鉄路の男(アンジェイ・ムンク)

 「ポーランド映画祭」が大阪(九条)に来ているので、この機会にアンジェイ・ムンクをまとめて見たが、これがすこぶる面白い。ワイダやポランスキーより上ではないか。

 1921年クラクフ生まれのムンクは、ナチス占領期にワルシャワに移住。44年のワルシャワ蜂起に参加し、48年にポーランド統一労働者党に入党するも、52年に除名されている。アウシュヴィッツ強制収容所での撮影後、車で帰宅途中、トラックと正面衝突し40歳で死去。長編作品は4本だが、クオリティはすべて高い。

 なかでも、この「鉄路の男」(1956年)は、スターリン批判後の自由化進展をうながした「10月の春」を取り上げた最初の作品としても名高い。

 冒頭、いきなり一人の男が機関車に轢かれ死亡。男は、かつて機関士だった「オジェホフスキ」。信号は「進め」を示すランプ一つ(「危険」はランプ二つ)になっており、現場にはランプが一つ取り外されてあった。果たして、事故か、自殺か、サボタージュか、ミステリー仕立てで作品は進行する。

 調査委員会の査問が行われ、三人の証言者が次々に呼ばれる。最初に呼ばれたのは上司の駅長で、彼はポーランド共産主義国家になっていくとともに頭角を示してきた。したがって、資本主義時代の世代たるオジェホフスキとはそりが合わない。

 オジェホフスキは、石炭の節約、合理化という党=組合の方針に従わない人物だった。大量に石炭を使ってでもとにかく安全第一がモットー。だが、その姿は、資本主義的な浪費者というより、部品一つ一つまで安全点検を怠らない職人肌の男として描かれている。

 あるきっかけで、方針に従わない彼を、駅長は強制退職処分にした。事件は、その処分に対する復讐だと駅長は証言する。

 二人目の証言者は、オジェホフスキの助手だった、機関士見習いの青年だ。彼は、運行中、しょっちゅうオジェホフスキとぶつかってきたものの、同じ機関士として彼に一定の理解を示してもいる。すなわち、共産青年同盟の一員たる青年を、オジェホフスキは駅長に送りこまれたスパイと見なしており、退職に追い込まれたのもきっと自分らの陰謀だと思ったに違いないと。

 あるとき、運転中のオジェホフスキの帽子が落ち、彼は青年に拾うよう命令した。だが青年は、「あなたの下僕ではない」とそれを突っぱねた。両者が無言のまま帽子を挟むシーンが素晴らしい。煙をあげて疾走する機関車の運転席が、いかに「戦場」と化すかが、両者の緊張感とともに伝わってくる。

 だが、後になって、この老機関士が長年の勤務から腰痛を患っており、あのとき帽子を拾いたくても拾えなかったことに青年は気づく。そして、主義・思想は違っても、同じ「戦場」で働く機関士=戦友として、むしろオジェホフスキのプロ根性に敬意を抱くようになるのだ。あのとき、青二才の自分の目の前で強制退職を告げられた、彼の傷つけられたプライドを思うとたまらない。そして、その後、第三の証言者が続く。

 いずれにせよ、この作品最大のポイントは、最後に党幹部が示す推理が、三人の証言をはるかに超えて、オジェホフスキを英雄視する視点だったことだ。

 それは、現場近くにオジェホフスキのものらしいマッチ(第三の証言者の保線員は、煙草を吸うときマッチは使わない)が散乱していたことから、信号灯が消えているのを発見した彼は、急いでマッチを擦って点灯させようとしたのではないか。しかし間に合わず、意を決した彼は、自ら線路に立ちはだかって列車を止めようとしたのではないか、と。その結論が下された後、駅長は「ここは息が詰まるな」と窓を開け放って映画は終わる。

 この「息が詰まる」には、スターリン時代のポーランドが集約されていると言われている。実際、このセリフが書かれたのは1955年秋ごろなので、いまだスターリン批判や「10月の春」前夜だった。おそらく、ポーランド統一労働者党に対する批判が込められていただろう。

 あるいは、教条主義的な社会主義リアリズムの客観性は「息が詰まる」ともとれる。それに対して、この作品は、複数の主観による多元的視点を、ポーランド映画で初めて導入したのだと(黒澤の『羅生門』の影響とも言われる)。

 だが、このムンクの作品が面白いと感じたのはそのためではない。むしろ、そうした評価とは逆の意味においてである。すなわち、開け放たれた窓の外の方が「息が詰まる」ものだったことを、今やわれわれは嫌というほど知ってしまっているということだ。そこは、表向き自由でソフトな、その実息苦しいほど監視・管理されているという、複数主観の多元的視点の社会である。やはり、ワイダの反スタをばっさりと切り捨てた、花田清輝教条主義は正しかったことを痛感してやまない。

中島一夫