階段と戦争――小津安二郎の「不潔」


 

全日記 小津安二郎

全日記 小津安二郎

 

 

 『全日記 小津安二郎』(一九九三年)や、田中眞澄『小津安二郎周游』(二〇〇四年)以来、小津安二郎が、野戦瓦斯第二中隊の分隊長として、日本軍の中国侵略とその毒ガス使用に深く関与し、また従軍慰安婦との関わりもあったことが明らかになってきている。だが、四方田犬彦が言うように、「小津は毒ガスに対しても、従軍慰安婦体験(日記に言及あり)に関しても、戦後は一貫して沈黙を守った。ただ『東京物語』と『秋刀魚の味』の酒場で、背後に軍艦マーチを流した。見たくない光景は割愛する。語りたくないことには沈黙する」(「『東京物語』の余白に」、『ユリイカ 総特集小津安二郎』二〇一三年)と。

 

 この言葉をふまえて、例えば『風の中の牝鶏』(一九四八年)を見返してみると、そこに小津の強固な意志のようなものが感じられてならない。特に、復員した佐野周二が、妻の田中絹代を階段から突き落とす、あのクライマックスシーンである。この時、子供の入院費を稼ごうと一夜だけ売春した妻は、ひょっとしたら小津自身の従軍慰安婦体験を拭い去るように、二階から真っ逆さまに転落させられたのではあるまいか。

 

 クライマックスの前に、夫は、妻が身を売りに行ったという曖昧宿を訪ね、そこで出会った娼婦にも「なぜこんな商売をしているのか」、「君の勤めを探してきてやる」と、何とか足を洗わせようとする。そして、同僚の笠智衆に、次のように苦しい胸の内を吐露するのだ。「何かくすぶっているんだ、いらいらするんだ、脂汗が出てくるんだ、よく寝られないんだ、怒鳴ってやりたくなるんだ!」。

 

 「どうしてその(曖昧宿の)女は許せて、奥さんのことは許せないんだ」と問われ、眉間にしわを寄せながら、佐野は「もう許している」と答える。彼は、許しているのに許せないのだ。いや、妻は許せても、自分が許せないのである。先のセリフは、怒りがすべて自分自身に跳ね返ってくることを示している。妻の体を目の前にすると、自然と戦争体験が想起されるから、「脂汗が出て」「よく寝られない」のではないか。

 

 夫は、自ら経験した戦場が、復員後、この家の中にも浸食していることを痛切に思い知る。まさにそこは「銃」後であり、自らは復「員」したのだ――。階段から突き落とした後、「大丈夫か」と声をかけるものの助け上げることもせず、妻が足を引き摺りながら急勾配の階段を自力で這い上がってくるのを待ってから、「この先どんなことがあっても動じない俺とお前になるんだ」と抱きすくめる。そのときの佐野は、さながら、負傷兵に肩を貸す小津分隊長のようである。従軍慰安婦体験を拭い去ろうと、体を売った妻を突き落としたものの、這い上がってきた彼女を見て、戦争体験が都合よく消え去ってはくれず、戦争が終わっても、どこまで行っても「戦争」なのだということを、夫は覚悟したのではないか。

 

 繰り返せば、四方田が言うように、その後も小津は、自らの戦争体験について「沈黙を守った」。だからこその「朴訥」な笠智衆の起用でもあったろう。そして、その沈黙は、『監督 小津安二郎』(一九八三年)の蓮實重彦が指摘するとおり、それ以降の小津作品の「家」から「階段」を消し去ることになる。田中絹代が落下した階段は、二度と小津作品に映し出されてはならないものだったのだ。

 

(続く)

 

ミッドナイトスワン(内田英治)

 


9月25日公開『ミッドナイトスワン』100秒予告

 トランスジェンダーに夜の街というあいかわらずの組み合わせ、性別適合手術を受けた主人公の胸がはだけてなぜか露わになるシーン、あたかもタイの医療技術が未熟であるかのような展開…。違和感は多々あった。だが、それらについてはトランスジェンダーの立場からの指摘がすでにあるので措く。見ていて辟易としてしまったのは、「結局、また子供か」と。

 

 トランスジェンダーMtF)の主人公が、育児放棄された親戚の子供を預かることになり、徐々に自らの母性に目覚めていくストーリー。その時、主人公に性別適合手術を決意させるのが、バレエの才能という、例によって子供の未来の可能性なのだ。

 

 今に始まったことではないが、昨今の想像力は、未来をほとんど子供(の可能性)においてしか表現し得ない。評判になったものは、ほぼすべてがそうだと言える。本作も、最近の日本映画においては、リピーターもついてそこそこヒットしている方だろう。

 

 だが、LGBTの疎外を悲劇として描くのはいいとして、その疎外が母として子供を育てることからの疎外へと回収されるとき、それは結局市民社会の再生産への包摂を補強する物語にしかならない(本作の主人公には、パートナー(との葛藤)の影が一切ない)。

 

 逆にいえば、だからこそ、LGBTではない観客からすれば、登場人物らの疎外(彼らは何度となく「なぜ私だけ…」と叫ぶ)が、想像の範囲内である社会的包摂に収まるものであることに、安心して感動もできるのである。

 

 「子なし夫婦は存在している意味がないから、もう死ねと言われているようなものね」。見終わって妻が言った。彼女は最近の映画をあまり見なくなった。疎外感しか感じられないからだろう。しかもマイノリティーでもなければ、それは「疎外」からも疎外されているのだ。

 

中島一夫

 

TENET(クリストファー・ノーラン)


映画『TENET テネット』US予告(時間の逆行編)

 

(本稿は、作品の「読解」を精緻に試みるどころか、それに「逆行」しています)

 

 地球に住めなくなった未来人が、いったん現世界を終わらせ、そこから時間を逆行させることを「選択」する。すなわち、今後は未来ではなく、過去に生きることを「選択」する。そして、その下手人に、まさに世界が未来を失った冷戦崩壊時に(冷戦崩壊が、その後の未来という時間を喪失させた出来事だったということは、いったいどれくらい共有されているのだろうか)、旧ソ連の核爆発で地図にない街と化した「スタルスク12」に居合わせた男「アンドレイ・セイター」(ケネス・ブラナー)を「選択」し契約する――。

 

 ならば、本作の未来人たちは、例えばほとんど「ダーク・ドゥルージアン」といえないか(アンドリュー・カルプ『ダーク・ドゥールーズ』)。ダーク・ドゥルージアンは、「神の死」、「人間の死」に続いて、「この世界の死」を要請する。「この世界の死」は、物質的な世界破壊を求めることではない。「神の死」が、僧侶の殺害や教会を焼き尽くすことを求めず、また「人間の死」が、人類の大虐殺や絶滅を求めなかったように。「それらは、ただ神や人間という概念が不十分であると言って非難し、依然としてそれを信じている者たちを批判し、思考の目的としてあるそのような概念など除去してしまえと要求していただけである」(『ダーク・ドゥールーズ』二〇一六年)。

 

 「神の死」とは超越神への信仰の「死」であり、「人間の死」とはそうした神と人間との共犯関係の「死」である。だが、それらは「死んだ」「死んだ」と言われて、なおいっこうに「死んで」いないではないか。ならば、真に「神の死」「人間の死」をもたらすために、「この世界の死」が必要なのではないか。「言い換えると、それは、もっぱら反動的な生成の意味しかもはやもたないような受動的ニヒリズムのなかでの問題提起や充足理由に完全に見切りをつけることである。それは、世界のあるいは文明には救う価値などないと理解することである。こうした見切りや理解は、残酷の情動をともなうことなしには成立しない。〈神―人間〉の死は、世界の死によって完成するのである」(江川隆男「破壊目的あるいは減算中継―能動的ニヒリズム宣言について」、『ダーク・ドゥールーズ』への「応答」)。

 

 「人間の死」以降、「生きさせて死ぬにまかせる」生権力が世界を覆った。反動的かつ受動的ニヒリズムの支配。われわれはすでに殺されているが、まだ死んでいない。「死んだ」「死んだ」と言われているのに、むしろ権力によって「生きさせ」られているのである。「生きさせろ」と言うまでもなく。ならば、きちんと「死ぬ」ことこそ革命的ではないのか。

 

しかし、それゆえにこそ、現在の時空間を犠牲にする革命の方向に舵を切って、新たな―未だ―実現していない未来に対する身構えが既にできているとも言えるだろう。こうした視点から見ると、手がつけられない気候変動も、6度目の大量絶滅も、そして、他の差し迫った厄災(カタストロフ)も、全てがこの世界にとって必要不可欠なものとなる。それゆえ、「この世界の死」は、世界を救おうというかつての試みの不十分さを認め、その代わりに革命に賭ける。この世界を破壊できたときにだけ、私たちはこの世界の問題から解放されるという賭けへ。(『ダーク・ドゥールーズ』)

 

 未来人と、その目論見を託されたセイターの「革命に賭ける」「身構え」。TENETは、そんなセイターの「革命」を阻止しようとする「反革命」的な組織である。だが、順行時においては、CIAから選抜されるままに訳も分からず(TENETの)任務を遂行する、名もなき「主人公」(ジョン・デヴィッド・ワシントン)が、作品後半の逆行時において、実はTENETの黒幕だったことが判明する。すなわち、主人公自身も、地球に住めなくなった未来人の一人なのだ。

 

 名もなき主人公は、おそらくセイターと、TENETの幹部らしきプリヤ(ディンプル・カパディア)との「対立」を利用しながら、エントロピーの減少によって全世界の時間を逆行させるアルゴリズムのパーツをいったんすべて彼らに集めさせようとしたのだろう。そして、すべてが揃った段階で、いざアルゴリズムが作動し始める瞬間、一気に奪還する作戦に出たのだろう。プリヤにすら、自分が黒幕であることを明かさずに。

 

 したがって、主人公=TENETとセイターはほぼ共犯ともいえる(だから途中、主人公は自分自身と「戦う」はめになる)。両者が異なるのは、過去の先祖を殺してまでも「この世界」に「死」をもたらそうとするセイターに対して、先祖を殺してしまえば未来の自分たちも存在し得なくなるという「先祖殺しのパラドックス」を重視する主人公=TENETという一点である。その一点で敵味方に分かれるのだ。

 

 「先祖」を重んじることで「未来」を重んじる。これがTENET=信条である(TENETは「信条」という意味でもある)。ならば、柳田国男「先祖の話」(一九四五年)によって作られた戦後天皇制という「この世界」のなかでは、あえてセイターの陣営につく(セイターという人間に、ではない)というのが、「この世界」に「死」をもたらそうとすることだろう。先に述べたように、「この世界」(=戦後天皇制)の「死」がなければ、「神」(=天皇)の「死」もないのであって、その逆ではない。先祖を生かし、自分を生かそうとする者が、結局は未来を信じる生産主義者でしかなく、ならば「先祖殺しのパラドックス」の危険をおかしてまでも、「この世界の死」を望むことこそ、ダーク・ドゥルージアンの「残酷」という情動というものではなかろうか。

 

「この世界を信じるべき何かを見つける」という大義の下で、与えられたものを肯定する生産主義者など批判されてしかるべきだ。世界がこんなに悲惨にもかかわらず、もっと良い世界になるための材料がここに予め全て含まれているかのように思い込んでいるおめでたい連中なのだ。こうした輩は、結局のところ、破壊の力を放棄したがゆえに、蓄積と再生産の論理を通じてしか、生産を利用=資本化(キャピタライズ)することができないのだと私はよく分かった。しかし、古いものを条件にして新しい世界を創設したとしても、そんな世界の地平が既存のものを超えて広がることはない。これに対して私が提案する別の選択肢は、世界を破壊する理由を見つけ出すことである。

 

 セイターは「息子を作ってしまったのが最大の失敗だ」と後悔する。それによって、どうしても「蓄積と再生産の論理を通じて」「生産を利用=資本化すること」に関わってしまうからだ。未来を失ったニヒリストのセイターが、唯一「世界を信じ」「未来を信じ」てしまった行為だ。だから、この息子マックスをめぐるセイターと主人公の攻防がことのほか重要になる。そのことは、ラストシーンが雄弁に語っているだろう。

 

 かつて柄谷行人は、「未来の他者」のことを考えることこそが「倫理」だと言った。それに対して、おそらくノーランなら「…だが、もう間に合わない」と言うだろう。未来にいるのは、もはや「他者」ではない。現在にさまざまな「負債」を理不尽に負わされ続けた挙句、はっきりと「敵」と化した者たちだ、と。

 

中島一夫

 

国民文学論は不毛だったか(その2)

 六〇年安保は、竹内の「民主か独裁か」の声とともに、あれほどまでに「国民」的に高揚していったといわれる。

 

 竹内は、「民主か独裁か、これが唯一最大の争点である。民主でないものは独裁であり、独裁でないものは民主である。中間はありえない」、「そこに安保問題をからませてはならない」と言った。安保闘争を「安保問題」ではなく、「国民」(民族)の「民主主義」の問題へと転回、収斂させていったのである。

 

 「民主か独裁か」の「民主」とは、西洋「近代主義」的で形式的な代表制民主主義が「独裁」に向かっているとして、それに対して真の「民主(主義)」を掲げようとするものだった。竹内の中では、真の「民主」と中国・毛沢東の「民族」とが、反「近代(主義)」=反西洋という一点で矛盾なく結びついていた。

 

そのような中国への高い評価は、欧米流の近代的な合理主義、およびそこに包摂される議会制民主主義を、多分に「形式的な民主」として懐疑の目を向ける姿勢と表裏一体のものでした。だからこそ、安保闘争における学生・民衆の直接行動を独裁に対峙する「民主」として評価する姿勢と、毛沢東時代の中国の政治状況を真に「民主」的なものとして――そこに形式ではない真の「民主」につながる契機を読みとって――肯定する姿勢とが、竹内の中では矛盾なくつながっていたわけです。(梶谷懐『日本と中国、「脱近代」の誘惑』二〇一五年)

 

 したがって、竹内自身は一貫して中国の方を向いていたが、先に述べたように、それ自体が冷戦構造の中では、不可避的にスターリン批判以降、「独裁」を捨て「平和共存」路線を進めつつあった、「平和」勢力としてのソ連を背景に可能となったのである。

 

 ならば、この「国民文学論―「民主か独裁か」」の線で、この国の「反米(親ソ)―愛国(民族)―民主―平和」はほぼ完成したとはいえないか。それは、現在の平和憲法を保守するリベラルへとつながっている。だとしたら、竹内の国民文学論は、不毛に終わったどころか、「現在」をも規定するこのイデオロギーを醸成させていく論争だったのである。

 

 「反米」を即「親ソ」は言い過ぎだろうか。だが、このあたりから左右は「共存」し混然一体となっていく(竹内はその象徴的な人物の一人だろう)。鵜飼哲が言うように、「唯一被爆国日本という言い方は、左右相乗りで五〇年代後半に出てくる。それが、六〇年安保の「巻き込まれる論」を規定した」(討議「「1968」という切断と連続」『悍』創刊号、二〇〇八年)。五〇年代後半から六〇年安保にかけての「民主―平和」論は、すでに「左右相乗り」である。「安保反対」の「対米従属―反米愛国」論も、社会党共産党主導であった。一国平和主義=一国社会主義であり、それが「戦後民主主義」というものだった。竹内の「国民文学論―「民主か独裁か」は、明らかにこの路線上にあった。

 

 その時、竹内の「民主か独裁か」、その「中間はない」は、いかなる機能を果たしたのか。以前書いたように(「江藤淳の共和制プラス・ワン」『子午線』vol.6)、丸山眞男「復初の説」(一九六〇年)――一九六〇年五月二十日(安保強行採決の日)は、一九四五年八月十五日の「反復」である――は、原爆―敗戦というこの国のトラウマを、「今度は巻き込まれるな」という形で象徴化した。「民主(主義)」革命はすでに「八月十五日」に訪れており、あとはそれを守ることだけが課題である、安保闘争は「八・一五革命」の「反復」としてあり、「八・一五革命」は安保の「原点=復初」である――。

 

「「五月二十日」が「八月十五日」を「反復」することで、外傷=現実界としてあった「八月十五日」を象徴界に回収するとした「復初の説」のミッションは完成した」(前掲論)。言い換えれば、「五月二十日」が「八月十五日」を「反復」するとは、「反復しない=過ちは繰り返しませぬから」ということにおいて、そうなのだ。

 

 竹内の「民主か独裁か」、その「中間はない」とは、すでに「成就」した丸山のいう「八・一五革命」を「反復」的に継承するか(民主)、否か(独裁)を迫る踏み絵だった。踏み絵なので、実質後者の選択肢はなかった。そして、六〇年安保において「反復」することで、前者の「八・一五革命=民主」を、この国の象徴界へと登録し、後者の「独裁」を象徴界の穴から「外傷=現実界」へと完全に捨て去る言説として機能した。そのとき、まさに「中間はない」ように「去勢」が行なわれたのだ。以降、われわれは、いまだに「独裁」を、原爆―敗戦というトラウマ=タブーとしてしか感受できない(前掲論で述べたように、そのタブーは「王殺し」のタブーと表裏である)。むろん、プロレタリア独裁を含めてである。

 

 だが、「民主か独裁か」の「独裁」とは、本質的には「民主」においては曖昧になってしまうほかない「主権」のありかの問題ではなかったか。それ以来、われわれは主権そのもののかわりに、「主権」の象徴物(名ばかり「国民主権」)で我慢する「主体」となった。母の不在を、その象徴物=糸巻きで我慢するフロイトの孫娘のように。フロイトは「子供時代はもうない」と言ったが、われわれには「主権時代はもうない」。「民主か独裁か」は、このように、この国の「Fort(独裁)―Da(民主)」として機能したのではないか。

 

 主権そのものを再び思考するには、すでに忘却されている五月二十日を糸巻きそのものとして手繰り寄せ、そのうえで八月十五日―五月二十日の鎖を解きほぐす「日本精神分析」(柄谷行人)が必要だろう。竹内の国民文学論は不毛に終わったという言説は、「国民文学論―「民主か独裁か」の過程で起こった、これら一連の「主体」化=去勢やトラウマを、忘却させるものでしかなかったといえるだろう。

 

中島一夫

 

国民文学論は不毛だったか

 前田愛「国民文学論の行方」(一九七八年五月『思想の科学』)などを見ても、竹内好が提唱し、戦後最大規模の文学論争に発展した「国民文学論」は、しかしきわめて不毛に終わったというのが概ね定説になっているようだ。前田は、不毛に終わった原因を、竹内の国民文学論が、結局は「共産党の政治路線の変更と消長をともにし」、「文学運動としての自律性を欠いたこと」に求めている。

 

国民文学論の口火を切った竹内の「近代主義と民族の問題」(「文学」)が発表された昭和二十六年九月は、サンフランシスコ講和条約が調印された月であり、共産党幹部が地下潜行を余儀なくされた月である。戦後日本の重要な曲り角のひとつであった。前年の一月にはコミンフォルム日本共産党批判が出され、六月には朝鮮戦争がはじまっていた。コミンフォルムの批判を契機に主流派と国際派に分裂した日本共産党は、この年の二月に国際派を分派活動と規定する四全協の決議を採択、ついで十一月にひらかれた五全協では、アメリカ占領軍を解放軍と規定していたこれまでの平和革命路線が百八十度転回され、日本がアメリカの植民地であり、従属国であるという現状認識のうえに立って、民族解放民主革命の路線をあらたに打ち出した綱領が採択される。竹内の国民文学論が、この民族解放の新路線に強引に組みこまれ、中国の解放文学の強い影響のもとにあった共産党主流派の文化政策の重要なテーゼのひとつとして、「新日本文学」に対抗する勢力を結集した「人民文学」の誌上でくりかえし論議されたことはよく知られているとおりである。

 

 国民文学論の政治的背景は、大筋前田の述べるとおりだろう。だが、竹内の国民文学論は、本当に、共産党の新路線に「強引に」組みこまれたのだろうか。

 

 前田の言いたいことはわかる。竹内の国民文学論が、共産党の主流派と国際派、『人民文学』と『新日本文学』の対立に巻き込まれ(あるいは対立を激化させ)、前者に吸収された結果、竹内の国民文学論の「もっとも主要なモチーフをなしていた近代主義批判がきれいに切りすてられて」しまった、竹内の国民文学は何より「「近代」総体への問いかけ」だったにもかかわらず。要は、国民文学論にこめられていた共産党マルクス主義近代主義そのものへの批判が、削ぎ落されてしまったということだろう。

 

 だからこそ、前田は、竹内の意図を、「戦前の知識人をとらえていた「理論信仰」への懐疑から出発し、大衆の実感そのもののなかに入りこんで行」こうとした「思想の科学」グループへと、「正しく」接続し直そうとするのだ(『思想の科学』に発表されていることもあるが)。「竹内好の意図が「文学の国民的解放」にあったとすれば、「思想の科学」グループの目指していたところは、「思想の国民的解放」にあったといってもいい」。

 

 だが、ここには、文学に政治からの自律を求めるあまり、最悪の政治性が表れてはいないか。そもそも、竹内が「近代主義」に対して「民族」を掲げた枠組自体が、講座派マルクス主義的な歴史観に基づくものではなかったか。講座派的な二段階革命論の第一段階においては、民主主義革命を目指す民族解放路線=ナショナリズムがとられるほかない。竹内の主張する「民族」は、決してこれと矛盾するものではない。

 

 とりわけ、前田の言うように、竹内が国民文学論を提唱した時期は、解放軍が占領軍だったことで共産党が反米愛国に革命路線を転じていった時期であり、両者の並行性は自明だったはずだ。しかも、その反米愛国は、「反米」である以上、冷戦体制の枠組で見れば、主観的にはどうあれ、相対的にはソ連という「平和」勢力=「平和共存」の側につくことを意味していた。いかに、前田が(国民)文学(論)の自律性を求め、竹内の「民族」が反「近代主義共産主義」たろうとしていたとしても。こうして、反米―愛国(民族)―民主―平和は、ねじれを含みながらも、相互に結びついていく土壌が醸成されていた。

 

 何もことさらに、竹内の国民文学論を、共産党の革命路線(の変更)と同一視したいわけではない。そうではなく、国民文学論は不毛に終わったどころか、その後の六〇年安保を準備したのではないかと思うのだ。すなわち、竹内の国民文学論は、安保における竹内の総括、「民主か独裁か」に直結していったのではないか、と。

 

(続く)

 

はちどり(キム・ボラ)


2度と戻らない10代、私の人生もいつか輝くでしょうか?映画『はちどり』予告編

 

 

 主人公である中二の少女「ウニ」が、リビングのソファの下をのぞきこみ、ガラスの破片が落ちているのを見つける。いつかの夫婦喧嘩で、たまりかねた母が、父に向って振りかざしたランプの残骸だ。母の暴力で父が血を流す。それは、いまだ家父長制の強い一九九四年当時の韓国の家庭において、ついに振り上げられた女性の拳の証だ。けれど、一方でそれは家族が不安定になっていくのと引き換えだろう。

 

 この破片のように、家族はとうにバラバラなのかもしれない。破片は、ウニの心の傷でもあり、それを通して彼女が世界を映し見る心の窓でもある。こうして監督は、多義的に作用するさまざまな破片=アイテムをパズルのように並べながら、一九九四年の韓国の像を丹念に描いていく。本作が支持されているのは、観客の心に映し出される、これらの破片のディテールによるところが大きいのではないか。

 

 冒頭から集合住宅の玄関に進路を阻まれるように、この作品でウニは何度となく世界との「通路」を断たれてしまう。心の通路を通わせていたと信じていた親友に裏切られ、ボーイフレンドからは連絡が途絶える。愛を告白してきた同性の後輩は、学期が変われば心変わり。いったい、この世界に、自らを迎え入れてくれるドア=通路は存在するのか。

 

 家の中で強権的な家父長たらんとしている父は、家の外の病院で突然嗚咽する。いつも、家を守っている母も、ある時外で姿を見かけて何度も呼び掛けたのに、一向に応えてくれない。まるで家の外では、父でも母でもないかのように。父も母も兄妹も、それぞれの部屋のドアで守られた「役割」にすぎなかったように。「死なないと思っていた」金日成すら逝去したではないか。

 

 そんななか、ウニにとって、漢文塾のヨンジ先生の存在だけが「確かさ」だ。漢字廃止の中で、だが「漢文」で人生を教え、悲しい時は「烏龍茶」を出して気持ちに寄り添ってくれるヨンジは、ウニにとって、ハングルだけで意味がとりにくくなっている世界の「意味」を教えてくれる、「漢字」のような普遍性=核だったのではないか。いつ会っても、気分や感情に押し流されず、落ち着いた心で接してくれる安定感。

 

 だが、その世界の支えも、一九九四年の聖水(ソンス)大橋の崩落によって、無残にも奪われてしまう。ソウル中心を流れる漢江に架けられた聖水大橋は、「漢江の奇跡」と呼ばれた韓国の経済成長の象徴だった。ヨンジの母が「あんな大きな橋が落ちるなんて…」と嘆くように、この橋の崩落は、三年後の通貨危機を予兆するような、ひとつの時代の「終り」の感覚を韓国全体にもたらす大事故だった。

 

 過熱化した受験戦争にまい進し、ソウル大受験を控えていた兄。たびたびウニに暴力を奮い、一度は鼓膜を破りもしたこの小さな「家父長=暴君」が、事故を知ってふいに食卓で泣き崩れるのも、自ら手繰り寄せようとしていた未来が、突然見えなくなってしまったかのような、この国民に共有された感情だろう。大きな橋=通路が壊れ、同時に各食卓で小さな未来への通路も壊れた。

 

 思えば作品は、先に触れたように、こうした「通路」の遮断を冒頭から告げてきた。そして、それを通奏低音のように予兆していたのが、ウニがずっと悩まされてきた耳のしこりだろう。ウニの耳の違和感は、まさにウニと世界との「通路」の渋滞であり不具合だ。このように、経済、社会、家族、…といった人と人、ものとものとの「通路」が、この作品では終始滞っているのである。

 

 滞っているのは、経済成長ばかりではない。ヨンジは、いわゆる「386世代」(一九九〇年代に30代で、八〇年代に大学生として民主化運動に関わった、六〇年代生まれ)の一人だ。彼女は、おそらく学生運動に身を投じた結果、現在長期休学中であり、この漢文塾でバイトしているのである。それを示しているのが、八〇年代には禁書だった本棚の『資本論』と、ウニらに歌った労働運動の歌「切れた指」だろう。

 

 386世代を中心とする民主化運動の結果、韓国は開発独裁の軍事政権や、それに伴う旧来の既得権益層の支配から徐々に脱却していく。「漢江の奇跡」はその一つの成果だろう。だが、同時にそれは社会の流動化や家族の解体をもたらした。いつもどこか虚空を見つめているようなヨンジの表情は、果たして革命は成功したのかどうなのか、よくわからないというふうにも見える。結局、経済成長の象徴だった橋=通路が、ヨンジを飲み込んでしまったからだ。

 

 ここでは、革命=民主化も滞っている。金日成死去のニュースに、人々は「万歳すべき? どうしたらいいの?」と態度を決めかねる。その一九九四年の逡巡は、いまだなおこの国を規定している。ウニがリビングで一人、感情に任せて身をくねらせる、地団駄とも踊りともつかぬ「イカダンス」は、そのジレンマの表現のようだ。

 

中島一夫

 

持久戦は持続しているか その3

 そのグラムシ主義や第三世界論の、資本主義への「回収」ぶりが露骨に現れたのが、「土地」の問題だろう。津村は、これについても、「革命の考古学」や「共同体論」として、当初から問題の所在を示していた。滝田修のパルチザン論を批判した藤本進治の第二戦線論に即しつつ、津村が述べているところを見よう。

 

滝田の歴史的なパルチ構想が、二重に風化していったことこそ、一方で地域パルチとして、地味で粘り強くはあるが手工業性に埋没しがちな地域闘争へと、他方でこの高密度社会で牧歌的なゲリラが可能だと考える放浪(漂流)幻想へとその輪を拡げていったことを考えれば、藤本進治のこの提案の冷静さは貴重なものであった。それは長期の展望をもった、持久戦をよびかけていた。

 この第二戦線論の影響下に、一九七〇年に東京のアップルハウス(*)でなされたひとつの実験を簡単に振返っておくことは無駄ではないだろう。さしあたり前線との交渉をもたない後方の建設の、それは実験であり、数人の規律正しい共同生活の中で、経済建設と整風運動の展開とを目ざしたものである。この共同体は、中国人民の戦争準備のよびかけに応えて、「戦争に備える家族」と命名された。〔…〕にもかかわらず、彼らは〈衣〉と〈食〉にかんしては、資本主義とブルジョアジーは、これらの矛盾を解決しえないまでも、非敵対的に処理する力をもっているという結論に達せざるをえなかった。資本主義にとってと同様、この共同体にとっても最大のアポリアは、〈住〉にあると思われた。土地問題及び住宅問題は、新資本主義によっても決して解決しえないだろう。〔…〕「戦争に備える家族」は、やや単純にいえばアップルハウスを維持すべきか、経済建設のためには転居し縮小すべきかの対立を契機に、解体した。そして、〈住〉の問題のみを、ひらかれたままに残した。それは、〈居住の権利〉、すなわち、〈在日〉しつづけることへの権利の問題である。(「革命の考古学あるいは共同体論」)

  

 現在、〈衣〉〈食〉について、資本主義とブルジョアジーが「非敵対的に処理」したことは、それらが相対的に廉価で所有し得ていることの一事をもっても分かる。それに対して、〈住〉は依然として圧倒的に高価であり、「土地問題及び住宅問題は、新資本主義によっても決して解決しえない」「最大のアポリア」である。

 

 津村は、中国人民の反帝国主義戦線と連携すべき「戦争に備える家族」は、「やや単純にいえばアップルハウスを維持すべきか、経済建設のためには転居し縮小すべきかの対立を契機に、解体した」と言う。このアップルハウス解体には、資本主義の脱領土化―脱土地化の力に抵抗しきれずに、パルチザン=持久戦がすでに不可能になりつつある兆しがあり、以降津村の言う「居住の権利=〈在日〉しつづけることへの権利」は不断に脅かされている(津村の「在日」差別への闘争が、本質的には「土地=居住」をめぐるものだったこともわかる)。

 

 そして、その帰結がすがの言う「土地なきパルチザン」だろう。

 

シュミットのパルティザンって、要するに土地に根差すことでしょう。でも資本主義がどんどんどんどん、土着的なものを解体していく(ドゥルーズガタリ的に言えば「脱土地化」)していくから、パルティザンというのが成り立たなくなる。パルティザンというのは、土地を奪われて自由浮動的に動いているわけだけど、一方では土地を求め、土地に執着しているわけです。

卑近な例をあげると、日本に学生運動がなくなったというのも、自治会やサークル部室という「土地」が奪われたからなわけで、最後の学生運動が、その奪還を目指した二〇〇一年の早稲田サークル部室撤去反対闘争と東大の駒場寮闘争――それから山形大にも寮闘争があった――という「土地」収奪に反対する闘争だったのは、そういう意味です。〔…〕おれは、ストリート系の運動の意義は認めないわけではないけれど、「土地なきパルティザン」というのは、本当に可能なのか、かなり疑問なところがあります。詳述は省くけれども、それはつまり、キャンパスでビラも撒けないことを良しとするSEALDsに帰結してしまったわけでしょう。

それはともかく、国軍という陸軍中心だった戦争機械も脱土地化されて、空軍中心になっちゃったわけです。まあ、土地なきパルティザン、あるいは土地を求めないパルティザンというのが、果たして可能なのか、というのは現在の大きな問題で、コンピューターのハッカーとかいろいろ言われることもあるんでしょうが、おれは上手く解答できないですね。(『生前退位――天皇制廃止――共和制日本へ』)

  

 津村が述べていたアップルハウスで起こったことは、その後大学の学生寮やサークル部室で繰り返されたということだろう。「ビラ撒きも出来ないキャンパス」という批判にはいつも自己批判するほかないが、この状況のなか、いまやそれを超えて入場できないキャンパスと化している。それに対して学生たちが「対面授業」を超えて「キャンパス解放=占拠」を求めていくような契機は、今のところ見出されない。「学生消費者主義」がほぼ完成され、学生もキャンパスを、サービスが提供される場所以上の認識をもつことが不可能になっている。欲望はサービスに向かっているのであって、「土地」の「解放=占拠」に向かっているのではない。

 

 すがの「国民皆兵論」が、「国軍という陸軍中心だった戦争機械も脱土地化されて、空軍中心になっちゃった」(ブルーインパルス!)ことへの、すなわち「土地なきパルティザン」への抵抗として提起されたことが重要だろう。それは、資本主義の脱領土化=脱土地化の力に半ば随伴してきた持久戦やグラムシ主義(あるいは現在主流のアナーキズム)から、再領土化の力へと転換していくその尖端を、むしろ革命の契機として捉えようということではなかったか。

 

 「パラドックスは、資本主義がもろもろの再領土化を行うために、〈原国家〉を利用するということである」(『アンチ・オイディプス』)。資本主義が国家を必要とする以上、いくら脱構築グローバル化しても、それは決して無にならない。そうである以上、それは必ず再領土化への力をはらんでいるからである(先に述べたように、民主党政権誕生あるいは3・11あたりが、脱領土化=持久戦のリミットではなかったか)。

 

 それは一見、「揺り戻し=いつか来た道」に見えて、その実、脱領土化と再領土化の両極を揺れ動きながら、先へ先へと進む「いまだ来たらざる道」ではないだろうか。土地の地代が「いつか来た道」に見えて、レント資本主義のモデル=「いまだ来たらざる道」として、いまや資本主義のベースと化しているように。津村とすがの間の議論は、この両極をめぐっていたように思える。


  

(*)アップルハウス…一九六八年、東京・渋谷区南平台の内田定槌(明治―大正期の外交官)邸の敷地内の離れにできた「コミューン」。当初、日本におけるビートルズのファンクラブの事務局兼クラブハウスとして開設されたが、高校・大学生が集まるようになり、反戦コンサート開催やロック新聞発行、東京12チャンネル労組、鈴木清順共闘などの会議が行われるようになり、早稲田大学反戦連合や「青い芝の会」、寺山修司、原將人、東由多加木下恵介ジョン・レノンオノ・ヨーコなどが出入りした。

 

中島一夫