ゴーストライター(ロマン・ポランスキー)

 ハートをもったゴーストライター

 その矛盾した存在を、終始弱り顔で眉間にしわの寄ったユアン・マクレガーが演じる。彼は、イギリス前首相のアダム・ラング(ジェームズ・ボンド俳優のピアース・ブロスナン)の自叙伝を、一ヶ月で仕上げろというオファーを受ける。報酬は破格の25万ドル。何人かの候補から、彼が採用された決め手は「ハートのある自叙伝を書く男」ということだった。

 彼は、ラングが滞在するアメリ東海岸の孤島の別荘に向かおうとするが、空港のテレビでは、ラングが在任中、イスラム過激派テロリストの容疑者をCIAに引き渡し、違法な拷問に加担していたというニュースが。しかも、今回の自叙伝の仕事には前任者がおり、彼はフェリーから転落するという不審な死を遂げていた。終始暗い画面が、主人公が巻き込まれつつある不穏な空気を告げている。

 おそらく、ラングのモデルは、原作のロバート・ハリスとも交流のあったイギリス前首相トニー・ブレアだろう。知られるように、大義のないイラク戦争への加担を決断したブレアは、「ブッシュの飼い犬(プードル)」と揶揄され、独立調査委員会の公聴会で証人喚問を受けた。本作では、そこを政敵に国際刑事裁判所に告発され、したがって条約未批准のアメリカに逃亡という形に。さらにCIAをかませ、政治サスペンス仕立てで見せる。

 それまでまったく政治に縁のなかったラングは、CIAの大学教授の導きで政治の世界に誘い込まれた。主人公のゴーストライターは、前任者マカラの残した写真やメモを手掛かりに、徐々にその秘密に近づく、いや吸い寄せられていくのだ。

 ラングの妻ルースとの情事の直前、「やめておけ」と鏡の自分をたしなめ、カーナビに残ったマカラの訪問先を告げる声に抗いきれずに「負けたよ」とつぶやく。名前も人格ももたないはずのゴーストの立場に踏みとどまれずに、事態に深入りしていってしまいそうになる自身の「ハート」を、彼は抑えることができない。

 「ハート」とは、ゴーストの立場を逸脱させる欲望である。しかも、その欲望は、前任者マカラという他者の欲望(の模倣)であり、また彼が果たそうとして道半ばで挫折した正義への意志なのだ。

 マカラはラングの自叙伝を執筆する過程で、ラングの、いやイギリスそして世界政治のトップシークレットを探り当ててしまった。だから消された。後任の自分は、今、それをなぞろうとしている。「やめておけ」「負けたよ」。こうして、ゴーストの血が騒ぐという矛盾にその身を引き裂かれていくのだ。

 果たしてゴーストは、CIA=スパイを捕える探偵となり得るか。確かにこれは現在的な状況だろう。

 以前、彼らは、その名のとおり表舞台には出てこないのが前提だった。だが、今や公然とその姿をさらし、また広く認知もされている。元KGBが、当たり前のように一国の首相や大統領に君臨する(できる)のが現在の世界だ。

 裏を返せば、それら表舞台に躍り出たスパイたちを捕え得る探偵的理性=正義があるとして、現在それはスパイに即応した、匿名で無人格のゴースト的存在でしかないということである。そして、たとえスパイに消されたとしても、彼らもまたゴーストなのだから、消えたような、消えていないような、というものだ。そのように、主人公はマカラを反復する。

 しかも彼らはライターなのだから、書き残した情報は、無数の顔なきゴーストの手に渡っていくだろう。主人公が、ラングの妻ルースもCIAだと突き止めたメモが、パーティー会場の人から人へと手渡されていくシーン(「顔」の切れた映像だった)や、ゴーストの「死」とともに、マカラの残した原稿(=暗号化された情報)があたりに舞い散るラストシーンはそのことを告げている。ゴーストの「死」は画面から切れて判然としない。だが、もちろん、ゴーストは死ぬことがないし、また死なないからゴーストなのだ。

 この作品は、大義のないイラク戦争に突入していったアメリカやイギリスが、すでにCIA=スパイ化した政権だったのではないかという視点を提示している。そして、公然と政治の表舞台で増長していくその種の勢力に対抗し得る「正義」とは、もはや(ウィキリークスのような)ゴーストのハートでしかない。だからゴーストたちは、情勢的には、ラング=CIAに拷問された(また消された者もいるやも知れぬ)イスラム過激派と同じポジションにいることになる。

 確かに、帝国主義に抵抗する正義としての共産圏崩壊後の現在とは、そのようにゴーストやスパイが跋扈するおぞましい世界にちがいない。

中島一夫