ネオリベ化する大学

週刊読書人」11月7日号「論潮」に、上記今月の論壇時評が掲載されています。


 大学解体=崩壊は、大学教員にとっては自己解体=崩壊である。

 いまや何をやっているのかよくわからない、奇々怪々な場所となった大学に立っていると、以前は分かるようでよく分からなかった、ベンヤミンパウル・クレー「新しい天使」についての言葉が、妙に腑に落ちた気になる。それも思い込みなのだろうが。

「新しい天使」と題されたクレーの絵がある。(中略)歴史の天使はこのような姿をしているにちがいない。彼は顔を過去のほうに向けている。私たちの眼には出来事の連鎖が立ち現われてくるところに、彼はただひとつの破局だけを見るのだ。その破局はひっきりなしに瓦礫のうえに瓦礫を積み重ねて、それを彼の足元に投げつけている。きっと彼は、なろうことならそこにとどまり、死者たちを目覚めさせ、破壊されたものを寄せ集めて繋ぎ合わせたいのだろう。ところが楽園から嵐が吹きつけていて、それが彼の翼にはらまれ、あまりの激しさに天使はもはや翼を閉じることができない。この嵐が彼を、背を向けている未来のほうへ引き留めがたく押し流してゆき、その間にも彼の眼前では、瓦礫の山が積み上がって天にも届かんばかりである。私たちが進歩と呼んでいるもの、それがこの嵐なのだ。(ベンヤミン「歴史の概念について」)