セールスマン(アスガー・ファルハディ)その2

 それは、後々判明するように(したがってネタバレになるが)、ラナをレイプした犯人が、まさに60歳を超えているだろう、くたびれたセールスマンだったからだ。

 エマッドは劇でセールスマンのウィリーを演じることで、バスルームで一人シャワーを浴びていたラナのもとへ、この老いたセールスマンを招き寄せてしまったのである。一方、老いたセールスマンは、「部屋の塗りかえ」ならぬ引っ越しによって、バスルームにいるはずもなかった「女」とラナとを取り違えてしまったのだった。

 思えば、予兆はいたるところにあった。あるとき、エマッドは学生とともに乗ったタクシーに同乗していた隣の女性から「触らないで!前の人と席を替えて」といわれのない抗議を受けてしまう。狭い車内で肩が触れ合う程度だったにもかかわらず。なぜ怒らなかったのかと聞く学生に対して、おそらく女性は過去にレイプ経験があり、それ以来男性嫌悪なのだろう、と話す。

 この時、ラナの事件は予兆されていたともいえる。なぜなら、エマッドは、いざラナが暴行されてしまうと、被害を受けた彼女の方を責めてしまうからだ。「なぜ、ドアを開けてシャワーを浴びていたんだ」、「てっきり呼び鈴はあなただと思って」。確かに、直前にかけた電話でラナから買い物を頼まれていたのはエマッド自身だった。

 さらに、エマッドは警察を呼ぼうとする。ラナは、一切他人に知られたくないにもかかわらず。夫として犯人を捜し出そうとするエマッドの執念は、結果的に周囲の人間に何が起きたのかを知らしめ、挙句の果てに犯人を死へと追い詰めるという、別の暴力の前にラナを引きずり出すことになる。

 隣人に「大した事件じゃない」と嘯くエマッドに、隣人の女性は「あなたは現場にいなかったからそんなことが言えるのよ。第一発見者は、奥さんは殺されたのではないか、と心配したそうよ」と言い放つ。ついにエマッドは、「現実に」ラナが受けた暴行の痛みを共有できないのだ。

 それゆえであろうか、映画では、まるで罰を与えるかのように、犯人であるセールスマンの死と、劇のエマッド演じるウィリー=セールスマンの死とが重ね合わされて映し出される。ウィリーの妻「リンダ」を演じるその時のラナの言葉は、果たしてセリフだったのだろうか、本音だったのだろうか。

許してくださいね、あなた。あたしは泣けないんです。どうしてか。でも、泣けないんです。あたしには、わからない。なぜ、あんなことをなさったの? ねえ、ウィリー、どうすればいいの、あたしは泣けないんですよ。

 ここでの「あんなこと」は、とうに劇(ではウィリーの自殺を指す)を超えている。それは現実におけるセールスマンの暴行や、彼を死に追いやる夫の一撃、さらには夫による「セカンドレイプ」ともとれる振る舞いといった、ラナが受けた数々の「暴力」をさし示していよう。だからこそ、ラナは、犯人である老いたセールスマンを許そうとするのである。なぜなら、彼女が受けた暴力は、もし自分が受けなければ、前の住人の娼婦が受けていたかもしれないものだからだ。

 もはや劇は完全に現実を乗っ取り、この時ラナは「娼婦」に同化している。彼女らにとって、「セールスマン」を生きる者も、それを演じる者も、自分たちに暴力をふるう存在でしかない。どうせ事が済めば、裸のまま外へと追い出そうとするに決まっているのだ。

 そしてそれは、もはや何を売り買いしているのかも分からない、そして最後は自分を売り渡してしまったかのように死を迎える、アメリカのセールスマンの生きざまが、イランのバスルームから忍び込み、すっかりイラン社会全体を掘り崩し、とうとう乗っ取ってしまった姿にほかならない。

中島一夫