武井昭夫『創造としての革命 運動族の文化・芸術論』

創造としての革命―運動族の文化・芸術論

創造としての革命―運動族の文化・芸術論


上記の書評が、「思想運動」No882 2011-12-1号に掲載されています。
現在、創造や芸術を真に考える者にとって必読の書。
以下に書評の全文を掲載します。

――「蜂起は芸術である」(マルクス


 かつて、ネグリに、「コミュニケーション社会の到来によって、コミュニズムはもはやユートピアではなくなったのではないか」と問われたドゥルーズは、「創造とコミュニケーションとは、常に異なる活動だ」とその主張を一蹴した。コミュニケーションは、すでに金銭に侵食されきっている。したがって、むしろ「非=コミュニケーションの空洞や断続器をつくりあげ」る必要があり、そこにしか「創造」としてのコミュニズムはないのだ、と。

 「コミュニケーションスキル」などという企業の言葉が、社会全体の掛け声となり合言葉となって広がる現在、事態はより進行している。ならば、武井昭夫が、一九五〇年代から六〇年代にかけて展開された「創造運動」や「芸術運動」を、本書で再び問い直そうとしたのも、決して過去の遺物を愛でるためではないということだ。

 そういえば、武井もまた、ネグリ・ハートの『帝国』を修正主義的だとして退けていた(『〝改革〟幻想との対決』)。それは、職場や地域における「運動族」の闘争を放棄して、「街頭(ストリート)へ」という「パーティー族」の群れに帰結するだけだ、と。

 両者を隔てるものは何か。運動の根っこに「正統=党」があるか否かだ。それがなければ、どんなに運動が華々しく見えたとしても、やがてそれは転向イデオロギーと化し、最後は(ネオリベ的)コミュニケーション空間に回収される。武井は、「運動内部者」として、嫌というほどそれを見てきたのだ。

 どうしたらよいのか。本書の武井は、こうした状況に抗するために、敢然と花田清輝ブレヒトとを掲げる。ただちに花田とブレヒトを読み直せ。死の直前に「状況論集」と並行して編集されたという本書全体から、そうしたメッセージが聞こえてはこないか。

 例えば、武井は、不断に論争を繰り返した花田の姿勢に焦点を当て、とりわけ諸々の「論争を貫く」ものとして「モラリスト論争」を重視する。一九五四年に高見順との応酬にはじまったこの論争は、やがて埴谷雄高ら「近代文学」派のモラリストとの対決へと進み、ついに高名な吉本隆明との論争へと発展していった。

 この一連の論争が重要なのは、国内的には五五年の日共「六全協」、グローバルには五六年のスターリン批判を背景としており、これらをきっかけに開始された反共・反社会主義の「転向イデオロギーとの闘い」としてそれらがあったからだ。こうした花田の姿勢は、そのように「正統=党」の権威が弱体化しつつあったなか、当時は硬直したスターリン主義者としてしか映らなかっただろう。だが実際は、その文章や文体からも明らかなように、一切「異端」を気取らない「正統」たる花田の姿勢こそが最も柔軟だったのだ。

 難しいのは、そのようにスターリン主義的な花田の伴走者であった武井が、一方で「反スタ」の象徴的存在でもあった――全学連初代委員長からブント結成に至るまで、その「層としての学生運動」理論はずっと学生運動の理論的支柱だった――ことについての今日的判断であろう。

 おそらく、この武井の「二重性」が最も露わになるのは、「68年革命」をめぐってである。本書において、武井は、68年革命を「勝利」とするすが秀実の理論の「二重性」を指摘する。「68年」が反スタの決定的な勝利だったとして、だがそれは社会主義体制そのものの崩壊を招いたのではなかったか――。

 しかし、本来は「社会主義は、生成のプロセスだから」「存在していた社会主義に対しての絶対化はナンセンスだけれども、反対にそれの意味をまったく認めないというのもナンセンス」なのだ。スターリン主義と反スタをともに「ナンセンス」とするこの「二重性」は、武井においては花田的な「楕円」を形成している。

 これは、すがが「68年」の「勝利」を、あくまで受動的かつ反革命的なそれだとする「二重性」と、ちょうど裏腹の関係にあろう。武井と「68年」は、この裏腹な「二重性」においてすれ違ったのだ。ずっと学生運動の象徴だったにもかかわらず、「奇妙なことに、武井は「六八年」に「学生」という潜勢力を発見できなかったのだ」(『吉本隆明の時代』)とすがが述べるのもそうした意味においてであろう(別の文脈でいえば、それは「68年」に浮上した第三世界(論)を「発見できなかった」という意味でもある)。

 鎌田哲哉に対して、「「モラリスト論争」について、わたしが書いた文章をそのように受け止め、評価してくださったのは、あなたが初めてです」という本書の武井の発言には、軽い驚きを覚える。なぜなら、すでに武井―鎌田対談の二年前に、すがは『吉本隆明の時代』において、「モラリスト論争」の意味を「転向イデオロギーとの対決」に求めた武井の「慧眼」を高く評価しているからだ(論点としては、八二年の『花田清輝 砂のペルソナ』にすでに出ている)。武井と「すが=68年」とのすれ違いの大きさを痛感させられる。

 本書に読まれるように、すががインタビュアーを務めたドキュメンタリー映画レフトアローン』(井土紀州監督)には、実現しなかった「幻の「武井パート」」があったという。両者のすれ違いの原因を、「モラリスト論争」から「68年」にかけて、ねじれながらも地続きに潜在していたあの「二重性」に求めることも、あながち間違いではないはずだ。

 もはや、この武井とすがの幻の対話は想像してみることしかできない。だが、それは現在をも規定するあの「二重性」をめぐるものだったはずであり、そうである以上、その「想像」はまた「創造」へと転化するものでもあるはずなのだ。

中島一夫