ドイツの新右翼(フォルカー・ヴァイス)

 

ドイツの新右翼

ドイツの新右翼

 

 

 話題の本書によれば、ドイツの保守は伝統的にヨーロッパを「夕べの国」と呼んできた。この概念については、またその多様な変遷は、本書に委ねたいが、一言だけ触れれば、読んでいて、これはほとんどハイデガーヘルダーリンに見た「近代的人間の故郷喪失」ではないか、と。

 

 現にハイデガーヘルダーリン『帰郷』に「日の没する西方=夕べの国」を見た。

 

むしろヘルダーリンは、その本質を、西洋の運命への帰属性にもとづいて、見ているのである。しかしながら、その西洋もまた、日の昇る東方と区別された、日の没する西方として、地域的に考えられているのではなく、またたんにヨーロッパとしてだけ考えられているのでもなく、むしろ、根源の近さにもとづいて、世界の歴史に即しつつ思索されているのである(『ヒューマニズムについて』)。

 

 つまり、ことはヨーロッパやドイツの問題に限定されないということだ。本書の解説の長谷川晴生が述べているように、「保守革命→右からの六八年」という世界史的な文脈からみれば、ドイツの新右翼と日本の保守勢力とは並行している点が多々ある。例えば、ドイツの新右翼の理論的支柱たるアルミン・モーラー江藤淳も、ある側面において「似通った思考」といえる(これについては、あるところに短文を書いたので、また後日触れる)。

 

 本書を読んで改めて痛感したのは、「右からの六八年」とは、より突っ込んで考えれば、要は「六八年」が、反リベラリズム=反「平和共存」という「右からの」ものたらざるを得なかったということだ。「六八年」とは不可避的に、近代的な「故郷喪失」者たちによる「保守革命」をはらんでいたのだ、と。左右を問わず、ではなく、すでに左右を問えない状況下にあったのだ、と

 

 「右からの六八年」に規定された「平成」の終わりに際し、いろいろと示唆的な一冊である。

 

中島一夫