だと言いたいのではない(だが、フーコーが当時、情報がないと言って殊更に言及を避けていた中国では、今や精神病院の多くは、衛生部ではなくすでに公安の管轄下にある)。

 そうではなく、革命の放棄は、このような統治となって現れるということ。このように「精神安定剤」による「従順さのためのメカニズムを維持すること」への転化という形で表れるということ。ならば、それは、何もソ連や中国だけの問題ではないだろう。

 いや、むしろ、共産主義化をしたこともない、はなから革命が放棄されているような国においては、最初から人々は、end-lessな資本主義の「回廊」を、ぐるぐると従順に歩き回るよう統治されているにすぎない。調子が悪くて歩き回れなくなったら、精神医学の世話になり、薬を処方されて。

 治療を目指していない病院とは、臨床を放棄して社会を支配する装置と化したそれである。「十七、十八世紀の法律家が、体系的な法制度によって管理される社会制度を作りだしたとするならば、二十世紀の医者は法社会ではなく規範社会を作りだしつつあると言えるでしょう。社会を支配しているのは法律ではなく、正常と異常の絶えざる区別、規範性の制度を復活させようとする絶えざる試みにほかなりません」(フーコー「医学の危機あるいは反医学の危機?」)

 フーコーは、フィヒテが1810年のプロシアの状況を「閉じられた商業国家」と呼んだことに準えて、現代社会は医療化が無制限に行われる「開かれた医療国家だ」と言った。まさに今回ワン・ビンが見た「収容病棟」は、そのような意味において、内も外もないような「開放病棟」にほかならない。

中島一夫