ぼくのエリ 200歳の少女(トーマス・アルフレッドソン)


200年生き延びた「近代」の寓話


 冬の夜、きみはひっそりと隣りの部屋に引っ越してきた。
 荷物もほとんどなく。
 部屋に入るや、お父さん?が窓をポスターやダンボールで覆ってしまった。
 何やら秘密めいていた。



 アパートメントの中庭で、はじめてきみに会った夜。
 雪が積もっているのに、きみは半袖のシャツ。
 「君の友達にはなれない」。
 学校でいじめられ、友達のいないボクを、見透かしているように、きみは言った。
 とまどうボクに「友達になりたそうな顔をしていたから」。



 名前は? 「エリ」 ボクはオスカー 「いくつ?」 12歳、きみは? 「12歳ぐらい」 自分の年が分からないの? 「……」 親に聞いてみたらいいよ。

 この日から、エリはボクの心の中に住みついた。



 あるとき、ボクがルービックキューブで遊んでいると、「何それ?」とエリ。 こうやってやるんだ、と貸してあげようと顔を近づけると、いやな匂いがした。
 「きみ、臭いよ」と言ったら、少しはにかんだ。
 その横顔にたじろぐボク。
 でも、次に会ったときは、エリはもう六面をマスターしていた。すげえ。
 「もう臭くない?」
 また、キュンとなった。



 エリのためにキャンディーを買った。
 「いらない」。 へこんだ。
 それを見てエリは「一つだけ」。でも、エリは、口に入れると、すぐに吐いてしまった。
 そこまでして食べてくれたんだ。
 たまらなくなって、思わず抱きしめる。
 棒立ちのままエリは「私のこと、好き?」 大好きだよ。



 隣りの部屋のエリといつでも交信したくて、モールス信号を習得した。
 でも、本当は、ボクの「SOS」をエリに伝えるためだったのかもしれない。
 いじめはエスカレートしていた。
 後ろから羽交い締めにされ、全身を打たれた。ズボンはトイレに捨てられていた。
 「あいつらを殺したいって思ってるでしょ。私もきみと同じ」
  エリは励ましてくれた。
 だから、はじめてボクは、復讐したんだ。



 でも、あるとき、気づいてしまった。
 エリが吸血鬼だってことに。
 次々とこの街の人間に襲い掛かっては、噛みつき、殺していることに。
 そして普段は、同居人の男が、エリのために血を集めて来ようと、これまた殺人を犯しつづけていたことに。

 エリは、200年も12歳のまま、人の生き血を吸って生きてきた吸血鬼だった(だから、あの男がお父さんのはずはなかった)。



 いつしかボクは、エリを避け始めた。付き合っていくなんて、とても無理だ。 この街の人々の血を吸って生きている吸血鬼と。



 誰よりも、エリ自身がよく分かっていた。
 「ここを去って生き延びるか、とどまって死を迎えるか」 エリが残していったメモ。
 『ロミオとジュリエット』のセリフだ。ぼくらもまた、ロミオとジュリエットだったのだろうか。



 でも、エリは、避け続けるボクに心から訴えた。
 「少しでもいいから、私を理解して!」

 そのとき、ボクは気づいた。
 エリだって一人も友達がいない。そして、皆に嫌われ、避けられ、だから自分の方からも人目を避けて暮らしている。
 同じような境遇にいる、ボクが一番理解してあげなくてはいけなかったのに。
 エリの言葉を思い出した。「私もきみと同じ」。
 ボクらはガラス越しに、手と手を合わせた。
 ボクは涙と鼻水にまみれ、エリは血の涙を流していた。



 だから、プールであのときの報復を受け、溺れ死にそうになっていたボクをエリが助けに来てくれたとき、ボクは驚かなかった。
 だって、ボクとエリは一心同体だったから。



 ひょっとしたら、エリは、ボクの攻撃性や、自分を守る強さへの欲望が生み出した、幻想だったのかもしれない。
 そして、ここストックホルム郊外の閉塞的な街では、ボクの両親も、まわりの大人たちも壊れかけていて、みんな心の中に「エリ」を住まわせているのかもしれない。
 たとえ手足がついてたって、それらがバラバラになるぐらい、もう街全体がバラバラなのかもしれない。

 この世界で、12歳になって、大人への入り口にさしかかるって、そういうことを知ることなのかもしれない。



 でも、そんなことは、どうだっていい。
 ボクは、「ぼくのエリ」を、心のカバンに詰め込んで、人生という旅に出ようと思う。

中島一夫