武田泰淳の恥ずかしさ その3

 

 

 武田泰淳が、まさに一九六八年に書いた『わが子キリスト』は、その前年に文化大革命下の中国を訪れ、翻って日本の戦後民主主義における天皇へのフェティシズムを作品化したものではなかったか。

 

 舞台はローマ帝国に支配されたユダヤという世界である。この支配と被支配、主人と奴隷、天上と地上の関係性に覆われた政治の「無限」空間を舞台化するために、ローマ「帝国」が設定されたのだろう。泰淳は、その中にイエスやユダ、マリアらを放り込み、たちまちそれらの超越性、神秘性を相対化してしまうのである。

 

 征服地ユダヤの完全支配を目論むローマ帝国の「政府顧問官」は、新たな統治に向けた「秘密の計画」を部下の「おれ」にもちかける。

 

「もしも、ユダヤ人どもの中に、たよりになる指導者が一人でも存在するならば、そ奴と連絡してそ奴をわれらの意志どおりに動かし、ユダヤ人どもをわれらの意志どおりに支配することができる。もしも、その指導者がわれらの命令にしたがうことを拒絶するならば、われらはそ奴を消してしまえばよろしい」

「〔…〕強力なる指導者を失った彼らの仲間うちが、そのためどのように乱れに乱れようとも、われらは喜んだり悲しんだり気にかけたりする必要がないが、その乱れ方がある一つのけしからぬ方向に傾き、それによってわれらの勢力が損害をうけぬようにするための警戒はおさおさ怠ってはならぬ。警戒するだけでは足りぬ。むしろ、積極的にこちらの好む方向へ、奴らの乱れを導いてやる明確な方針、策略を打ち出さねばならぬ。つまり乱れる奴らのまっただ中に、ハッシとばかり強靭なる杭を打ちこみ、それにわれらの太い手綱をゆわえつけねばならぬ。その杭とは何か」(『わが子キリスト』)

  

 むろん、ここには戦後、天皇を宗教指導者として、「けしからぬ方向=共産主義革命」に傾かないよう日本の統治に利用しようとしたアメリカ占領軍(あるいは敗戦前の日本と中国の関係)が反映されていよう。本作のローマ帝国が「やっかいな蛮族ども」を統治する必要が生じてはじめてユダヤ人という他者に直面したように、アメリカは戦後はじめて日本という他者に(日本は戦前の中国に)直面したのである。その際、従来のように武力で植民地化するのとは違った、精神を傀儡化するための新しい「杭=指導者」が必要になったのだ。

 

「べたべたとわれらにねばりつく妥協主義者。もうけ仕事にはげむぬけ目のない密偵、内通者、裏切者。古くさい権威を看板にして、どうやら小グループの声明を保っている旧式小頭。それらは、丈夫と保証できる『杭』にはなりえんのじゃ。わしらは、いいかな、最新式の政治学の尖端を行くわしらは、今までとは全く種類のちがった、今まではとても指導者とは想われなかったような、ざん新なる『指導者』を奴らの中から発見せねばならんのじゃ」〔…〕「発見するということは、つまるところ、育てあげ製造するということなのだ。まぼろしの指導者、まぼろしの予言者、部落民どもの夢とねがいの根源をなす『力』を、奴らにかわってわしら自身の手で、彼らの眼の前にありありと出現させてやるのだ」

 

 その時に「指導者」として選ばれたのが「神の子」といわれるイエスだった。そして、イエスが唯一の指導者=杭として君臨することで、ユダヤ全体が去勢され統治されることになる。占領地ユダヤの女であるマリアに種を宿し、実はイエスの「生みの父」である「おれ」は、マリアの夫であり「育ての父」である「大工ヨゼフ」に、もしイエスが神の子であれば、神の子の親が人間であっては矛盾なのだから、おれもお前もマリアも「無かった人間になっちまう」とぶちまける。そもそも、神の国が近づき、神が最上の支配者になれば、ローマ帝国の皇帝以下、政府顧問官やその部下の「おれ」など支配者的な存在そのものがいらなくなり、ひいては被支配者らも無と化すのだ。

 

「そうかい、そうかい。男も女もみんな無かったことにしたいんだな。そうすりゃお前の恥しさも消えてなくなると言うもんだ。では、うかがいますか。何が一体無かったものでなくて、有ったものなんですかね」

「それこそ神の子、イエスでしょうが」

「あいつか」

にがい薬液を咽喉もと一ぱいに詰めこまれた思いなんだが、さて、吐き出すわけにはいかないのだ。あいつは顧問官殿やおれたちにとって、どうしたって有った男でなければならないからだ。

「あいつかい? その点は、おれとお前の意見は一致しているのさ。一致してはいるが、めいめいその目的がちがうからな」

 

 神の国においては、「男も女も無かった」(=去勢された)者になり、唯一イエスだけが「有ったもの」となる。重要なのは、その時、「そうすりゃお前の恥しさも消えてなくなる」と言われていることだ。すなわち、神の国においては、「男も女も無かった」者として去勢される「恥しさ」が、イエスというフェティッシュによって「否認」されるのである。それによってユダヤ人たちを統治できる(去勢=統治は「否定」されるわけではない)ので、「おれ」たちにとっても、イエスは「どうしたって有った男でなければならない」のだ。

 

 神の子イエスがフェティッシュとして機能する神の国という象徴界においては、ユダヤ人のみならずローマ帝国全体が「無かった人間」になり、イエスだけが「有ったもの」として「欲望の原因」とならねばならない。だからこそ、「おれ」も、「あいつかい?その点は、おれとお前の意見は一致しているのさ」とヨゼフに同意しながらも、「めいめいその目的はちがう」とエクスキューズしなければならないのだ。

 

 フェティッシュとは、本当に欲している欲望の対象ではなく、あくまで象徴秩序を安定させるための「原因」(対象a)として作動するのである。もし「欲望の原因」であることをやめれば、「おれ」にとってイエスは、単に「女あさりの名人であるおれの種子を宿して生まれてきたお前さん」という「もの」へと堕してしまうだろう。しかもイエスは、「ユダ」の言うように全員一致で処刑され、その後「復活」してユダヤの不滅の「象徴」になるはずなのだ。全員一致の王殺しによって(八・一五革命)、戦後に「象徴」として「復活」した天皇のように。今作のイエスは、戦後の天皇のように、トーテミズムとフェティシズムの野合として存在しているといえるだろう。

 

 ラスト、確かにイエスは「復活」する。だが、それは「おれ」と「お前=イエス」の入れ替わりの劇として起こる。

 

「釘をひきぬき傷痕をしらべるため、おれははだしになった。おれはすでに、やっかいな甲冑はぬぎすて、ユダヤの貧民みたいな、これ以上ぬぎようのないかっこうをしていた。お前をはりつけにしたと同種類の釘が、いつのまにかおれの片足を刺しつらぬき、お前の死体にあったのと同じ傷口がおれの片足にひらいていた。ただし、お前の傷口は釘三本のほかに、槍二本でつくられたものだ。

お前に対する、こらえ切れぬほどの深い愛情(いや簡単な親しさだったが)が湧き上り噴き上ってきて、おれは釘を右足の甲にあてがい、石をとりあげてそれを力いっぱい打った。〔…〕おれが誰の命令によってそんなばかばかしい「実行」をやっているのか、誰にもわかるはずはあるまい。最高顧問官どのか、裏切者ユダか、母マリアか、それともお前の意志がそうさせたのか、そんなことは判明したところで何の意味もありはしなかった。〔…〕

 世にもあわれなる「寡婦」と、世にもけなげなる美少年は、共におれの手足の釘の傷痕に気づいたのである。十字架から降ろされたときのお前と同じで、ほとんど裸同然になっていたおれを、二人とも別々に「よみがえったイエス」と認めたことはまちがいない。

 

 ここでは、「父=おれ」と「子=イエス」との転倒が「いつのまにか」起こっている。のみならず、生と死(復活)も、支配と被支配も、地上と天上も、ここでは何もかもが転倒しているといってよい。顧問官と「おれ」が目論んだイエス=宗教指導者による計画的統治とは違う、まったく意図とはズレた形でイエスの復活は起こる、いや「実行」されるのだ(「おれが誰の命令によってそんなばかばかしい「実行」をやっているのか、誰にもわかるはずはあるまい」)。歴史は、かくも縦一筋(時間)に進むのではなく、横へ横へ(空間)とズレていく。それこそ司馬遷史記』の世界、他者のいない一国史ではなく、他者に囲まれた「無限」空間における「世界」史というものだろう。

 

 だが、一九六八年に書かれたこの作品において、最も注目すべきは、そのズレが「似ている」ものによって引き起こされたという事実である。顧問官は、「おれ」とイエスを比べて言う。「あの男と、お前さんとは、年齢こそちがえ、よく似ていると申すのだ。似ているどころか、親子のように瓜二つだと報告するのだ。その報告をききとったあと、わしは、どうしてお前さんがわしに、いままで、その重要きわまる報告をしなかったのか、いぶかしく思ったよ」。

 

 イエスがあくまで「わが子キリスト」、すなわち「おれ」に「似ている」「わが子」に設定された意図がここにある。前回引いた、王寺賢太によるすが秀実の革命戦略の解説を思い出そう。その言葉は、『わが子キリスト』という作品に驚くほど当てはまるはずである。

 

「フェティッシュに「正面攻撃」を仕掛け、秩序を「打倒」するのではなく、むしろフェティッシュフェティシズム的に接近しながら、「似ていること」によってそこから隔たりつつフェティッシュの「もの」性を露わにし。象徴秩序を内側から崩落させるこの戦略は、主体の「表現」であるどころか、「私とは他者である」というランボーの詩句のごとく、主体が他者と化し、自らのうちに隔たりを迎え入れる脱主体化の戦略でもある。これこそが、すがが疎外革命論とも疎外論批判ともたもとを分かちながら提起する六八年の革命戦略なのだ。」(『増補 革命的な、あまりに革命的な』解説)

 

 『革あ革』の読者には断るまでもないが、「似ている」ことによる革命戦略とは、例えば赤瀬川原平による千円札と「似ている」模型千円札という「芸術作品」が露呈させた、貨幣の糞尿性(フェティシズム)を指している。その等価交換の擬制を暴くロジックは、いまや貨幣が労働力商品の等価交換=平等性を正当に表現するものであるなどとは誰も信じなくなっているほどに、資本制の「象徴秩序を内側から崩落させ」ているといってよい。

 

 同様に、おそらく泰淳は、この作品で、イエス天皇におけるフェティシズムを「露わ」にしつつ、ラストで「おれ」と「似ている」イエスとが入れ替わることで、「おれとはイエスである=私とは他者である」とばかりの主人公の脱主体化を描いた。さらには、それによってあらゆる位階の転倒が引き起こされ、その帰結として戦後天皇制―民主主義の「象徴秩序を内側から崩落させ」ようとしたのである。泰淳には、『貴族の階段』や『富士』といった二・二六事件にまつわる作品もあるが、それらはどちらかというと天皇フェティシズムに憑かれ吸引されてしまったように見える。むしろ「戦後民主主義フェティシズムに対するフェティシスト的闘争」(王寺)たり得ているのは、この『わが子キリスト』の方ではないか。

 

 末尾の一文「イエスよ。かくしてお前は復活した。そして神の子イエス・キリストとなれらた。誰がそれを疑うことができようか」は、まるで「天皇制と癒着した戦後民主主義という「作品」は、かくのごとくフィクションです」と暴露する断り書きのようだ(それだからか、本文との間もこの末尾だけ不自然に一行空いている)。

 

 見てきたように、何せイエス自身、実際に「復活」してはいないのである。にもかかわらず、平然とこのように「復活した」と書かれることで、その虚構性はよりあからさまになるだろう。「誰がそれを疑うことができようか」とは、何というアイロニーか。それは、むしろ「疑わずにいられようか」、いや、明確に「疑え」と読むことを促しているのだ。

 

中島一夫