怒る西行(沖島勲)

 バカバカしくも痛快だった前作『一万年、後…。』の「後」だけに、いったい沖島が、いかなる「後」を見せてくれるのか。しかも寡作で知られるこの監督にしては、前作から2年というハイペースだ。

 完全に意表をつかれた。何と沖島自らが出演、しかも玉川上水沿いの散歩道を井の頭公園まで歩きながら、編集担当の女性相手に「風景」を語り倒すだけ、という内容なのだ。「武蔵野散歩映画」といったところか。

 今、何気なく「風景」「武蔵野」と言ったが、言うまでもなく、これらは日本近代文学の「起源」をめぐる特別なタームである。柄谷行人日本近代文学の起源』以来、国木田独歩の『武蔵野』は、「風景の誕生」を告げる特権的な作品となった。独歩は、それまでの文学には描かれてこなかったような、何の変哲もない武蔵野の風景を、風景画を描くようにはじめて描いた。しかも散歩しながら。

 伝統的に意味や価値があり、文学的主題となってきた景色ではなく、均質的に「風景」を眺めわたすカメラ・アイのような視線の登場である。柄谷は、三次元空間の広がりや奥行を、二次元の画面に均質的に押し込める、絵画におけるいわゆる「遠近法」の手法と同じ視線を独歩に見出した。

 『怒る西行』は、この独歩の「武蔵野」を反復しているといえる。沖島は、この作品で、モーリス・ド・ブラマンク横尾忠則の風景画を「通して」武蔵野の風景を見ている(画面では、実際の風景と彼らの絵画が構図的に重ねられたりする)。

 だが、沖島が見ているのは、本当はその風景(画)ではない。彼が見ているのは、遠近法における無限遠点=消失点の「向こう側」の時間と空間なのだ。そして、その異次元のような時間や空間を切り開くのが、沖島による「語り」の力である。

 「この道の先に神社があるような感じがしない? 実際にはないんだけど」「この道の先が曲がって見えなくなっているのがいい」「赤松には中世の時間を感じる」「この橋のあるこの風景は、何ともいえない既視感がある」「この風景は、俺が死んでいなくなっても、ずっとここにあるんだろうなあ」「これ、時間飛びますよ」…。

 沖島は何か特別に哲学的なことを語るわけではない。だが、たわいない彼の語りには、妄想すれすれの迫力があり、幾度となく玉川上水をまたぐ橋の向こう側へと見る者をトリップさせる。ひとつひとつ橋の名がテロップで記されていき、その都度「橋=端」の此岸/彼岸が意識させられるのだ。

 それが極まるのが、西行のくだりだろう。沖島は、有名な西行の歌「願わくは 花の下にて 春死なむ その如月の 望月のころ」を引いたあと、やおら「西行のころは、この世界にまだ人間が現れる以前に戻って、すべてをリセットできる感覚があったと思うんだよね」と、これまた何の根拠もないことをつぶやく。

 だが、その言葉にどこか説得させられてしまうのは、沖島は、いわゆる「近代」の抽象的な均質性を壮大な「冗談」のように感じており、彼の数々のフィルムが、そうした閉塞感を、バカバカしいナンセンスで突き抜けていく意志そのものであるように感じさせるからだろう。

 近代の均質性を食い破った先に沖島が見ているものを、端的に「ユートピア」と呼んでもよい(この映画でも、ユートピアのことが語られる場面が幾度かあり、沖島ユートピアのイメージを描いた絵が出て来たりもする)。

 沖島のいうユートピアは、たとえば働く場所と生活空間とが一緒になっているような「場所」だという。それは、職人の生活をイメージさせるが、要は労働が生産手段と切断されていないような「場所」ということだろう。いずれにしても、中学時代から共産党の細胞会議やサークル活動において、理論的なことはみっちり勉強していたという沖島が、その後左翼の公式主義に無味乾燥を感じてそこから離脱しながらも、たとえば旧日大映研の集まりを「ユートピア研究会」と名づける程度には、ユートピアを志向=思考し続けてきたことは確かだ。

 したがって、『怒る西行』は、たとえば小林秀雄吉本隆明西行(への回帰?)とは、一線を画すものと見なすべきだろう。沖島西行は、まさに「怒」っているのだ。

 ラストのくだり――井の頭(いのかしら)公園でデートする男女は別れる、なぜなら女性が「これで“いーのかしら?”」と迷うからだという「都市伝説」のくだり――も、決してダジャレによるオチではない。「オチ」(起承転結)をつけるという身振りほど、沖島から遠いものもない。そうではなく、「くだらない」と言って撤収をかける沖島は、「都市伝説」をも均質的な「冗談」のような「風景」として退け、そこからの切断をはかっているのだ。穏やかな表情とは裏腹に、実は沖島は、「いーのかしら」に「怒」っていたのではないか。

中島一夫