ペパーミント・キャンディー(イ・チャンドン)

 今回、4Kレストア・デジタルリマスター版で見直してみて、改めてこれほどまでに「後悔」を映像化した作品もないと感じた。

 

 (ネタバレになるが)主人公キム・ヨンホの人生を一本のレールに見立てて、列車を後へ後へと逆走させていき、彼の死から生を逆回しに遡行して映し出していく。作品全体が、ヨンホが死ぬ直前に見る夢のようだ。「後悔」を体現している構成といえる。

 

 なぜあのとき主人公はそんなことを言い、またあんな行動をとったのか。それらが、何年か前の彼を映す後続のシーンから、すべて浮き彫りになる仕掛けになっている。伏線は完全に回収され、手紙(シニフィアン)は必ず宛先へと届く――。したがって、ラストシーンに至る頃には、観客は主人公の人生に何があったのかを理解し、彼の人生のとりかえしのつかない「後悔」に同情を禁じ得なくなっている。

 

 「いつかカメラで名もない花を撮りたい」。初恋の女性スムニに、親指と人差し指とで作ったファインダーを向けながらそう語った、写真家志望だった純粋なヨンホが、なぜその後刑事として暴力的な尋問を行い、また平気で不倫をした果てに妻と子を捨てるような冷血な男になってしまったのか。もちろん、人間が全く別人になり果てる理由は決して一つではないだろう。ただ彼にとって、1980年の光州事件での出来事が大きな転機となったことは間違いない。

 

 そのとき偶然にも兵役中だったヨンホは、民主化運動を展開する市民との市街戦に、兵士として巻き込まれることになる。そして、流れ弾に足を撃たれ、動けなくなっていた彼の前に突然現れた女子高生を、誤射し死亡させてしまうのだ。

 

 思えば、あわただしく出動命令が下りたとき、まったく心の準備が出来ていなかったヨンホは、スムニから送られたペパーミントキャンディーの箱――その味がスムニとの出会いの記憶を蘇らせる――を床にぶちまけてしまうのだった。上官はそれを見て激しく怒鳴り散らす。ヨンホは急き立てられるように、足許に散らばったペパーミントキャンディを、軍靴の底で踏みつぶしながらふらふらと飛び出していくほかない。そのとき以来、決定的にヨンホは、ペパーミントキャンディ=スムニから引き離された「世界」――それはスムニと出会ったあのピクニックで、フォークソングを歌う若者たち(やがて民主化運動に加わっていったであろう人々)の輪から一人外れた「場所」でもあろう――で生きていくことになる。

 

 その後のヨンホは、あらゆる場所で疎外される日陰者であり、付き合いにくい厄介者となっていく。この作品が、韓国で評判になったのは、キム・ヨンホという一個の精神が、1980年の光州事件から97年のIMF改革=新自由主義の危機にかけて、時代の荒波に飲まれていくその姿が共感を呼んだからだろう。この時代を駆け抜けた韓国の若者に、いったい「後悔」以外の人生があっただろうか。彼らは皆、時代に翻弄され、大なり小なりペパーミントキャンディという夢や希望を、自ら踏みつぶしては前に進んでいくような生き方しか許されなかったのではないだろうか。

 

 ラストのキム・ヨンホは、二十年後のヨンホとして二十年分の涙を流す。本当に救いがないフィルムだ。だが、二十年後のヨンホが、一人輪を離れて迫りくる列車に立ちはだかる姿を見て、涙を流す旧友がたった一人だけ見える。そして、その一人こそ、韓国の観客たちの姿でもあったのである。

 

中島一夫

 

ブラック・クランズマン(スパイク・リー)

 スパイク・リーはいつもあまりに直球なので、ある時期からちょっと食傷気味だったが、これは彼の最高傑作ではないか。

 

 まずは、原題「BlacKkKlansman」(黒の一族の人間)が多義的で示唆的。

 今作のテーマである白人至上主義団体KKK「クー・クラックス・クラン」が、「black」「man」に挿まれることで、コロラドスプリングス警察で初の黒人刑事となった「ロン」(ジョン・デヴィッド・ワシントン。デンゼルの長男)がKKKへと、つまり黒人が白人団体へと潜入捜査をするという破天荒のストーリーがほのめかされている。と同時に、依然として世界は白人中心に回っていて、その外側に黒人はじめマイノリティが排除されているという世界の構造そのものが示されているとも読めるだろう。

 

 ここまでだったら、いつものスパイクの直球。だが、今作はひねりが効いている。

 

 その黒人と白人の間に、第三の要素「ユダヤ人」が挿まれているのだ。ロンの同僚でユダヤ人の「フリップ」(アダム・ドライヴァー)の存在である。

 

 当初フリップは、ロンのKKK潜入計画に乗り気でなかった。見かけが白人なので、当然のように、彼は「白人」の側に位置していたからだ。だが、そのために、彼が黒人のロンの代わりに潜入するはめになる。

 

 ユダヤ人は、歴史的に差別されてきたものの、見かけが白人で社会の中に溶け込んでいる。紛らわしくて見分けがつかない。だから「反ユダヤ主義」の歴史は、いつも「誰がユダヤ人か」を明確に同定することをめぐってきた。「ユダヤ人」とは、すでに白人社会の中に「潜入」している存在なのだ。

 

 KKKは白人至上主義の純粋性を不断に保とうとする団体だ。とりわけユダヤ人の紛れ込みには異常に敏感である。今作でもフリップは、危うくウソ発見器にかけられそうになる。フリップは、KKKの中に潜入しているかぎり、自らが「白人」であり「ユダヤ人」であるという、作中出て来る「二重意識」(デュボイス)を抱きながら、かつ自らの「ユダヤ性」を否認し続けなければならない。

 

 これは、いつもロンが「黒人」であり「アメリカ人(の警察官)」(したがって黒人の暴動があれば、彼らの「敵」にならねばならない)であるという「二重意識」を抱いているのと一緒だろう。フリップはKKKに潜入することで、そのことに気づかされるのだ。最初はロンのなりすましでしかなかったフリップは、こうしてロンと一体化し、まさにKKKの中の「ロン」になっていく。ともに「二重意識」を抱いた二人の刑事が「一体」となる、究極のバディものともいえる。

  

 原作ではほとんど目立たないユダヤ人問題を、今回スパイク・リーが前面に出したのはなぜか。

 

 それは、黒人と白人という人種差別が、社会の階級的敵対を覆い隠す働きをしているからだろう。「ユダヤ人」とは、社会に内在する、その階級的敵対性そのものを表す存在なのだ、と。

 

 白人が黒人を差別する本当の理由は肌の色ではない。白人社会の安定した平和の秩序を、階級の違う「奴ら」が乱し、腐敗させようとする「脅威」としてあるからだ。すなわち、本当の理由は、社会の外側ではなく内側にある「脅威」であり、それが社会に紛れ込んだ=潜入した「ユダヤ人」となって表れる(ジジェク『絶望する勇気』ほか)。いや、正確に言うと、「それ」は表面には見えない。「奴ら」を不断に排除しようとする行為として、「それ」は表れるのだ。

 

 だが「ユダヤ人」は外見が同じだ。だから、文化や名前や言語などの「ちょっとした違い」を暴力的に線引きすることでしか排除できない。「反ユダヤ主義」が常に暴力をともなうゆえんだ。

 

 「アー」の発音で電話の相手が黒人かどうかすぐに分かると豪語する、KKKの指導者デビッド・デュークを、ロンが最後までまんまと出し抜き続けることは、この言葉の「ちょっとした違い」が、いかに本当に「ちょっとした違い」でしかないか、「彼ら」が「奴ら」を差別する理由が、いかに曖昧な「違い」でしかないかを暴き立てている。ロンとフリップの、一体化した「奴ら」としての大笑い。

 

 差別とは、電話の向こうの、今言葉を交わしている相手の、だが目には見えないこの脅威なのかもしれない。

 

中島一夫

 

ドイツの新右翼(フォルカー・ヴァイス)

 

ドイツの新右翼

ドイツの新右翼

 

 

 話題の本書によれば、ドイツの保守は伝統的にヨーロッパを「夕べの国」と呼んできた。この概念については、またその多様な変遷は、本書に委ねたいが、一言だけ触れれば、読んでいて、これはほとんどハイデガーヘルダーリンに見た「近代的人間の故郷喪失」ではないか、と。

 

 現にハイデガーヘルダーリン『帰郷』に「日の没する西方=夕べの国」を見た。

 

むしろヘルダーリンは、その本質を、西洋の運命への帰属性にもとづいて、見ているのである。しかしながら、その西洋もまた、日の昇る東方と区別された、日の没する西方として、地域的に考えられているのではなく、またたんにヨーロッパとしてだけ考えられているのでもなく、むしろ、根源の近さにもとづいて、世界の歴史に即しつつ思索されているのである(『ヒューマニズムについて』)。

 

 つまり、ことはヨーロッパやドイツの問題に限定されないということだ。本書の解説の長谷川晴生が述べているように、「保守革命→右からの六八年」という世界史的な文脈からみれば、ドイツの新右翼と日本の保守勢力とは並行している点が多々ある。例えば、ドイツの新右翼の理論的支柱たるアルミン・モーラー江藤淳も、ある側面において「似通った思考」といえる(これについては、あるところに短文を書いたので、また後日触れる)。

 

 本書を読んで改めて痛感したのは、「右からの六八年」とは、より突っ込んで考えれば、要は「六八年」が、反リベラリズム=反「平和共存」という「右からの」ものたらざるを得なかったということだ。「六八年」とは不可避的に、近代的な「故郷喪失」者たちによる「保守革命」をはらんでいたのだ、と。左右を問わず、ではなく、すでに左右を問えない状況下にあったのだ、と

 

 「右からの六八年」に規定された「平成」の終わりに際し、いろいろと示唆的な一冊である。

 

中島一夫

 

運び屋(クリント・イーストウッド)

 

「運び屋」はシジフォスの労働だ。

シジフォスは神々の言いつけで何度となく大きな岩を運ぶが、山頂に運び終えたその瞬間に岩は転がり落ちてしまう。どんなに運んでも、いや運べば運ぶほど、重荷から解放されるどころかそれは新たに増すばかりだ。

 

 人生は後悔の連続であり、何といつも罪深いものか。

 ラストで「アール」イーストウッド)が自らを「有罪だ」と言い放つのは、ほとんど自らの人生に対してである(裁判官「あなたはすべてにおいて罪を認めるのですか?」)。自分が、人間が、この世に存在すること自体が罪深い。「許されざる者」だ。誰もが正義の人と化した懲罰社会の現在においては、それは何と反時代的か。

 

「何でも買えるが時間だけは買えない」人間というものは、前に進もうとすれば進むほど遅れていき、目指すべきから遠く離れていく。誰もが「遅咲き」であるほかないのだ。

 

 カミュが不条理を見た人生の劇を、イーストウッドはただ静かに受け入れる。それは『グラン・トリノ』で磔の十字架そのものになった男の「その後」にとって、唯一ふさわしい身振りである。

 

 人生とは牢獄であり、それでも人は生きていかねばならない。

 そんななか、一日だけ花咲くデイリリーは、不断に人を幻惑する。あたかも人生は華やかで美しいものであるかのように。

 

 だから、その中で「老いを迎え入れるな」とは、決して「若さ」の主張ではない。それは88歳を超えてなお、この90歳の「運び屋」のごとく人生から鞭打たれんとする崇高なまでのマゾヒズムである。

 

 確かに「100歳まで生きようとするのは99歳の人間だけ」だろう。今作に「美学」を見るのはよほど優雅な人生だ。腰や膝の曲がりやとぼとぼ歩きを晒し、人生は美しくなどないと言っている。それは教訓にもならない。だから今作には、それを継承する者もいない。

 

中島一夫

 

セルジオ&セルゲイ 宇宙からハロー(エルネスト・ダラナス・セラーノ)

 キューバマルクス主義哲学教授の「セルジオ」と、ソ連の宇宙飛行士「セルゲイ」は、冷戦終焉により一夜にしてそれぞれ「エリート」や「英雄」から「過去の遺物」へと転落。ソ連崩壊によって宇宙ステーション「ミール」から帰還できなくなったセルゲイに、ある日セルジオアマチュア無線がつながるところから、セルゲイの遠大な帰還計画が始まるのだが。

 印象的だったのは本筋の部分ではない。セルジオマルクス主義から転向していく過程だ。当初彼は、女子学生が自分に反抗し、卒業制作のみで済まそうとして論文に一向に向かわないことを厳しく指導していたのだが、己の拠って立つマルクス主義の権威が弱体化するにつれ、徐々に態度を軟化させていかざるを得なくなるのだ。そのありさまが身につまされた。

 本作のモチーフは、まさに共産主義が過去の遺物と化していく時代の趨勢において、いかにキューバが多様性を肯定し、国際的な孤立を脱することができるか、にあるといってよい。宇宙に取り残されたり、ひとりアマチュア無線に興じることは、その地に足の着いていない孤立=アイデンティティの「宙づり」の比喩でもあろう。そして、彼らが「地上」に降り立つには、多様性を受け入れるという「寛容さ」しか選択肢はない。むろん、こうした「寛容社会」は、「西側」では1968年の後にすでに現れていたものだ。

ジャン・クロード・ミルネールは、体制がいかにして一九六八年の脅威を払拭することに成功したか痛切に認識している。いわゆる「六八年精神」を体制側にとりこんで、反乱の精神に反するものに転じたのだ。新しい権利の要求は(真の意味で権力の再分配を意図していたろうに)認められはしたが、それは「寛容」の装いにすぎなかった。国民に許されることの範囲は広げながら、よけいな権限はもたせない、まさしく「寛容社会」である。(中略)これこそ離婚、中絶、同性婚、その他の権利の現実だ――いずれも権利を装った許可でしかなく、権力の分配を一切変えはしない。(中略)六八年の五月革命が全体を統一する(そして完全に政治的な)活動をめざしたのに対し、「六八年精神」はこれを非政治的な活動もどき(新しいライフスタイルなど)に、まさに社会への従順に、置き換えてしまった。(ジジェクポストモダン共産主義』)

 今作は、むしろ「地上」はすでに「寛容社会」に覆われていて、いかにセルジオとセルゲイがそこに向かって着地=転向していくかを示している。ラストのセルゲイの姿は究極の「寛容」を体現する最後の転向者であり、まるでコミカルなピエロだ。一方セルジオは、「論文はこの制作の彫像の中にある」という女子学生のウィットに富んだ詭弁を、手放しに礼賛するに至る。学生消費者主義という「六八年精神」の軍門にくだったわけだ。キューバもまた「寛容社会」に覆われていったということだろう。副題の「宇宙からハロー」とは、その「寛容」というイデオロギーの呼び声にほかならない。

 もはや教員は各種ハラスメントを恐れて「抑圧」などとてもできない。それは親ですらそうだろう。現在、基本的に親は、子供を応援し後押しする「サポーター」である。あらゆる敵対性は除去され、多様性(多文化主義)が「寛容」に認められていく。冷戦崩壊後、「寛容社会」化するキューバで、いったいセルジオに、女子学生の「わがまま」を受容するか、教員をやめるか以外に選択肢があっただろうか。階級的な敵対や分離を可能にするような、両者の関係性自体がもはや不在なのだから。

 だが、先のジジェクが言うように、これこそが68年後の体制の統治というものだろう。「権利」は大判振舞いしながら、決して「権力」には触れさせない。「権利」漬けにして「権力」への志向を骨抜きにさせると言ってもよい。

 アメリカ西海岸発の「解放」のヒッピームーブメントから、シリコンバレー精神を経て、インターネットネットワークのプラットホーム「支配」へ。先日のファーウェイをめぐる米中の綱引きも、この通信プラットホームによる統治をめぐるヘゲモニー争いだろう。それがドラッグと禅による「意識の解放」から派生した(表裏だった)シリコンバレー精神のひとつの帰結だとしたら、米中戦争とは、経済戦争以上に、要は68年後の(広義の)「宗教」戦争ではないか(バーチャル空間を「戦場」とする)。セルジオによる「無線」のネットワークと(経済危機における)違法酒の製造は、このインターネットとドラッグの「前夜」の姿であり、キューバの地に舞い降りた「六八年の精神」にほかならない。依然として問題は、強力な「宇宙からハロー」の声に抗って、いかに敵対性を見失わないか、そしてどこに敵対の線を引き直すか、だ。

中島一夫

1968年と宗教

 少したってしまったが、先日12月15日、京大人文研で行われた公開シンポ「1968年と宗教」の後半から聴いた。講演者に武田崇元すが秀実、聴衆に津村喬外山恒一といった錚々たる面々が一堂に会するという、またとない機会だった。配布資料が膨大で、正直いまだ咀嚼しきれていないので、素朴な感想のみを。

 一言で言えば、左派(左右を問わず?)もいよいよ宗教を真正面から考えねばならなくなったということか。最近話題のジョナサン・ハイト『社会はなぜ左と右にわかれるのか』などを見ても、宗教に一章を割いてその有効性を論じている。オルグの「戦場」として、いまや宗教が浮上してきているということだろう。少し前までとりあえずは共有されてきた、近代とは「脱魔術化=脱宗教」の時代であるという前提は崩れつつある。日本のオウム事件清算され、アメリカの9・11も乗り越えられた?

宗教を超自然的な行為者に対する一連の信念としてとらえるのなら、誤解は避けられない。そのような信念は、愚かな妄想と、さらに言えば私たちの脳を巧妙に利用する寄生虫とさえ見なされるのがオチだからだ。しかし宗教に対して(帰属に焦点を置く)デュルケームの、また、道徳に対して(マルチレベル選択を含めた)ダーウィンのアプローチを採用すれば、全体像は違って見えてくるはずだ。」(『社会はなぜ左と右にわかれるのか』)

 ダーウィン+デュルケーム。とりわけデュルケームの、個人レベルではなく集団や共同体レベルの功利主義。宗教とは「個々のメンバーを一つの道徳共同体へと統合する、信念と実践を一体化させたシステム」であり(ハイト「宗教とはチームスポーツだ」!)、「私たちは、低次の存在(個人)と高次の存在(集合体)のあいだを行き来するよう(自然選択によって)設計された、ホモ・デュプレックスである」。

 まがりなりにも、近代合理主義に根差していたマルクス主義による党の形成は、冷戦崩壊以降いよいよ行き詰まり、それに代わる宗教的な道徳共同体の形成が模索されているということか。

 こうした宗教によるオルグを、特にインテリは概して軽蔑してきたが、今やそれでは民衆を獲得できないということだろう。そういえば、シンポの主催者である栗田英彦も、「知識人」をキーワードに総括的なコメントを述べていた。

 さて、後半最初の武田崇元の講演は、戦後から1968年を経て80年代にかけて、「民衆宗教」観の変遷を追ったものだった。なかでも、旧左翼の村上重良の「土俗」蔑視から、新左翼梅原正紀による「土俗」の革命性重視へ、という180度の転換を焦点化。講座派史観の村上にとっては、土俗やその共同体は、近代合理主義によって乗り越えられるべき「半封建」でしかない。だが、科学重視の近代合理主義がリミットに達し、一気に批判の対象へと転じていったのが68年だった。土俗的、呪術的なもの、ヒッピー、ニューエイジカウンターカルチャー、オカルト、スピなどが、近代合理主義に対する「代替知」として必然的に要請され、民衆の革命性の結集軸として続々と導入されていった。にもかかわらず、インテリ左翼は、そうしたものを蔑視し忌避してきた結果、決定的に民衆を捉え損なっていったのではなかったか。梅原正紀の批判は、その点をついたものだった。ゆえに今なお、いや今こそ有効だろう、と。

 続く、すが秀実の講演は、だがそうした68年の革命性も、反天皇制を明確に掲げてこなかったつけとして、結局は戦後天皇制という「宗教」に包摂されてしまったといえるのではないか、と。敗戦という神の死を逆手にとって、国民全体が天皇の下へと包摂される(というか、それによって国民として(再)統合しようとする)ようなオルグを可能にしたのが、柳田国男の「神学」であり、いわゆる「祖先崇拝=トーテミズム」にほかならない、と。

 戦後天皇制とは、敗戦によってトーテム(象徴)化した天皇を、国民全体の「祖先」として崇拝せんとする「トーテミズム」である。八・一五で国民主権は成就したとする「八月革命説」(宮沢俊義)は、フロイト「トーテムとタブー」の影響著しいケルゼンの「国民主権はトーテミズムの仮面」説をふまえることで、国民主権という革命性を、天皇制=トーテミズムという宗教性へと回収するイデオロギーだった。「戦後民主主義」が天皇制という宗教の「仮面」である以上、それが現在天皇制に回帰しているのも、その表現たる戦後憲法を守ろうとするのも必然だろう、と。

 打ち上げでの私的な会話だが、外山恒一も「インテリは天皇制廃止でいいけど、大衆には無理。依然として天皇制という神話、物語が必要」と述べていた。オルグを実践する活動家の皮膚感覚だろう。聞いていて、中野重治の言った、国民の「天皇を「いただく」ことへの愛着」というやつを思い出した。中野は、国民のその「純粋」な「愛着」と、「天皇制護持商売人」の欺瞞的なそれとを「弁別」しなければならないと言った(「文学者の国民としての立場」1946年)。

 その弁別が今でも有効なのか、また中野自身、例えば共産党幹部として憲法発布直後に柳田宅で柳田と対談し、「天皇制護持商売人」の片棒を担いだのではないかという疑問は今は措く。いずれにせよ、今回のシンポは、この「愛着」に手を突っ込むには、宗教的なものを思考せざるを得ないことを痛感させるものだった。「1968年と宗教」。68年が近代合理主義のリミットである以上、それは不可避的に「宗教」という脱近代のとば口でもあったのだ。

中島一夫

止められるか、俺たちを(白石和彌)

 若松孝二の弟子である本作の監督白石和彌は、本作のラストを「引き」で撮った。それは、若松プロの時代から「遠く離れた」現在を示すとともに、師・若松孝二自体の捉えがたさ、もっと言えば師の映画をこのように描いた白石自身の「自信のなさ」が映し出されていたように思う。いったい若松とは、また若松プロとは、革命の映画だったのか、あるいは映画の革命だったのか。それとも何か別の「場所」へと、彼らは行き着いてしまったのだろうか。その問いに対する答えの見えなさ、疑問符自体をラストシーンは映し出してはいなかっただろうか。曽我部恵一の主題歌「なんだっけ?」とばかりに。

 若松孝二若松プロは、1960年代後半、それまでの五社体制によるスタジオシステムや、ブロックブッキング方式によって大手制作会社に映画市場を完全に支配されていたなか、その「岩盤」に風穴を開けようとした。一連のピンク映画で。

 若松の『壁の中の秘事』は、65年のベルリン映画祭で「国辱」呼ばわりされたが、若松らは、まさに「止められるか、俺たちを」とばかりにその後も全くひるまず、『胎児が密漁する時』、『犯された白衣』、『処女ゲバゲバ』といった問題作を次々と撮り続けた。そこにある、圧倒的なテンションとパッションに満ちた性と暴力は、当時の若者たちのやり場のない情念と欲望、名状しがたい飢えと渇きのアナーキーなエネルギーを捉えていった(現在の視点からは、それらの「性の解放」が本当に「解放」だったのかという疑問はあるが)。本作の主人公「吉積めぐみ」(門脇麦)も、『胎児』に魅了され、若松プロに吸引されたそんな一人だった。

 本作は、一貫して「めぐみ」の視点から、才能たちが離合集散するエネルギー体としての若松プロを、その内側から活写した作品である。だが、むしろ作品には映らない外側に、強固な岩盤として立ちはだかっていた映画資本=大手企業や、安保闘争全共闘運動を抑圧する国家権力の圧迫が常にあったのを感じながら見られるべき作品だろう。そうでないと、なぜ彼らが街に向かって放尿し、裸で海を疾走せねばならなかったのかが、ついにつかめないままだろう。彼らは、いわば画面の外に向かって放尿し、失踪しようとしていたのだ。

 今作を見て改めて思ったのは、若松プロは決して若松孝二「中心」の集団ではなかったことだ。やはりそこには、足立正夫がいて、沖島勲がいて、大和屋竺がいて、そこに福間健二荒井晴彦がやって来て…という多中心的な「運動体」だった。

 それは最初から左翼的な集団だったわけではなかった。本作は、そのあたりをよく捉えていたように思う。福間健二沖島勲の追悼座談会(『映画芸術』453号)で足立正夫について発言していたが、「松本俊夫的な前衛が嫌だし、大島渚的左翼も嫌だし」で、「あっちゃん(足立正夫)も最初は左翼をからかう人として存在感を持っていた」、「でも、それをやっているうちに、左翼を超える左翼にならなければいけないとなって、彼は左傾化したんだと思う」と。そして一方、若松はというと、同じ座談会で荒井晴彦が言うには「左翼を商売にする人」だった、と。

 それこそが、作品の言葉で言えば、「いかに余白に場所=陣地をとっていくか」という時代の流れだったのだろう。生き残って映画を撮り続けていくための「陣地戦」(グラムシ)である。若松プロの「止められるか、俺たちを」というラジカリズムには、時代が「左」だったゆえに、よりラジカルに「左」の「余白」へと進み出るしか道がなかった。

 それが最も明確になったのが、作品終盤の中心をなす、足立と若松がパレスチナ解放戦線へと進み出ていった『赤軍PFLP・世界戦争宣言』(1971)の頃だったのだろう。作品前半では、「インターナショナル」が嫌いで頑なに歌うのを拒んでいた若松も、この頃には自然と歌うようになっていた。それはもはやマジに左翼になっていたということなのか、それともあくまで「商売」用のポーズだったのか。

 いずれにせよ、その方向性は、すでに初期ピンク映画に胚胎していたと思う。若松のピンクは、反権力であると同時に、強烈な母胎回帰願望の表れだった。若松の場合、その母胎回帰=本来性への回帰願望が、まだ先進国の資本主義の洗礼を浴びていない、第三世界の「母胎=自然」への回帰を果たそうとしてパレスチナへと赴かせたのである。もちろん、それは作中、大島渚との会話にあったように、世界の映画市場を牛耳るユダヤ資本に対抗して、やがて独立プロを後押ししたATGに連結し闘っていく道を選択していった若松プロ自体の在り方(ラストシーン)と、世界資本主義においては構造的に共同戦線を張ろうとした闘いでもあった。『赤軍』のタイトルにあるように、日本の若松プロパレスチナがつながり連帯するという「世界戦争」として、それはあったのだ。

 このように見てくれば、『胎児』に魅せられためぐみが、自らの「母胎」に「胎児」を宿らせた時、めぐみ自身の「回帰」の旅=革命は、終わりを告げるほかなかったのだろう。そういえば、めぐみは、自殺する直前、自らの母に電話をかけ「大好き」と遺言のように告げていた。そして、めぐみが倒れたアパートに駆け付けた若松ら男たちは、警察の阻止によってその部屋の中に入ること=「母胎」への「回帰」を、断固として阻まれてしまうのだ。

 それは、若松プロの「紅一点」であり、したがってペニス=筆=武器を持たず、ついに男たちのように「若松プロの放尿」に加わりたくても加わることのできなかっためぐみだけが、しかし「母胎」に「回帰」できたということだろう(羊水=プールにめぐみが漂うシーン)。めぐみは、パレスチナへと赴かず、また『赤軍PFLP・世界戦争宣言』の真っ赤な上映運動バスにも乗らずして、「第三世界=母胎」へと接続し自身の革命を闘いきった。だからラストでは、革命戦士ゲバラの横にめぐみの写真が貼られることになる。

 したがって、本作で、白石があえてめぐみの視点で若松プロの一時期を描いたのは、若松プロの「革命」の在り方からくる必然的な選択だったといえる。それは、師の「可能性の中心」を射抜いた弟子ならではの選択だった。そのうえで、だが冒頭の疑問に戻らずにいられない。果たして、若松プロは革命的だったのか。

中島一夫