2011危うく夢見た一年(スラヴォイ・ジジェク)その2

 いったい、エジプトはどうなっていくのか。性急な希望から、安易な失望に論調、展望は変わりつつあるようだが。


 すでに述べたが、われわれは、過去数十年、リベラルな形態(南アフリカからフィリピンに到るまで)であれ、原理主義的な形態(イラン)であれ、グローバル資本の秩序によって繰り返し横取りされた一連の解放的な人民蜂起を目の当たりにしてきた。

 〈アラブの春〉に関わったいかなる国も、その形態から言えば、民主主義的ではなかった。そうした国々が多かれ少なかれ権威主義的国家であったことを忘れてはならない。

  その結果、社会的正義や経済的正義の要求は、民主主義の要求へと自然発生的に結びついてゆくことになったのである。まるで貧困が権力者たちの強欲と腐敗の結果であり、したがって彼らを排除すれば事が済むとでも言うように。しかし、われわれが民主主義を克ち取り、貧困が残れば、いったい次はどうなるのか?

 残念ながら、二〇一一年夏、エジプトは革命の終焉、その解放的潜在力の窒息として思い起こされることになるだろう。これはいよいよもって必至である。その墓掘り人は軍隊とイスラム主義者である。

 ……それは、遅かれ、早かれ、貧困層――その大方が〈春〉の蜂起には参加せず、少なくとも当初は、教育を受けた中産階級の若者に指導されていた――を街頭に放り出すだろう。

  新たな爆発は〈春〉を繰り返し、その真理に直面させ、政治的主体に厳しい選択を課すだろう。それは、貧困層の怒りに方向性を与え、それを政治的な綱領に変換する支配的な勢力とは誰か、である。(p161〜2)