階段と戦争――小津安二郎の「不潔」


 

全日記 小津安二郎

全日記 小津安二郎

 

 

 『全日記 小津安二郎』(一九九三年)や、田中眞澄『小津安二郎周游』(二〇〇四年)以来、小津安二郎が、野戦瓦斯第二中隊の分隊長として、日本軍の中国侵略とその毒ガス使用に深く関与し、また従軍慰安婦との関わりもあったことが明らかになってきている。だが、四方田犬彦が言うように、「小津は毒ガスに対しても、従軍慰安婦体験(日記に言及あり)に関しても、戦後は一貫して沈黙を守った。ただ『東京物語』と『秋刀魚の味』の酒場で、背後に軍艦マーチを流した。見たくない光景は割愛する。語りたくないことには沈黙する」(「『東京物語』の余白に」、『ユリイカ 総特集小津安二郎』二〇一三年)と。

 

 この言葉をふまえて、例えば『風の中の牝鶏』(一九四八年)を見返してみると、そこに小津の強固な意志のようなものが感じられてならない。特に、復員した佐野周二が、妻の田中絹代を階段から突き落とす、あのクライマックスシーンである。この時、子供の入院費を稼ごうと一夜だけ売春した妻は、ひょっとしたら小津自身の従軍慰安婦体験を拭い去るように、二階から真っ逆さまに転落させられたのではあるまいか。

 

 クライマックスの前に、夫は、妻が身を売りに行ったという曖昧宿を訪ね、そこで出会った娼婦にも「なぜこんな商売をしているのか」、「君の勤めを探してきてやる」と、何とか足を洗わせようとする。そして、同僚の笠智衆に、次のように苦しい胸の内を吐露するのだ。「何かくすぶっているんだ、いらいらするんだ、脂汗が出てくるんだ、よく寝られないんだ、怒鳴ってやりたくなるんだ!」。

 

 「どうしてその(曖昧宿の)女は許せて、奥さんのことは許せないんだ」と問われ、眉間にしわを寄せながら、佐野は「もう許している」と答える。彼は、許しているのに許せないのだ。いや、妻は許せても、自分が許せないのである。先のセリフは、怒りがすべて自分自身に跳ね返ってくることを示している。妻の体を目の前にすると、自然と戦争体験が想起されるから、「脂汗が出て」「よく寝られない」のではないか。

 

 夫は、自ら経験した戦場が、復員後、この家の中にも浸食していることを痛切に思い知る。まさにそこは「銃」後であり、自らは復「員」したのだ――。階段から突き落とした後、「大丈夫か」と声をかけるものの助け上げることもせず、妻が足を引き摺りながら急勾配の階段を自力で這い上がってくるのを待ってから、「この先どんなことがあっても動じない俺とお前になるんだ」と抱きすくめる。そのときの佐野は、さながら、負傷兵に肩を貸す小津分隊長のようである。従軍慰安婦体験を拭い去ろうと、体を売った妻を突き落としたものの、這い上がってきた彼女を見て、戦争体験が都合よく消え去ってはくれず、戦争が終わっても、どこまで行っても「戦争」なのだということを、夫は覚悟したのではないか。

 

 繰り返せば、四方田が言うように、その後も小津は、自らの戦争体験について「沈黙を守った」。だからこその「朴訥」な笠智衆の起用でもあったろう。そして、その沈黙は、『監督 小津安二郎』(一九八三年)の蓮實重彦が指摘するとおり、それ以降の小津作品の「家」から「階段」を消し去ることになる。田中絹代が落下した階段は、二度と小津作品に映し出されてはならないものだったのだ。

 

(続く)