迫川尚子 写真展 「日計り ―空隔の街・新宿―」

今年もよろしくお願いします!

新年早々、写真展のお知らせです。
以前『日計り』という素晴らしい写真集を出された、迫川尚子さんの写真展が開かれます。
写真に興味のある方、東京にお住まいの方はぜひこの機会に。
私もぜひ見にいきたいと思っています。



迫川尚子 写真展 「日計り ―空隔の街・新宿―」
日時:1月16日[土]―2月26日 [金] 11時―23時
会場:日本外国特派員協会(外国人記者クラブ)内



迫川尚子さん フォトムービー・サイト http://zoome.jp/whiteproduction/
日本外国特派員協会(FCCJ) http://www.fccj.or.jp




(以下は、以前発表した文章の一節ですが、迫川さんについて触れているので引いておきます。上記迫川さんのサイトにも掲載いただいています)

―― ここに最近刊行されたばかりの一冊の写真集がある。『日計り』(迫川尚子著、新宿書房)と題されたその写真集は、新宿駅ビル地下のビアカフェに勤務する一人の女性が、本人あとがきに曰く、毎日地下に潜伏する「モグラのような生活」の合間合間をぬって地上に顔を出し、頭上に広がる新宿の街にカメラを向け続けてきた記録の集積である。

そこには、全てのショットが九〇年代以降に撮影されたとはとても思えない、戦後のバラック街のような新宿が広がる。朽ち果て崩れ落ちたコンクリートの破れ目からのぞく土、泥、草。廃品同様の一昔前のテレビ。ガラスの割れた横丁の電飾看板。ホームレスのダンボールハウス……。視線が向かう先は、戦後の高度経済成長が開発し均質に均し損なった"残余"であり、あるいは地上=表層に塗り固められた"成長"の物語が剥がれ落ちたその"カケラ"である。

これらの新宿が一向に暗さを帯びないのは、モグラが"カケラ"を見つけては嬉しそうに戯れているからだ。その姿は、やはり残存する「路地」を求めて新宿にやってきた中上健次や、空襲下の瓦礫のそこかしこに「白痴」の顔を見出しては享楽に耽った坂口安吾を彷彿させる。そして、林芙美子が闊歩したたずんだ新宿も、またそのようなものではなかったか。

今や『放浪記』を論じる誰もが参照する『モダン都市東京』の海野弘は、「終戦後のバラック時代の遺物だと思っていた」横丁が、「『放浪記』によれば、一九二〇年代にすでにあったようである」と述べている。最も計画的に都市化されたようでいて、その実つぎはぎ的場当たり的に発展していった新宿には、戦前戦後を通底する"カケラ"が、見ようと思えば至る所に見出せる。

林芙美子論「掲示板の詩(うた)」より。KAWADE夢ムック『林芙美子 総特集 恋と宿命の“放浪記”』所収)