日本に近代市民社会は成立しているか

週刊読書人」7月4日号「論潮」に、上記今月の論壇時評が掲載されています。

 訂正:「たったひとりきりの〈一者〉」→「たったひとつきりの〈一者〉」
 

 若干、内容の補説をしておきたい。

 今回、柄谷行人の『探究Ⅱ』において、「市民社会」は「交通空間」へと読み替えられたことを指摘したが、これは大きな問題をはらんでいると思う。なぜなら、市民社会と交通空間では意味が真逆ともいえるからだ。

 市民社会とは、市場が社会を作為しつつ包摂し、ゲマインヴェーゼンの内部に浸透したものである。一方、交通空間は、共同体と共同体の「間」、ゲマインヴェーゼンの外部にあるものだ。すなわち両者を読み替えるということは、ゲマインヴェーゼンの内と外とを混同することにほかならない。

 では、なぜそのような混同が可能だったのだろうか。それは、そもそも市民社会とは、本来共同体の外部(間)的な交通=交換空間が、社会を包摂し内部に浸透してきた社会なのだから(自由で平等な市場原理の浸透=宇野弘藏の「流通滲透視角」)、そこでは内部が外部になり、外部が内部となっているからだ。そして、それこそが、産業資本主義段階のリアリティだったといえよう。

 だが重要なのは、沖公祐も言うように、この時ですら「間」がなくなることはなかったということだ。


有限な世界は、無限の空虚を満たすことはできない。資本とプロレタリアートが偶然出会い、偶然固まることによって資本主義という新たな世界が生まれたとしても、残余の空虚、中間界は決してなくならない。もちろん、資本はもはや中間界の住人ではない。資本は、堕ちた神として世界の只中に住み、世界をどこまでも拡大していこうとする。しかしながら、世界は無限の空虚を覆い尽くすことはできない。資本主義――そのもっともグローバル化した形態であれ――においても、空虚、間という外部はつねに存在する。(「間という外部」『政治経済学の政治哲学的復権』)


 市民社会とは、すべての「間」が埋められ存在しなくなったかのように、あるいは同じことだが、「間」が無限となり、「交通=交換」空間に覆われたかのように見える社会だった。それは錯覚だったが、そこではこの錯覚こそが、政治的なレベルで議会制民主主義と結託しながら、「普遍性」として機能していたのである。


帝国憲法にあっては、国会の議決は天皇の大権の下位にあった。しかし、国会を「普遍性」であるように差し向ける努力が、ここに始まったのである。国会を最上位の「普遍性」とする社会(それは市民社会として表象されよう)は、そこにある全ての人民が「市民」化した時に、はじめて成立するものではない。ごくごく部分的に「市民」が擬制され、それに相即して国会が開設されれば、それは成立する。「市民」とは、政治的「アクション」(アーレント)を旨とする外向的な「壮士」的存在の対極に置かれることで、統治のテクノロジーに貫かれている。市民社会とは実体でもなければ、後発資本主義国日本が到達すべき理想でもない。それは、「市民」と擬制された部分のヘゲモニーによる統治のパースぺクティヴであって、そこには「市民」ならざる者たちが、不断に、事実として存在している。彼ら「市民」ならざる者は、しかし、「市民」のヘゲモニー下に馴致され隠蔽されている限りにおいて、市民社会に(の?)一員なのである。(すが秀実ハムレットドン・キホーテレーニン」)『詩的モダニティの舞台』)

 
 『探究Ⅱ』の柄谷が、共同体と社会とを対立項として捉え、後者に普遍性を見出すことができたのも、共同体内部に自由で平等な市場原理が侵食し、(市民)社会が普遍性として成立したかに見えたからだろう。その普遍性が、『探究Ⅱ』のリアリティを支えていたのだ。
 
 だが、ネオリベ以降、資本は社会の内部から撤退し、市民社会は崩壊、ゲマインヴェーゼンは「間=穴」だらけとなった。その結果、再び内と外とが分離しつつある。

 こうなると、「交通=交換空間」の普遍性としてのリアリティも、徐々に失われていかざるを得ない。おそらく、柄谷が「交通空間」を、「抑圧されたものの回帰」(フロイト)として語らねばならなかった理由もそこにある。それは、「交通空間」を、新たな(高次元の市民社会?)普遍性として捉えなおしていく営みなのだ。

 この柄谷の普遍性の探究が、例えば先の沖公祐による「空虚、間という外部はつねにすでに存在」し、また「この外部、空虚の存在が、資本主義とは別の世界が生成する「必然性」を――だが、偶然性の必然性を――証すのである」という言葉と、どのように交差し、またどの地点で違っているのかを、今は考えている。

中島一夫