行旅死亡人(井土紀州)

 「行旅死亡人」とは、「飢え、寒さ、病気もしくは自殺や他殺と推定される原因で、氏名や住所、本籍地など判明せず、遺体の引き取り手もいない死者をさす」。映画のチラシには、さらに「社会のセーフティネットが壊れた現在、その数はますます増えるだろう」とある。

 これは、思想的にいえば、収容所が散在する「収容所群島」(ソルジェニーツィン)のごときスターリン体制下の旧ソ連において、収容所間をたらい回しにされているうちにいつのまにか淘汰され、どこで死に絶えたのかも、あるいは生死すら不明な「囚人」の問題としても捉え得る。

 彼らの死は、たとえばナチスによって、ユダヤ人であるがゆえにガス室という「宛先=デッドエンド」に送り届けられてしまった、20世紀的な「死」ですらもはやない。ホロコーストによる「死」には、たとえ不条理であれ、まだ「理由」があり、死の「場所」も特定し得た。

 だが、スターリンの収容所の「死」は、もはや「理由」も「場所」ももたない。東浩紀風にいえば、彼らは宛先に届かない「郵便」であり、その死は、実存などという次元を無化する「確率性」にさらされているのだ。この問題は、そこに21世紀的な生と死の問題を見出し、『収容所文学論』などという本を書いてしまった私にとっても、無視できないテーマである。「行旅死亡人」と聞いて、大いに引きつけられたのはそのためだ。

 ところが、こちらの期待に反して、作品はそうしたテーマを追求したものではなかった。
 ノンフィクション・ライターを目指している「滝川ミサキ」のもとに、ある日彼女の名を名乗る女が入院した、という奇妙な電話が入る。駆けつけてみると、それはお世話になったかつての職場の先輩だった。だが、ミサキの知っている彼女の名前も、また別人(そのまた前に働いていたスナックの同僚)のものだったことが、やがて判明する。なぜ、彼女は、次々と他人の名前を借りては、職場や住居を転々としなくてはならなかったのか。事態は、一気にミステリーの様相を帯びてくる――。

 ミサキは、スーパーのバイトの同僚「アスカ」とともに謎を追い、ついに真相をつきとめる。彼女が、まだ結婚生活を送っていたとき、夫の営んでいたクルミ農家が悪天候で壊滅的な打撃を受ける。その負債を埋め、さらに新しい事業を立ち上げるために、夫婦で保険金殺人を企てたのだ。二人は、彼女自身にかけられていた保険金目当てに別の女を殺害し、あたかも彼女自身が事故で死亡したように偽装した。彼女は、その後、すでに死亡した人間として、名前を変えながら(携帯電話やパスポートほか身分保証も一切もたないまま)生きていかざるを得なくなったわけである(ずいぶん前の作品だが、設定は、借金から逃げようと戸籍と名前を借りた、その他人もまた破産者だったという、宮部みゆき火車』を彷彿とさせる。実際、「行旅死亡者」なる言葉も作中に存在するのだ。妻の教示による)。

 だが、これは、本当に「行旅死亡人」なのだろうか。確かに、ミサキらが「女探偵」として、彼女を「宛先」に届けなければ、すでに癌を患っていた彼女は、そのまま身元不明の遺体になっていただろう。だが、それはあくまで、自らの犯罪の隠蔽工作として招いた事態であり、それを「行旅死亡人」といっしょくたに呼んでしまうことで、むしろ問題の本質を覆い隠してしまってはいないか。

 なるほど、あくまで彼女の行動は、夫に「もう一度輝いてほしい」ための自己犠牲的な行為であり、その後夫が全国展開のスーパー社長(何とミサキたちのスーパーだった!)にのし上がっていったのに比べて、何と彼女は日陰の人生を歩まされたのかと同情を呼ぶように描かれてはいる。だが、夫が声を荒げて「お前らは彼女がどんな女か分かっていない」というように、偽装工作のストーリーを描いてもちかけたのは、むしろ彼女の方なのだ。「資本=夫」と彼に「虐げられた犠牲者=彼女」という、いかにも「行旅死亡人」に結び付いていきそうな安直な構図は、両者の関係には当てはまらないだろう。

 思想的に捉えれば、彼女の死は、いわば生(死)の「取り替え可能性=匿名性」の問題であり、それは、現在セーフティネットから「確率的」に漏れてしまう生(死)の「無名性」の問題と一緒にはできないはずだ。先に見たように、前者と後者の差異は、ヒトラースターリンの、あるいは20世紀と21世紀の差異と言ってよい。

 むろん、ミステリーやサスペンスとして見れば、それなりに楽しめる作品ではある。だが、「行旅死亡人」というテーマが投げかける思想的なインパクトは、いわば探偵に犯人(真相)がつかまえられない、すなわち、もはやミステリーが完成しないという地平にあるのではないだろうか。

 だが、そうした疑問の提起とは別に、監督を知る者としては、この作品のモントリオール世界映画祭の招待を率直に喜びたい。そして、心から受賞を願っている。

中島一夫