クロッシング(キム・テギュン)

 1000人超にわたる「脱北者」に取材を重ね、助監督はじめ30人あまり実際の脱北者がスタッフに加わっていると聞く。

 北朝鮮問題のジャーナリストで知られる石丸次郎なども、その映像は「まるで90年代の北朝鮮からそのまま切り取ってきたかのようであ」り、「描写と状況設定のリアルさへのこだわりは、「北朝鮮問題の素人」の仕事ではないと思うほどだった」と太鼓判を押す。

 だが、果たして『クロッシング』は、本当に脱北者の現状をリアルに映し出しているのだろうか。

 なるほど、石丸が言うように、息子ジュニの父ヨンスが、食糧を得るためにテレビを闇市場で売ったり、その闇市場に群がる飢えた子供達が、露店の残飯をビニール袋に集めて回るシーンなどは、かなりリアルなのだろう。

 また、ジュニと彼が思いを寄せる少女ミソンが、国境警備隊に捕まり収容される「鍛錬隊」なる強制労働キャンプの様子なども、石丸らが北朝鮮の人々から聞き取りした事実に即しているという(そこでは、日中は土木工事現場で働かされ、夜は牢屋で「将軍様の教示」を暗唱させられる)。

 あるいは、ジュニが、父を求めてモンゴル国境に向かうゴビ砂漠で息絶える場面は、同じく広大なこの砂漠にさまよった果てに亡くなった、2001年のチョルミン少年事件が背景にあるようだ。

 であれば、なおさら、事実を事実として即物的に伝えてほしかった。
 この映画は、北朝鮮絶対的貧困が一家離散を招いているさまを、音楽やスロー映像を交えながら、ことさら悲劇的に描く。雨や夕焼けの空の画は美しすぎ、母との死別やそれをめぐる父子の電話のシーンなどは「ここで泣け」とばかりの盛り上げ方だ。

 その制作側のねらい通り、立ち見が出るほど満席の映画館では、そこかしこですすり泣きが絶えない。だが、いったいその「涙」は何の涙なのか。

 何も観客の感動を疑っているわけではない。この種の「感動もの」があってもいいと思う。だが、その涙は、決して北朝鮮の現実を目の当たりにしたからではないはずだ。本当に北朝鮮の現実を目にしたら、おそらく涙など出ないだろうから。

 この映画の問題点は、せっかく専門家の目から見てもリアルであるらしい描写すら、あまりに過剰な劇化によって、かえってフィクショナルなものに見せてしまっている点にある。

 では、人はこの作品の何に涙するのか。
 それは、かつてこの国にもあっただろう絶対的な貧困や、親子の間にある親愛の情、互いを敬う心に対するものではないだろうか。父の不在の間に母を死なせてしまい、「お父さんごめんなさい。ごめんなさい。僕はお父さんとの約束を守れませんでした」と何度も何度も息子が謝罪するシーンは、彼の言葉がまさに敬語であることによってその感動を倍化させる。

 確か、北朝鮮から帰国した地村氏の父だったと記憶するが、地村夫妻の子供が北朝鮮で礼儀正しく育っていたのを見て、思わず「北朝鮮も悪くない国だ」と口走ってしまった(もちろん、その発言はその後かき消された)ことが思い出される。韓流ドラマの「純愛」に対する視線もそうだが、基本的にそこにあるのは、我々にはすでに失われたものへのノスタルジーだというのは、果たして穿ち過ぎだろうか。

 そして、映画もまた、そうしたノスタルジーに見合う構造をもっている。
 冒頭近くの「死んだら天国に行って、また家族みんなで暮らせたらいいね」というジュニの言葉は、その後の家族の悲劇的な展開を雄弁すぎるほどに語っている。彼らにとって、モンゴルの雄大な砂漠が、そしてそこに降る慈愛の雨が、毀損した家族共同体を縫合し、もう一度家族をひき会わせる「天国=自然」として想起されていることは、ラストシーンからも明らかだ(半ば冗談だが、失われつつある「国技」を、日本人よりも日本人らしいモンゴル人たちが支えているという風景も、どこかノスタルジックなものを感じさせる。彼らは、かつては強く優しかった「日本人」として見られており、だからこそ、そうでない、はみ出し者は「困る」のだ)。

 チラシのコメントには、評者から寄せられた「隣人」や「隣国」という言葉が多数読まれる。だが、もし実際に北朝鮮の体制が崩壊し、脱北者が大量にこの国になだれ込んできたとしたらどうだろう。我々は、この作品から喚起されるような「隣人」や「隣国」への同情や愛情を、そのときもなお保持し得るだろうか。真の「隣人」「隣国」たる中国などが、脱北者らに対して取る(公安などの)強硬な姿勢や、韓国での脱北者に注がれる視線などは、事態がそう単純ではないことを告げてはいないか。

 父ヨンスは、結核で倒れた妻の薬を求めて脱北し、中国から韓国、さらにモンゴルへと渡っていく。だが皮肉なことに、希望(薬、金銭)を求めて彼が国境をまたぐ度に、妻が死に、息子が家を離れ、自らもどんどん本国から遠く離れていき…、というふうに、一家は離散の度を増していってしまうのだ。韓国に行き着いた父は、もはや妻の死も、息子の状況も、ブローカー(との携帯電話での通話)を通じてしか知り得ない。

 南=ソウルのビル群と、北=咸鏡南道の路地とを、交互に映し出す映像のギャップにはめまいを覚えずにいられないが、それは父が北(絶対的貧困)から離れ、着々とメディアや金銭や新しいサッカーボール(もちろん、すべてがコミュニケーションツールであることが重要なのだ)を手にいれればいれるほど、貧しくても肩を寄せ合って生きていた本来の家族共同体(父とジュニは石ころでサッカーをしていた)からは遠ざかっていっていることを示している。ちょうど、われわれもまた、とうにその「場所」からは遠く離れてしまったように。

中島一夫