ハネムーン・キラーズ(レナード・カッスル)

 先日、「シネ・ヌーヴォ」(大阪・九条)で「ケイブルホーグ・コレクション」としてかかっていた作品。
 「ケイブルホーグ」とは、1982年に根岸邦明氏が創立したミニシアターで、サム・ペキンパーフリッツ・ラングジャン・コクトーなどコアでマニアックなカルト作品を中心に上映、ミニシアター時代の立役者となった。90年代末からはシネコンに押しまくられ、2005年に幕を閉じた。

 「ハネムーン・キラーズ」(1970)は、オペラ作家のレナード・カッスルの最初で最後の作品。「もっとも好きなアメリカ映画だ」(フランソワ・トリュフォー)、「「カルト」の構想は、この映画を観たときから始まった」(ギャスパー・ノエ)、「私の知る限り最も美しい愛の物語」(マルグリット・デュラス)……。そうそうたる巨匠たちがオマージュを捧げる伝説的な作品である。

 実際の事件に忠実に描かれたというこの作品のテーマは、普通に見れば、文通で知り合ったレイとマーサの愛の狂気だろう。レイとマーサは結婚詐欺を繰り返しながら逃避行を続けるが、やがて愛の純粋さは、衝動的な連続殺人へと二人を走らせる。「これが済んだら、いよいよ今度こそ俺たちの本当の結婚式だ」。そんなレイの言葉を頼りに、マーサは詐欺と殺人の共犯を繰り返す。だが、一向に約束を守らないレイをついに信じきれなくなり警察に通報、二人は裁判の結果、電気ショックによって処刑される。

 だが、これは本当に愛と死の物語なのだろうか。そもそも、マーサが恋に落ちたのは、言葉巧みなレイのラブレターにそそのかされたからであり、レイはマーサを横目ににらみながらも、その後も同じ手口で次々と結婚詐欺を働いていくのではなかったか。マーサは看護婦なので、面倒になれば薬で相手を眠らせることもできるうえ、血を見ることにも慣れている(連続殺人のときは、むしろマーサの方が冷静に指揮をとっている)。彼女の嫉妬が計画を狂わせるとはいえ、マーサは、レイにとって格好の助手なのだ。

 もともとマーサは、一人身の淋しさから菓子をやけ食い、自堕落な生活によってまるまると太ってしまっていた。そんな姿を見るに見かねた友人が、ある日彼女に内緒で「文通クラブ」に入会させてしまうのである。そこに届いたのが、レイの甘い手紙だった。だとしたら、限りなく死と享楽に傾斜していく二人の暴走愛というより、当時流行しはじめていたのだろう「文通」とその落とし穴(出会い系のはしり!)こそが、この作品のメインテーマではないだろうか。

 ラストシーン。公判直前に、再びレイからマーサへと手紙が届く。「向こうでひとつになろう。本当に愛したのはお前だけだった」――。そして、その手紙を一人読むマーサの姿が、クローズアップではなく、徐々に遠景になっていくシーンで閉じられる。ここは、「手紙」の「甘い言葉」が、二人を近づけるどころか、逆に果てしなく遠ざけていったのだと見るべきだろう。一般的な見方に反して、この映画が、二人の純愛ではなく、むしろそれを阻んでいく「手紙」の「言葉」がテーマだと考えるゆえんだ。

中島一夫