ジョゼと虎と魚たち(犬童一心)

 学生が何人か、好きな映画に挙げていたのでDVDで見てみた。
 なるほど、セットや衣装のチープさ加減や、何ともいえないガジェット感、物語のあざとさなど、きわめてイマっぽいなと感じた。

 「あざとさ」というのは、足に障害を抱え、ほとんどを家で過ごす主人公のジョゼ(池脇千鶴)とその周辺が、甚だしく差異化=美学化されていることだ。田辺聖子の原作では、ジョゼは当然のように車イスに乗っているが、映画では何と乳母車だ。また、ジョゼの祖母はことさらに汚らしく描かれ、孫を乳母車に乗せては引きずりまわす「変人」になっている。そうした設定のすべてが、画面を持たせるのに美学的に寄与しているのだ。

 好奇心からジョゼに近づく大学生「恒夫」を演じるのは、イケメン、妻夫木聡。実際に一緒に暮らしてみれば、さまざまなことが具体的に負担となってのしかかり、ジョゼのわがままも、いつしかかわいいだけではすまなくなる(ドライブの車内ではしゃぐジョゼに、恒夫はイラついてしまう)。先々の将来まで考えてしまうなかで、だんだんひるんでいく恒夫の「ひるみ」はなかなかリアルだった。

 タイトルの「ジョゼと虎と魚たち」について。「虎」は、好きな人ができたらジョゼが動物園で一緒に見たかったもの(一人ではとても怖くて見られないもの)。「魚たち」は水族館で見たいもの。だが、むしろその言葉には、死んだら「魚たち」となって海の中で同一化を果たしたいという願いがこめられていよう。タイトルには、一人ぼっちだった「ジョゼ」が、二人となって「虎」を見、やがてともに「魚たち」となって死んでいくという、ジョゼの幸福のイメージがそのまま語られているのだ。原作はそれが成就したかのようなシーンで終わっていて、作品全体をファンタジー化している。

 一方、映画でジョゼが魚をみるのは、望んでいた水族館ではなく、ラブホテルの幻燈だ。そしてラストは、足の悪いジョゼが、料理を終えてバタンとイスから落下するという、何度も繰り返されてきた彼女の日常的な場面で終わる。それは、二人で深海を泳ぐ「魚たち」となることを果たせずに、恒夫と別れ一人に戻ったジョゼが、これからも重力のあるこの日常世界を、孤独に生きていかねばならないことを強調してやまない。

中島一夫