階段と戦争――小津安二郎の「不潔」その3
だから、その後の『晩春』で、原節子が口にする「不潔」は、消えた「階段」と引き換えの言葉だった。小津作品においては、何よりも「階段」が、語らずに語る「階段」こそが、「不潔」と言われて「排除」されてきたものなのである。
そう考えてくれば、『晩春』の原節子が、なぜ父・笠智衆の再婚話を聞いて、いよいよ嫁ぐ決心をするのかも、またなぜその再婚話が芝居として打たれねばならなかったのかも納得がいく。娘は父が「不潔」になるのを悲しみ、父は進んで「不潔」になることで、娘から自身を「排除」しようとしたのだ。だが、小津においては、「不潔」になることは避けられねばならないゆえに、それは「芝居」でなければならなかったのである。それが「芝居」を撮り続ける条件だ。
だからこそ、蓮實重彦が指摘するように、あれほどまでに隠されてきた「階段」のフルショットが、一瞬映し出されてしまった『秋刀魚の味』が、小津の遺作たらざるを得なかったことは、とても偶然とは思えないのである。
一貫して視界から遠ざけられていた階段が、その不在の特権を剥奪され、階段としてフィルムの表層に浮上した瞬間、それは狂暴なまでの現存ぶりによって後期の小津的「作品」の基盤をそっくりくつがえしてしまう。それは、「作品」がその限界点に触れようとする苛酷な一瞬だ。(『監督 小津安二郎』)
さらに付け加えるなら、その「階段」が映し出されてしまう直前に、笠智衆が、他界した妻の面影があるゆえに、あわよくば再婚相手に考えているバーのママ・岸田今日子のもとへと、ふらふらと赴いてしまったことは、あらゆる意味で決定的だったと言わざるを得ない。なぜなら、そのバーは軍艦マーチがかかるバーだからである。これが、あれほどまでに避けられてきた、戦争体験の「不潔」への武装解除でなくて何であろう(そういえば、娘の岩下志麻は、家族が口々に母に似ている岸田を見に行きたいというなか、「私はそんなところにいきたくない」と忌避していた。二十五歳の娘の「不潔」の回避)。
しかも、娘の結婚式の足で、そのままバーを訪れた笠智衆は、そのモーニング姿を見た岸田今日子に「今日は何のお帰り?お葬式ですか?」と声をかけられてしまう。笠はそれに対して、「まあ、そんなものだよ」と受け入れるほかはない。
この「葬式」という言葉が、結婚式にも葬式にもモーニングは着られるとか、娘の結婚式は父にとって葬式だとか、小津の遺作となる予兆だといったようなさまざまな詮索を寄せ付けないような、ある絶対性を帯びたものであったことは、もはや言うまでもないだろう。若い女性との再婚に軍艦マーチ。これが、小津において、それまで沈黙を貫いてきた戦争体験に飲み込まれていくことでなくて何なのか。「お葬式ですか?」は、小津作品が、まさに「限界点に触れようとする苛酷な一瞬」を示している。それは、小津作品が、自らの死を表明しているのだ。
「だからこそ」、べろべろの笠智衆が、家に戻ってきてもなお口ぐさむ軍艦マーチを引き継ぐように、その後作品のBGMで軍艦マーチが流れ、作品空間が戦争に覆われるなか、例の禁じられていた階段のフルショットが映し出されることになる。その暗すぎる階段が示しているものは、ずっと二階の「聖域」にいた娘の不在どころではない。おそらく、あの階段から、かつての田中絹代のように、小津自身が落下していったのである。
(中島一夫)