『津村喬精選評論集』(論創社)刊行記念トークセッションが終了

 上記評論集の著者である津村喬氏と、編者のすが秀実氏によるトークセッションに、司会として参加した。話は多岐にわたったが、ここでは、言葉の奪還としての津村思想について、簡単にふりかえっておきたい。

 津村氏の広大な思考の根底には、次のような感覚が共有されていると思われる。

人はもちろん〈われわれ〉でありたいために書くのであるけれども、言葉によって〈私〉を解体していくことと、〈私〉の内なる〈われわれ〉をそのようなものとして受け手に伝えることとの間には、比喩的にいえば千里の径庭があるのである。言語の実践的本質は、この〈通じないこと〉のうちにあると私は考えている。(「カーマイケル語録・序文」評論集p36)

 津村氏は、まるでこの〈通じないこと〉を訴えるために、あれだけ膨大な言葉(いまだその全貌はつかめないようだ)を書きつけねばならなかったような気がしてならない。津村氏は、すでに69年のビラに「ぼくはぼくの言葉で語りたい」と書いているが、「ぼくはぼくの言葉で語」るのは不可能なのだから。

 言葉は、「国=語」に、帝国主義に、「帝大」に、入管体制に、「西風」に、広告=キャンペーンに、ヤマトに、すなわち世界資本主義(岩田弘)の「上部構造」にすでに簒奪されているからだ。その制度の上で何を語っても、それは語らされていることにしかならない。したがって、津村氏のいう革命も、プロレタリアートが「上部構造」へ進駐し、言葉=歴史を奪還することによってしかなし得ない。

 重要なのは、これが、おなじみの、疎外されたものの回復という単純な物語ではないことだ。なぜなら、われわれが世界資本主義における(旧)先進国の住民である時点で、むしろ「隣の〈異邦人〉」を疎外し差別する立場に立たされているからだ。

資本は労働予備軍を必要とするが、この労働予備軍の持続を保証する労働後備軍が資本の論理の現存性において社会的に必要となる(例えば釜ヶ崎、山谷で、或いは極貧の農村で、朝鮮人、未開放部落民への差別意識が最も著しい)。これがユダヤ人、すなわち資本にとっての他者ということであり、これこそが世界性を持った資本が一国的に展開する構造の秘密であると考えられるのだが、こうしてみると、日本資本主義の内部にいるわれわれにとって、ユダヤ人とは、部落、沖縄、朝鮮そして台湾を含む中国だということは断るまでもないだろう。(「《帝大解体》と部落・沖縄・朝鮮の視点」評論集p26)

 ここでは、疎外されている(側に同化している)と思い込んでいる者が、疎外している者へと転化する。津村氏は、これをブレヒトの「異化」の問題として展開するだろう。ここでは、意識的、無意識的問わず、構造的な「差別」が不可避である。津村氏が、「差別」を「われらの内なる」ものとして見出したのは、「われら」の「内」側に、すでに不可避的な構造として、差別が折りたたまれてあるからだ。

 ドゥルーズは、コミュニケーション社会の到来によってコミュニズムに近づいたというネグリをたしなめるように、創造とコミュニケーションを峻別した(『記号と事件』)。すでにコミュニケーションはどっぷり金銭(資本主義)に毒されており、むしろ必要なのはそこから逃走することだ、と。むろん、ここで言われるコミュニケーションには、フーコーの「管理社会」がふまえられており、要は、コミュニケーションとは企業の言葉だと、ドゥルーズは言ったわけだ。

 いわば、コミュニケーションは、世界資本主義の「上部構造」を成している。だからこそ、それは、社会の末端に至るまで支配的、権力的に機能する。現在、就職活動をしようがしまいが、誰もコミュニケーション能力から逃れられない。それが不足している者は、「コミュ障」などと呼ばれ、劣ったものと差別される。

 津村氏の視点を導入してみよう。支配的な「上部構造」としての「コミュ力」は、それ自体、世界資本主義の「構造」的な要請である。すなわち、主な生産拠点をすでに旧第三世界に移している旧先進国の企業は、国内には本社機能のみを残している。そして、本社機能で必要とされるのが、営業や企画、マネージメントといったまさに「コミュ力」なのだ。

 先進国内においても、工場の生産点労働者がマジョリティーだった時点では、むしろコミュ力などいらない、ぺちゃくちゃしゃべるな、「男は黙って高倉健」(と言ったら、すが氏に「古いなあ」と笑われた)といった価値にこそヘゲモニーがあった。ということは、コミュ力などというものは、何ら普遍的なものではなく、その都度の資本主義の要請によって、いくらでも変容し得る「上部構造」にすぎないということだ。ここでは、「ぼくはぼくの言葉で語」れずに、常に何かを語らされている。しかもそれは同時に、旧第三世界を黙らせ、彼らから言葉を奪っているのである。

 自らの言葉も奪われているにもかかわらず、なおかつ、「隣の〈異邦人〉」の言葉をも奪っていること。まさに、資本は、労働者から、二重に言葉を奪っているのだ。

 すが氏がさかんに述べるように、「反原発は反資本主義としてしかあり得ない」(「週刊読書人」10月12日号の小熊英二氏への反論など)のも、こうした「構造」による。国内の反原発運動は、原発(の危険)によって言葉を奪われていると主張するが、それは同時に、生産拠点を押し付けられているがゆえに大量の電力を必要とし、その押し付けがましい理由によって原発をも押し付けられている、旧第三世界の言葉を奪っているのではないのか。

 したがって、すが氏の『反原発の思想史』は、それがいかに愚劣なものであろうとも、また美しい「誤解」であろうとも、といって、第三世界論=毛沢東主義にたち帰って思考しようとする。そして、津村氏は、すでに70年代から、まさにその文脈で、反原発論や運動を展開していたのだ。両者の思考の交差点が、「今こそ」読まれるべきだと考えるのはそのためだ。

中島一夫