欲望のバージニア(ジョン・ヒルコート)

 1931年、禁酒法時代のバージニア州
 上から、ハワード(ジェイソン・クラーク)、フォレスト(トム・ハーディ)、ジャック(シャイア・ラブーフ)のボンデュラント三兄弟は、密造酒を製造、販売していた。むろん非合法だが、すでに冒頭から地元警察も公認、村でも一目置かれる存在だ。

 彼らは、「不死身のボンデュラント」と呼ばれている。長兄ハワードは第一次大戦でも、次兄フォレストはスペイン風邪の大流行でも、それぞれ周囲は皆死んでも彼らだけが生き残ったという。また誰より彼ら自身がその伝説を信じ生きている。アメリカ南部特有の、大げさに脚色された武勇伝の一種だ。その種の荒唐無稽な伝説が、まことしやかに語り継がれるほど、ここは閉ざされた村であり、一方で村の中のパワーバランスもそれなりに均衡が保たれている。

 だが、そこに、バージニア州政府の特命を受け、特別保安官「レイクス」(ガイ・ピアース)がやって来たあたりから、そのバランスが崩れていく。しかも、どうやら、このキザで高慢な保安官代理の検事は、外からやって来たギャング「バナー」と裏でつながってもいるらしい。彼ら腐敗した巨大組織は、三兄弟をはじめ、この村の密造酒製造者らを力でねじ伏せ(どうやら逮捕する気もない)、醸造庫もろとも傘下に収めようとしているのだ。

 以降、物語は、「何者にも従わない」と公然と宣言する、独立自営のボンデュラント兄弟(を中心とする村)と、この外からやってきた州政府をバックにした保安官とギャングの一大連合との、血で血を洗う復讐の応酬へと突入していく。

 末っ子のジャックは、若気の至り?でギャングのバナーに憧れ、郡境を越えて商売を展開しようとする。これに対して、兄弟の束ね役たる次兄のフォレストは、そうしたギャング気取りは、身の丈に合わない欲望でしかないと一蹴する。だが、やがてジャックは、兄への反抗心もあって、商売に手を染めていき、結局このジャックの浅はかな背伸びが、敵にシッポをつかませることになっていく。

 ここで、この作品の原題「Lowless」(無法)の二重性が、にわかに浮き彫りとなろう。当初、Lowlessな存在と思われた、禁酒法下で密造酒製造を営むこの兄弟は、実はLow(法)の顔をしつつその実さらに巨大なLowlessの連中と戦っていく存在なのだ。いわばこの村の守護神である。彼らをめぐる伝説の数々は、この守護神の証であるのだ。これは、屈強な開拓民のごとき独立自営な者らの、外からやって来たダーティーな勢力を相手とする抵抗の物語なのである。

 したがって、ラストの保安官の失敗は明らかだろう。郡境を塞いでしまうというその戦術は、村の者らを追いつめるどころか、それまで分断しかけていた彼らに、元来の独立心を奮い立たせ、今一度連帯に向けて駆り立てることにしかならなかったからだ。

 むしろ、郡境をオープンにしておけば、ジャックのような欲望に満ちた青二才が、軽率に商売を外へと広げ、あえなく村全体は外の巨大資本に飲み込まれ、勝手に自滅していったに違いない。保安官は出口をふさぐことで、かえって村人のエネルギーを集中させてしまった。まるで高濃度の酒を醸造するかのように。

 実際、禁酒法時代が終わってみれば、あれだけワイルドで、女性にもつれなかったボンデュラント兄弟もめでたく結婚、子供も生まれ家庭を持っていった。つまりは、通俗的で保守的な家族物語の演じ手になっていったのだ。

 そうなれば、当然、不死身伝説も終わる。フォレストは、彼がまとっていた村の守護神としてのオーラのごとく固く張っていたはずの氷の湖が破れ、名声が剥がれ落ちるように水に落ち、肺炎をこじらせるという、あっけなくも散文的な死を迎えるのだ。

 飲酒という「欲望」を抑圧するのではなく、むしろそれを解禁し解放することで、かえって「欲望」は統治しやすいものに馴致されていくこととなる。今はもう、北極の氷までも至る所で割れはじめている。そう考えると、「欲望のバージニア」という邦題も、言われているほど悪くはない。

中島一夫