リュミエール作品集(リュミエール兄弟)

 特に、懐古趣味や「映画への愛」を持ち合わせているわけではないのだが、ぶらっと映画の誕生日を祝いに行った。今から114年前の1895年12月28日、パリのグラン・カフェでリュミエール兄弟が最初の映画上映を行なった。大阪・中崎町のミニシアター「PLANET +1」では、毎年この映画の誕生日にリュミエールの作品集を上映しているという。『工場の出口』や『ラ・シオタ駅への列車の到着』などは、幾度か目にしたことがあったのだが、今回『赤ん坊のおやつ』ほか、1895年から1900年にかけての作品を何本かまとめて見て、ずいぶん印象が変わった。

 それらは何よりも「死」の光景だった。もちろん、例えばゴダールが、その『映画史』において、『ラ・シオタ駅への列車の到着』の後にアウシュヴィッツへと向かう大量殺戮列車の映像をしのばせ、19世紀リュミエールの列車は、20世紀のアウシュヴィッツへと帰結したのではないかと問題提起したのを知らないわけではない。また、そのゴダールの認識を受けた、蓮實重彦の次のような一節も。

 「名高い『ラ・シオタ駅への列車の到着』を撮ったとき、「ランプシェード」と呼ばれてもおかしくなかった二人の兄弟は、彼らの開発したシネマトグラフの被写体がはらんでいた「無」への行程に、まったくもって無自覚だったというほかはない。だが、「幸福」なものでありながら、そのかたわらにはたえず「無」が宿っており、その「無」を介して初めて発揮されるのだというイメージの力とは、この列車の運動感にほかならない」(『ゴダール マネ フーコー 思考と感性とをめぐる断片的な考察』)。

 だが、今回見て思ったのは、ゴダールに言われるまでもなく、あるいは蓮實に逆らって、リュミエール兄弟は、彼らの被写体たちが異様なまでに「死=無」の匂いをまとっていることを、すでに感じとっていたのではないかということだ。

 今回見た作品集は、争い、闘い、暴力に満ちている。例えば、ほぼ同時期に描かれたセザンヌ『カード遊びをする人々』を思わせる、設定から構図までそっくりの作品においては、カードに興じていた男たちが、やおら怒りだしたと思うとけんかを始める。あるいは、隣りに座った赤ん坊のおやつに手を出して相手を泣かせてしまう赤ん坊。また、雪合戦をしている集団に迷い込んだ一台の自転車は、彼らから一斉に雪をぶつけられるはめになる。さらに、文字通り女性同士の掴み合いの闘い(男が止めに入るものの一向に収まらない)が映し出される作品まであった。

 これらは、むろん、膨大にあったリュミエールの作品群から、当時評判になったために数多く焼き直され、広まり、残されてきたフィルムであり、彼ら自身が意図をもって編集したものではない。だからこそ、当時の観客が、いったい映画に何を求めていたのかがうかがえる。それは、例えばスペクタクルというより、争いや闘い、そしてそれに敗れた者どもの「死」ではなかったか。おそらくリュミエールも、そうした観客の感性に敏感に反応しつつ、シネマトグラフを量産していったのだ。

 それらは、争う赤ん坊といい、闘う女たちといい、それこそかつて『反=日本語論』の蓮實重彦が、そこに「血なまぐさい殺戮の光景」を見た夏目漱石の言葉――「二個の者がsame spaceをoccupyスル訳には行かぬ。甲が乙を追い払ふか、乙が甲をはき除けるか二法あるのみぢや」――を、そのまま映像化したような作品群なのだ。

 有名な『工場の出口』にしても、よく見ると、最初の方に工場から出て来るのは女性の集団である。彼女らは、機械化によってそれほど筋力が必要ではなくなったことで、資本に大量に要請された安価な労働力なのだ。その後に男性が続くが、ここには資本と労働者の対立・葛藤もさることながら、女性労働者の参入によって追い払われ、掃き除かれ(ずに残っ)た男性労働者の姿があり、狭まった「工場の出口=労働者の需要」をめぐる「血なまぐさい殺戮の光景」が繰り広げられているのだ。

 あるいは、あのカード遊びをする男たちにしても、もみ合う彼らは、最後「頭を冷やせ」とばかりにホースの水を浴びせられる。このホースの水は、あのエイゼンシュテインストライキ』のホース――ストライキする労働者たちを蹂躙するホースの水――へと一直線に続いているようにも思える。

 そう考えると、グラン・カフェで『列車の到着』を見ていた観客たちが、列車がホームにさしかかると思わず後ずさりしたというまことしやかなエピソードにも、違った光景が見えてくる。彼らは、リュミエールの映像が、リアリティなどという生易しいものを越えて、「死」をもたらすものだということを直感的に感じとり、本当に列車に轢き殺されると思ったのではなかったか。

中島一夫