江藤淳とヘーゲル

 「子午線6」掲載の「江藤淳のプラス・ワン」で詳しく論じたが、江藤は戦後日本を、民主国ではなく君主国と捉えようとしていた。

江藤 しかし、これについては現行憲法の一条と二条の相互連関をよくよく考えなければいけない。第一条には、天皇は日本国の象徴で、日本国民統合の象徴であり、この地位は主権の存する日本国民の総意に基くと規定されている。しかし第二条には、皇位世襲であると規定されている。この二つの規定は相互矛盾であるのか、ないのか。私は、第一条と第二条の連関を考える時、市村(眞一)先生のかねてのご主張の通り、日本は依然として君主国だというのが正しいという議論は成り立つと思います。「総意に基く」と書いてありますけれども、この「総意」は国民投票で一々確かめる総意では決してありません。「総意」とみなして皇室の存続を認めるという、みなし規定だと思います。それが当然第二条にも響いていくと考えれば、世襲であるということもまた「総意」に基くと考えられる。……その占領時代に制定された現行一九四六憲法でも、皇位世襲されるということを、国の内外問わず、何人も否定出来なかったということは、控えめに言っても大きな意味を持っていると思います。

市村 日本は共和制だというふうに言う人もいるようですね。ですけれども、おっしゃるように、選挙によって皇室が選ばれるということは、まだ一回もやられてませんしね。「市村眞一との対談「国と王統と民族と」(『天皇とその時代』)

 「子午線」の論考とはあえて違う箇所を引用したが、江藤は『天皇とその時代』で、同様な主張、すなわち戦後日本は、民主国あるいは共和制ではなく君主国である、と何度も言っている。拙稿で述べたように、その強調ぶりはあたかも共和制の到来に脅えていたかのようだ。そして、この「脅え」はヘーゲルが最初に抱いたものだろう。

君主権の圏域は、「理性によって規定された他の諸契機から分離されたそれ自身の現実性をもっている」と、『法の哲学』のヘーゲルは言う。「長子相続権によって確定された世襲的王位継承」というのは、一見すると非理性的(非弁証法的)であるように見えるが、それで良いのである。君主制ジャコバンテロリズム――それは民主的共和制という「理性によって規定された」一契機である――に対するちょっとした蓋なのだ。(すが秀実吉本隆明の時代』)

 この、ヘーゲルにおける「ちょっとした蓋」が、江藤においては「プラス・ワン」としての「天皇」であった(江藤は「蓋」ではなく「羽根飾り」と形容した)。丸山真男は、ヘーゲルの国家論にルソー的な個人の主体的自由の「発展」を見る。だがこれは、すがが言うように、「ある意味で正しいヘーゲル理解だが」、それゆえに間違っていると言わなければならない。その理解においては、「なぜヘーゲルが共和制ではなく君主制をこそ選択したかということが思考されていない」からだ。「「反動化した」ヘーゲルの方が、「個人の主体的自由」について深く思考していると言うべきなのである」。同様に、なぜ江藤が戦後日本を君主国と見なしたか、にこそ江藤の思考の核心があるのではないか。保守化した江藤の方が、「「個人の主体的自由」について深く思考していると言うべき」ではないかというのが、拙稿の主張である。

だからこそ、敗戦直後の丸山は、当初は他のオールド・リベラリストとともに、明治憲法の運用で戦後もやっていけると考えたのであり、しかし占領軍から戦後憲法が示されたことに驚愕して、なし崩し的に「八・一五革命」を主張するにいたったのである。

 江藤が、「占領軍から」示された「戦後憲法」の欺瞞性を暴くことを通して、「なし崩し的」な「八・一五革命」を批判し続けたことは繰り返すまでもない。

 「君主」に対する思考、同時にそれと裏腹にある「個人の主体的自由」に対する思考においては、丸山はもちろん、吉本隆明らと比較しても、江藤ははるかにラジカルだった。その思考は、ジャコバンテロリズムを思考したヘーゲルに匹敵すると言ってもよいのではないだろうか。それとも、それは過大評価だろうか。

中島一夫

ドライブイン蒲生(たむらまさき)

 人生はドライブインのようだ。

 ドライブインのメシは不味い。うまかったら、長居してしまうから。ドライブインは、どこからかやって来た人を、またどこかへと向かわせる、そんな場所でなければならない。それは、来し方と行く末を中継する「橋」だ。

 冒頭、窓枠が映し出され、窓ガラスにハエが這っていく。そのように、稀代のカメラマンたむらまさきが、最後に監督として、「ここしかない」とばかりに据えるカメラのフレームに、役者たちが入り込んできてはやがて外れていく。それは、映画そのものであり、人生そのものだ。人は、順番に生というフレームに入ってきては、他人と何かを演じ、やがて順番が来たら退場する。

 磯田勉も触れていたが(『映画芸術』2014年春)、たむらは、小津安二郎厚田雄春増村保造小林節雄、三隈研次と牧浦地志といった名コンビと呼ばれる監督を持たないカメラマンだった。かといって孤立しているわけでもない。こう言ってよければ、映画も人生も、「最強のふたり」になるのもいいけれど、フレームの中で出会った誰かと何かを始められればそれでいい。そんなふうに割り切っていたのではなかろうか。今作も、監督だからと言って力こぶの入ったところがまったく見られない。

 「ドライブイン=フレーム」においては、何かが受け継がれているのかもしれない。何の意味があるのか、よくは分からないまま。退場したら、作中染谷将太が呟くように「仏」になるのだろうか。窓枠の中のガラスを這うハエたちは何も分からないまま這っていく。「蒲生家」の人々が「バカ」なのではない(彼らを「バカ」と言う、周囲の人間たちのバカっぷりを見よ)。人生の意味など何も分からずに、「ドライブイン」を訪れては去っていくわれわれの人生が、「バカ」であり「ハエ」なのだ。

 だから、せめて優しくあろうと思う。どうしても人を殴らなければならない時は、せめて右手ではなく左手だ。傷を負った者には、傷口に煙草の葉を擦り込んでやれ。果たして、それが本当に優しさなのか、そんなこともよく分からないし、傷は余計に痛みを増してくるばかりなのだから矛盾に満ちているように思うが、とにかく父(永瀬正敏)はそんなふうにしていたと、娘(黒川芽衣)と息子(染谷)は思う。

 そこではアイスピックも、本来の目的としても凶器としても用いられず、広げた指と指の間を素早く突き立てるナイフトリックや、入れ墨を肌に塗り込む道具として受け継がれるだろう。「蒲生」のドライブインに何がしか固有性があるとしたら、そんな「バカ」な受け継ぎに宿っているだろう。遺骨に染まった入れ墨のように。

 九条シネヌーヴォで、今年亡くなったたむらまさきの追悼上映。生前に見て、亡くなってから見る。これ以上にふさわしい「ドライブイン」の鑑賞はない気がした。

中島一夫

判決、ふたつの希望(ジアド・ドゥエイリ)

 レバノン映画として初めてアカデミー賞にノミネートされた作品。

 違法建築の補修作業にやって来た現場監督とその家の住人とのささいな行き違いが、しかし二人がパレスチナ人とレバノン人であり、さらに難民と彼らを差別し排除しようとするキリスト教右派政党の熱烈な支持者だったことから、またたくまに民族的、政治的な対立へと拡大、炎上していく。出口がないように見えた両者の法廷闘争に、「希望」をもたらしたのはいったい何だったのか――。

 もちろん、本作の背景には、1970年以降のレバノン内戦、イスラエルレバノン侵攻、サブラ・シャティーラの大虐殺、そして何より主人公に直接関わるダムール事件といった、とても安易に語ることのできない重い歴史が横たわっている。だが、誤解を恐れずに言えば、そうした歴史にこだわっているかぎり、お互いにレイシズムから脱却できないと本作は主張しているのではないか。

 何も、「歴史を忘れないと前には進めない」といったような、単純で「前向き」な「希望」の押し売りではない。本作が提示するのは、レイシズムは何かを覆い隠している、さらに言えば、何かを覆い隠すためにレイシズムは発動されるのではないか、という洞察である。

 ウォーラーステインは、レイシズムを、世界システムの統治の手段と捉えた。「本来」、レイシズムの機能は、人々を外へと排除するのではなく、「劣等人種」としてシステムにつなぎとめておくことだ。だが、ナチによる「最終解決」があまりに行き過ぎたために、かえってレイシズムが無意味化されてしまったのだ、と。

社会科学者たちは、ナチという現象をドイツの歴史的状況のなんらかの特殊性の観点から分析しようとしてきたわけだが、実は、世界システム全体が、ずっと危険な火遊びをしてきたのだということを見ようとはしなかった。それがなんらかの形でどこかに引火して爆発するのは、単に時間の問題だったのである。……そして彼らは単純にも、別の憎悪と恐怖の対象を持ち出して代用してきた。最近になって、いわゆる「文明の衝突」という論争が戦わされているが、その概念自体がこのような社会科学者の発明品なのではないだろうか。(『脱商品化の時代』)

 では、レイシズムが覆い隠しているものは何か。それは、「労働者」という「階級」である。

これは象徴的なことなのだが、今日の批評的、政治的言説からは「労働者」という語が消えた。その語は「移民/移民労働者」――フランスにおけるアルジェリア人、ドイツにおけるトルコ人アメリカにおけるメキシコ人――に置き代えられた、そして/あるいは、それによって抹消されたのである。こうして労働者の搾取という階級問題は、「〈他者性〉に対する不寛容」、云々という多文化主義的問題に変容する。そして、移民の民族的権利の擁護に過剰に入れ込む多文化主義のリベラル派は、「抑圧された」階級の次元からみずからの活力を引き出すのである。……それゆえに、民族をめぐる不寛容に対抗するためには、〈他者〉の〈他者性〉を尊重し、それとともに生きられるようになるべきである。様々なライフスタイルに対して寛容でいられるようになるべきである、云々――を断固しりぞけなければならない。民族嫌悪と効果的に戦う方法は、それと正反対にある民族的寛容ではない。われわれに必要なのは、それとは逆に、さらなる大きな嫌悪である。ただしこれは、政治的と呼ぶにふさわしい嫌悪、共通の政治的な敵に向けられた嫌悪である。(ジジェク『絶望する勇気』)

 ひと昔前に流行った「他者」や「他者性」というタームは、いまや完全に批評性、思想性を喪失した。それらは「絶望する勇気」とともに捨て去られなければならない。むしろ「他者」は、他者を世界システムの「周辺」につなぎとめておくことで、レイシズムを喚起させる「装置」と化している。それは、「共通の政治的な敵」から人々の目を逸らさせ、労働者を分断させ互いに敵対させる。そうした事態にリベラルは「寛容たれ」と言うが、それは結局システムを維持することにしか貢献しない。

 映画に戻ろう。パレスチナ難民の現場監督と、レバノンの自動車修理工は、法廷の「外」で一発ずつパンチを互いに見舞い、やがて排水管の設置と車のバッテリー不具合の解決とを「贈与=交換」する。それは、職人労働者としての技能を、商売ではなく、お互いに困っているが対応できないこと=欠陥を補い合おうとする行為としてなされる。

 そのとき、燃えさかる民族対立の法廷では見えなくなっていた、労働者という階級が突如として露呈する。これだけが、両者の対立を乗りこえる「希望」なのだ。この後、リストラされてしまった現場監督に、きっと自動車修理工は何らかの形で手を差し伸べていくだろう。そんな光景が、自然に目に浮かんでくる見事なラストだ。

中島一夫

カメラを止めるな!(上田慎一郎)

(本稿はネタバレを含みます)

 ゾンビが泥酔してゲロを吐いたり、腹を下して外で下痢便したりする。そのたびに、映画館は大爆笑だ。

 この夏の「事件」と言ってもいい大ヒット作『カメラを止めるな!』は、リアリティとは何かを追求した作品だ、とひとまずは言えよう(*)。本作はよく言われるように、前半の虚構パートが、後半の現実パートで伏線回収的に種明かしされていくところにポイントがあるのではない。あるいは、虚構を収めたカメラの枠外に現実がある、といった作品でもない。むしろ逆だろう。一見、虚構に見える前半にこそ現実がある、と作品は言っているのだ。

 ある対象にカメラが回っていれば、画面を見る者にはそれが現実そのものではなく、現実が再現された虚構だと感じられる。その意味で、あらゆる映像は虚構でありドキュメンタリーもフィクションだ。

 だが、近代(モダン)においては、いかに日々新しいもの(現在性)が、人々の目の前に現前している(現前性)かが、すなわち「リアリティ」が要請される。そこでは、(広い意味で)「リアリズム」が支配原理になるのはそのためだ。したがって、映画作品もまた、それが再現された虚構の映像であることを、観客にいかに忘れさせるかにかかってくるのである(「本物の表情をくれよ!」、「目薬じゃない本物の涙をくれよ!」)。

 この作品が、ゾンビもののTVドラマを、一台のカメラで全編ワンカット、しかも生中継番組としてそれが放映されるという、噴飯ものの無理無理な企画という設定のもとで繰り広げられるのは、作品のリアリティがその設定によって担保されるからだ。

 だから、その設定は、「作品の前に番組なんです!」という言葉で作中再三強調されるだろう。映画より「現在性=現前性」に富んだメディアであるTVにおいて、しかもワンカット、生番組、さらにはそういう設定だから生じるハプニングや台本無視のアドリブの連続という、これでもかと一回性が重なっていくことによってリアリティが累乗される。当たり前だが、リアリティとは、いかにリアルに見せるかという仕掛けによって虚構的に「作られる」ものなのだ。

 このとき、ゾンビものという設定にも必然性が生じるだろう。生きた人間のみの世界では、生と死のリアリティは感じられない。死者が蘇り死人として生きる、あるいは生きながらにして死んでいるゾンビの存在こそが、ウェットに言えば、普段見失っていた人間の生と死のリアリティを取り戻させる(主演女優も、ゾンビを見てしまってはじめてリアルな演技を取り戻していく)。虚構的な仕掛けが、かえってリアリティをもたらすように。だから撮影現場も、戦時中、死んだ人間を蘇らせる人体実験をしていたという曰く付きの場所でなければならないのだ。

 死んだような日常をゾンビのように生きている登場人物たち。周囲に気を遣ってばかりで妥協に妥協を重ね、撮りたいものも撮れない映像作家の父、かつて作品にのめりこみすぎて女優を追放された母、その両親と同じ「血」が流れている娘、その他俳優陣……。彼らは、カメラが回っている時だけ生きているのである。だから、カメラは止められないのだ。

 そこでは、ゾンビが生きた人間のように嘔吐し、脱糞し、自分では動かず他人に指示ばかりしていたTVディレクターがクレーンカメラのピラミッドに加わっては人間味を発揮し、単なる暇つぶしの趣味のための護身術も、本当に護身のために使われるだろう。

 「カメラを止めるな!」とは、人間はゾンビと違って一回しか生きられない、人生はワンカットだ、という叫びにほかならない。カメラが止まったら人間はゾンビに戻ってしまう。スクリーンを前に生き生きとした表情を見せていたわれわれも、一歩映画館を出れば、再びゾンビのように表情をこわばらせるのだろうか。


(*)これが、今持ち上がっている今作の「盗作問題」に関わってくるが、ここでは立ち入らない。だが、「原作」か「原案」かで対立している時点で、これが「盗作」問題ではないことは明らかだろう。双方とも、舞台作品がオリジナルであることは認めているのだから。

中島一夫

松本圭二『チビクロ』(『松本圭二セレクション9』)

チビクロ (松本圭二セレクション)

チビクロ (松本圭二セレクション)

週刊読書人」8月24日号に、上記の書評が掲載されています。

web版 ⤵ で読むことができます。
https://dokushojin.com/article.html?i=4109

平等への抵抗

 ジジェクは、バリバールの「平等自由egaliberte」や、バディウ共産主義の前提とした「平等の格率」とは、マルクスエンゲルスが退けたブルジョアの価値にほかならないと述べている(「想像力の種子」『アメリカのユートピア 二重権力と国民皆兵制』)。今もって(今こそ?)重要な視点だろう。

「…平等という概念は、実際にはブルジョアによる階級抑圧の手段であり、階級の廃止という共産主義の目標とはかなり違うものだとマルクスは考える。」(アレン・ウッド)

社会主義社会を平等の国と考えるのは、古い「自由、平等、友愛」に結びついた一面的なフランス的観念であって、その時代とその場面との発展段階としては正当でしたが、いまでは、初期の社会主義学派のあらゆる一面性と同様に、克服されねばならない観念です。」(エンゲルス

 平等主義的正義は、不平等な事例に平等な基準を当てはめるブルジョア的価値に基づいている。その自由―平等は、自由で平等な市場原理の浸透による市民(ブルジョア)社会の価値観にすぎない。そうした自由と平等こそが、「近代的統治のスタイル」(すが秀実天皇制の隠語』)だったのである。マルクスは言う。

権利はその性質上、等しい尺度をつかう場合にだけなりたちうる。ところが、不平等な諸個人(そしてもし不平等でないなら別々の個人ではないだろう)を等しい尺度で測れるのは、ただ彼らを等しい視点のもとにおき、ある一つの特定の面だけからこれをとらえるかぎりにおいてである。たとえばこの場合には、人々はただ労働者としてだけ考察され、彼らのそれ以外の点には目は向けられず、ほかのことはいっさい無視される。さらに、ある労働者は結婚しており、他の労働者は結婚していないとか、ある者は他の者より子供が多い等々。だから、労働の出来高は等しく、したがって社会的消費元本にたいする持分は平等であっても、ある者は他の者より事実上多く受け取り、ある者は他の者より富んでいる、等々。すべてこういう欠陥を避けるためには、権利は平等であるよりも、むしろ不平等でなければならないだろう。(『ゴータ綱領批判』)

 マルクスが見ていたのは、平等主義的正義とは、かえって階級の不平等を隠蔽するように機能するということである。だからこそ、階級を露呈させず、したがって階級闘争を抑圧するための、ブルジョア的な「統治」の装置として働くのである。ジジェクは言う。

資本主義は民主的平等を唱えるが、この平等の法的形式はまさに不平等の形式なのである。…この理由により、マルクスは「現実の平等」を求めなかった。彼の考えは、資本主義の現実の不可能としての平等が可能になるべきだ、というのではなかった。彼が唱えたのは、平等という地平そのものを乗り越える動きだった。

 マルクスが唱えた共産主義の格率が、「各人の必要に応じて各人へ、各人の能力に応じて各人から」という、あくまで「不平等」なものでなければならなかったゆえんである。この「不平等」は、まずもってブルジョア的価値の「平等」への抵抗だったのだ。

中島一夫

江藤淳とアジア主義

 「子午線」vol.6掲載の江藤淳論にはうまく組み込めなかったが、江藤は、すでに60年代に日本やアジアは「女」であり、そう捉える主体=視線は「男」であると、「性(差)的」に捉えていた。サイードジジェクを先取りするような視点であろう。

 都会育ちの江藤は、戦争中、勤労奉仕の際に初めて田んぼに入り、その泥の感触に「人にはちょっといえないような、肉感的な繡奮」を覚える。

いま考えてみると、あれは女性の感触に似ている。そのとき、変な話だが、私はああこれで自分を日本人になったのだなと感じたものであった。それは、どこか、ああこれでおれも男になったのだなというときの感覚に似ていたような気もする。だとしてみれば、モンスーン性の季候とそれに結びついた水稲作の文化は、私に女を感じさせるということになるのかも知れない。それが私にとってのアジアである。(「アジア志向の心理的現実」1965年7月)

 江藤にとって、日本やアジアは実体でも表象でもなく、「足の間になまなましく暖かく感じられる田んぼの柔らかい泥」の感触のような「もの」であり、しかも先の戦争と結びついていた「もの」だった。

 江藤は、この「感触」に、「日本人のアジア志向の根にひそむ心理的現実」を感受する。日本人は、モンスーンの影響の外にあるような北海道や東北といった「高緯度地方」にも、「水稲作という東南アジア型の農業形態を定着させてしまった」ために、たびたび冷害にも悩まされてきた。日本人の「執念」ともいえる「アジア志向」である。

このことは、日本人のかなりの部分が、先史時代に南シナや東南アジアから移民して来た人々の子孫だということと無関係ではないであろう。私は、だから大アジア主義が唱えられるたびに、ああまた妣の国を呼んでいるな、と思わずにいられない。しかし、日本の大アジア主義がつねに一種のロマン主義としてしかあらわれぬところに、すでに日本人がモンスーン地帯の北端に位置する列島に定住した北方民族になり切っているという歴史的事実が隠されている。この事実が、おそらく私にカルカッタやラングーンの季候を「厭な」ものと感じさせるのだろうと思う。

 江藤にとって、アジア主義はこの戦時中の「感触」抜きにあり得ない。それは、折口的な「妣の国」を呼ぶロマン主義である。それが日本を、繰り返し「女」という「もの」へと誘っている。

 江藤は、セイレーンのようなこの呼び声、すなわち戦前から天皇制と結びついていたアジア主義への誘いに、オデュッセイアのごとくそう簡単に抵抗できるとは考えていなかっただろう。だが、同時にそれを「厭な」ものとして退けようとしていた。江藤の思考を捉えるにはこのジレンマを見る必要があろう。天皇天皇制に対する江藤のスタンスについても、この両義的なジレンマを見逃すと、江藤が単純な天皇主義者にしか見えなくなる。それはまた、現在の天皇「志向」の風潮をも見えなくさせるだろう。

 先日も触れたように(http://d.hatena.ne.jp/knakajii/searchdiary?word=%A5%EA%A5%D9%A5%E9%A5%EB%A1%A2%C5%B7%B9%C4%BC%E7%B5%C1&.submit=%B8%A1%BA%F7&type=detail)、現在の天皇「志向」は、反米リベラル的なものとしてある。それは、アメリカの戦争に巻き込まれるなという反安保=反戦平和の「志向」であり、したがって「離米入亜」(中島岳志アジア主義』)のアジア主義である。共産主義圏なき冷戦終焉後、反米=反戦の受け皿はアジア=天皇「志向」しかなくなった。

 「子午線」の江藤論で論じたように、江藤は、単純な反米でも天皇主義者でもなかった。そのことは、アジア主義への呼び声に、「厭な」感触という一点で踏みとどまろうとしていた姿と別のものではないだろう。

中島一夫