スプリング・フィーバー(ロウ・イエ)

 必見。

 中国で五年間撮影禁止処分を受けているこの監督が、ゲリラ的に、撮影家庭用のデジタルビデオで撮った作品だという。冒頭から酔いそうなほど手ブレの激しい画面が続くが、それも落ち着きを見せると、二人の男が連れションをしている。最中に笑いながら体をぶつけあい、幼児のようにじゃれ合う二人。何かただならぬ空気が漂う。

 案の定、その後カメラは、待ちきれないとばかりに部屋に入った瞬間、お互いの体をむさぼりあう二人の、濃厚な愛の営みを目撃することとなる。カメラは、しばらく二人の体と行為を舐め回したあと、窓の外へとゆるやかに移動し、水に浮かぶ二輪の睡蓮を映し出す。甘美な息苦しさに満ちたオープニングだ。

 彼らは、それぞれ旅行代理店と小さな書店に勤めている。北京や上海ではなく、南京という中都市でのそうした彼らの生活は、あの根無しの睡蓮さながら浮遊している。地に足が着いているような、いないような。そして、街の狭間で密会を重ね、かりそめの「根」を求めるように、互いの体をむさぼり合う。

 同性愛? いや、同性だからではない、純粋な愛。だが、周囲はそのように見てくれない。書店員のワン・ピンには妻がおり、夫の素行を怪しむ彼女は、夫に探偵をつけているのだ。教師である厳格な彼女にとって、夫の浮気、しかも同性愛は、最も唾棄すべき行為であり、自分をみじめに感じさせてやまない。「親族に知られたら、いったいどうするの!」 彼女に職場にまで押しかけられ、同僚の前で「夫から手を引いて!」と罵倒されてしまう、旅行業のジャン・チェンは、「もうこれ以上は続けられない」とワンに別れを告げるほかはない。

 だが、その後、探偵の男が、意外な展開を呼び込む。ジャンを追跡し、彼がはしごするゲイバーに出入りしているうちに、いつしかジャンに惹かれていってしまうのだ。まさに、都市の雑踏のなかで、「犯人」に同化してしまう「探偵」である。あくまで探偵とは、警察とは違い、犯人と交換可能性をもつ存在なのだ。

 探偵にも女性の恋人リー・ジンがいた。このとき観客は気づく。あの書店員のワンも、探偵同様最初から同性愛者ではなかったのではないか。ジャンという、ファム・ファタールならぬオム・ファタールに導かれ、目覚めていったのではないか、と。こうして映画は、同性愛から、関係の反復へと巧みに重心をずらしていくのだ。

 だが、関係の反復は、男性の側ばかりの話ではない。見逃されがちだが、探偵の恋人リー・ジンをめぐる関係の線がある。彼女は、違法のコピー製品を作る工場(浮遊性!)で働いており、そこの工場長とも関係をもっていた。工場長は、食事に誘っては、会うたびに髪を撫でて彼女をかわいがり、「今度はオリジナル製品を作る工場を作るから、そちらの方に移って働いてほしい」と口説いてもいた。

 だが、あるとき、工場に抜き打ち検査が入り、工場長は逮捕されてしまう。工場長は逮捕寸前、リーに金庫の金を託す。そのこともあってか、彼女は、彼が釈放されるよう、寝たくもない相手と関係をもっていくことになる。中国のコピー工場と金やセックスを媒介とする買収劇、だがその描き方は同性愛のそれとは対照的なまでに暗示的なものにとどまっている。

 このように、男性同士の関係の裏に、このリーをめぐる関係の反復がある。この両面を見ていけば、この作品が、個々の「愛」というより、ここ南京で浮遊する者たちが、同性異性を問わず「根」を求めて絡み合う、その連続する諸関係そのものを描こうとしていることが分かるだろう。

 作品は、やがて探偵をめぐるジャン、リーの三角関係に収斂していく。浮き草の彼らは、三人で車の旅に出る。一瞬、同性愛や異性愛を超えて、すべてを理解し合った至福の「共棲」のときが彼らに訪れたかに見えたが、ふいにリーは姿を消す。そして、探偵とジャンの関係も急速に終わりを告げていくのだ。

 その後、リーがどうなったかは分からない。だが、一人になったジャンが、その後新たな関係をはじめていくように、おそらくジャンの陰画としてあるリーも、どこかで新たな関係を結びはじめているのだろう。そして、ジャン同様、昔の恋人との関係を、「夢」の続きのように思い出しているに違いない。

 ジャンが最後に見た「夢」は、何とあの書店員ワンの夢だった。反復は、円環する時間へとらせん状に広がっていく。カメラはそれとともに、窓の外へと飛び出し街の全景へ。見事なラストだ。

 作品は、ラストに、ジャン(たち)の「夢」と響き合うような、郁達夫(ユイ・ダーフ)の作品「春風沈酔の夜」の一節を引く。

こんなやるせなく春風に酔うような夜は 私はいつも明け方まで方々歩き回るのだった

 私的な思い出になるが、大学院時代に「満洲」文学を学んでいたときに、この郁達夫の名はたびたび耳にした。久し振りにその名を聞いて、何とも懐かしく思った(「必見」と思ったのも、この私的な感情によるものが大きかったかもしれない)。

 それにしても、なぜエピローグが郁達夫だったのか。監督は「1930年代の中国に芽生えた、権力の抑圧に抵抗する「個人」を表現する作家たちに影響を受けたから」と答えている。

 1930年代ということは、郭沫若らと創設した「創造社」時代の郁達夫ではなく、その後そこから離れて、魯迅らとともに行動した郁達夫ということになろう。魯迅らが、言論の圧迫に抵抗すべく、進歩的な文学者の統一戦線「中国左翼作家連盟」成立にこぎ着けたのは、まさに1930年だった。撮影禁止下にあるこの監督が、「やるせなく春風に酔う」という郁達夫に思いを馳せたのは、単に情緒のためではないのだ。

中島一夫