青い凧(ティエン・チュアンチュアン)

 『無言歌』、『鳳鳴』で整風運動=反右派闘争を描いたワン・ビンが、同じテーマを扱った先達として、真っ先に挙げた作品だ。見かけほど素朴なだけの作品ではない。

 ティエン・チュアンチュアン田壮壮)は、チェン・カイコーチャン・イーモウらと同じ、文化大革命後の1978年に再開された北京電影学院の第一期生。両親はともに有名俳優のティエン・ファンとユイ・ランだ。作品は、反右派闘争に翻弄される一家を、監督自身と重なる少年「大雨」の視点と語りによって映し出していく。

 大雨の父母の結婚式が、1953年3月5日、ラジオから聞こえるスターリン死去の知らせによって、十日ばかり延期されるというところから始まる。「僕の誕生も、その分だけ遅れた」。父が共産党員である以上、その〝父〟たるスターリンの死に、息子大雨の誕生も左右されるほかはない。

 この冒頭に、ある意味で作品の構造がすべて表れている。父=ソ連と、その息子=新中国との親子関係は、スターリンの死後、共産主義陣営のヘゲモニー争いである中ソ論争へと発展した。

 中国国内においても、古い共産党員が「反革命」「走資派」として、息子世代の紅衛兵に次々と批判、糾弾されていった。毛沢東による「造反有理」とは、「父」に対する「反」には「理」が「有」るのだというお墨付きを、紅衛兵らに与えるというものだった。まさに〝父〟の死後、革命は無限に漸進されねばならなくなったのだ。

 大雨の母「樹娟」は、まさにその闘争の中で、次々と旧左翼世代の夫を失い、二度の再婚をすることになる。それは、息子の大雨からすれば、〝父〟たるスターリンの死去にともなって、実際の父も取り換え可能なものでしかなくなっていき、しかも「父」「伯父」「継父」と、徐々に〝父〟から遠ざかっていく過程だった。

 後半、映画からは、「さんざん革命をやってきたのに―きりがない」という印象的なつぶやきが洩れる。

 しかもその過程は、大雨の日常が、否応なく政治に巻き込まれていく過程として、つまり、日常がそのまま政治であったことを示すリアリズムの手法でつづられていく。

 例えば、最初の父の死(労働改造中に伐採事故で死亡)の喪失を紛らわすように大雨が興じる花火の音が、そのまま第二部「伯父」の冒頭、政治パレードの火薬の音へと重ねられていく音の使い方。

 あるいは、母の三人目の夫である「継父」に反抗的だった大雨は、食事の時に「わしに不満があるのか?」と言われると、ご飯の盛られた茶碗をひっくり返して走り去ってしまう。継父は、その逆さになったご飯を「いい、わしが食べる」と言い、黙々と口に運ぶばかりだ。このシーンが、党幹部だった継父が、後に紅衛兵たちによって、文字通り「逆さ」に吊るしあげられていくのを示唆していることは言うまでもないだろう。

 そして、何よりも「青い凧」である。小さい頃、父が、大空に悠々と舞わせたあの「青い凧」が、最後、三人目の父の元で木に引っ掛かってボロボロになる。その凧の映像が、ラストの大雨の姿――青い服を着た大雨が、いわゆる「ジェット式」(走資派が×印の看板を首から掛けられたうえ、両手を後ろでねじ上げられた姿がジェット機のようだったことからこう呼ばれた)のごとく、後ろ手にねじ上げられ袋叩きにあった挙句に、ボロボロに打ち捨てられた姿――に重ねられていくのだ。

 青ではなく赤信号を「進め」と読み替えようとした紅衛兵にとって、「青」はそれだけで「紅」の反対派だ。いくら父に反抗していようとも、紅衛兵から見れば、大雨は党幹部の息のかかった、優遇された息子にしか映らない。

 「カラスは木の上 空を飛ぶのが苦手 老いたカラスはもう飛べない」

 作中、何度となく歌われるこの歌の「老いたカラス」とは、木に引っかかってもう空を飛べない、あのボロボロの「青い凧」のような旧世代の党員にほかならない。だが、空を飛ぶのが得意なカラス=凧の自由は、本当に革命的だったろうか。

中島一夫