花田清輝の「いやったらしさ」――自己意識にまとわりつく「封建的残滓」とその帰結 その1

 花田清輝は、「芸術のいやったらしさ」(1955年)と言った。高見順とのいわゆる「モラリスト論争」のさなかでの発言である。したがって、一般的には、武井昭夫の言うように、「高見の小説の「いやったらしさ」、その「胸のわるくなるような感じ」は「芸術に関係のない」それであるゆえんを語った」(『武井昭夫批評集 創造の党派性』「著者自注(2)」1975年)と受け取られがちだ。

 

 だが、読み返してみると、花田のロジックは、いつものごとくそう単純ではない。花田は(高見の)「いやったらしさ」の「芸術」ではなく、あくまで「芸術」の「いやったらしさ」と言ったからだ。言いかえれば、花田は、高見(ら)=モラリストヒューマニスト)を「いやったらし」いと言って、単に切断しようとしたわけではなかった。モラリスト論争において、花田の相手は、高見の後、伊藤整荒正人大井廣介埴谷雄高へと次々と引き継がれた。何とも異様である。それは、いつも私に、「福祉大相撲」で、子供の力士たちが、数珠つなぎに一人の大人の力士にかかっていっては次々となぎ倒されていくといった、おなじみの光景を想像させる。「純粋」なモラリストヒューマニスト)たちは、寄ってたかって(時には束になって)手練手管の花田をやっつけようとしていたものの、花田はいつものごとく、彼らと「対立」しつつも、分離・切断はせずに、あくまで議論し続けようとした。まさに「喧嘩友達」であろうとしたのだ。「わたしは、アヴァンギャルディストと社会主義リアリストに、ただの友達になってもらいたいといっているのではない。喧嘩友達になってもらいたいといっているのだ〔・・・〕喧嘩友達は、喧嘩のほうに比重がかかっても、友達のほうに比重がかかっても駄目だ」(「ドン・カミロとペポネの抵抗」)。花田の論争が、(相手を変えながらも)持続していく傾向にあるゆえんである。

 

 それはそうと、花田のいう「いやったらしさ」とは何か。花田はそれを、九鬼周造の『「いき」の構造』を導入しながら述べる。

 

もっとも、わたしのみるところでは、「いやったらしさ」と「いき」とのあいだには、それほど大きなちがいはないね。要するに、九鬼は、媚態に意気地と諦めとをまぜあわせ、それをトロ火で煮たてたものが「いき」だというのだが、意気地だとか諦めだとかいうような封建的残滓をきれいさっぱりとりのぞき、媚態を媚態として、純粋の状態におきさえすれば、それが、すなわち、「いやったらしさ」というものではあるまいか、という気がわたしにはしてならないのだ。〔・・・〕しかし、九鬼流に、いやったらしさとは一元的の自己が自己に対して異性を措定し、自己と異性とのあいだに可能的関係を構成する二元的態度である、といいなおしてみたまえ。若干、舌もつれがするかも知らんが、「いやったらしさ」の定義としては、まんざら捨てたものでもなかろう。(「芸術のいやったらしさ」)

 

 九鬼の言う「いき=媚態」から、武士道的な「意気地」や仏教的な「諦め」といった「封建的残滓」を「きれいさっぱりとりのぞ」いたものが「いやったらしさ」だと。すなわち、「一元的の自己が自己に対して異性を措定し、自己と異性とのあいだに可能的関係を構成する二元的態度」における「純粋」状態が「いやったらしさ」だと。

 

 この「二元的態度」は、明らかに平野謙ら「近代文学」派の「主体性=自己意識」と同型のものだろう。すなわち「転向」によって生じる「自己を反省する自己」という自己の二重化の問題である。花田は、「芸術のいやったらしさ」という一文で、もちろん高見の作品の「いやったらしさ」や「媚態」を批判してはいる。だが、その「いやったらしさ」を自ら(や岡本太郎)も共有していると述べているのだ(自分の「いやったらしさ」や「媚態」の方は、「封建的残滓」を脱却していると言いたいのだろうが)。要は、これは、「芸術」は、総じて「いやったらしさ=媚態=自己二重化」を免れないと言っているのではないか。すなわち、「芸術」とは、「転向」による自己二重化が前提であり、いわば「転向」者のものだと。問題は、その自己二重化による「媚態」を「純粋」状態に置き、やましさや劣等感、卑屈さという「封建的残滓」と結びつけてはならないということだと。「二元的態度」そのものは、花田も共有していたのである。

 

ここで重要なのは、スターリン批判以後の状況が一九三〇年代と重ねて考えられていることだが、それは単に「主体性論」ということではなく、「転向」によって生じる「自己意識」の問題として考えられるべきかと思われる。そのことは、花田においては、「近代文学」派(狭義の戦後派文学)の核心的な文学史観である、平野謙の「政治と文学」理論が、大枠として共有されていたことを意味する。「主体性」が足りなかったから「転向」が生じるのではなく、「転向」によって「主体性」が意識され、それが「自己意識」の運動としてあらわれるのである。ただ花田は、その自己意識を批判したということだ。花田は転向者ではなかった。(すが秀実天皇制の「永遠」と内ゲバの「終焉」」、『全共闘晩期 川口大三郎事件からSEALDs以後』所収、2024年)

 

 平野謙の「政治と文学」理論は、「政治の優位性」に対して「文学の自律性」を対峙させることで、文学を政治との「二律背反」に置いた。これが、陰に陽に、一九三〇年代以降の「文学史」を規定してきたのは、すが秀実が論じるように、平野史観が「左右を問わず」「政治=革命」を「時代区分とする歴史観であり、それゆえに、そのアクチュアリティを持続しえた」からだといえる(「「政治と文学」理論とケアの論理・覚え書」、『文学+04』所収、2024年)。誤解を恐れずに言えば、日本の近代文学史は、「平野史観」によってのみ、「政治=革命」を忘却せずに済んでいたのである。だから、「平野史観」が忘却されれば、「政治=革命」も忘却された。文学はその後、お望みどおり「自律」したのである。

 

 花田はやはり、平野(理論)のその「政治」性を感受し、平野史観を「大枠として共有」していたといえる。

 

花田 〔・・・〕たとえば平野謙君が新日本文学会の運動から党に従属してる連中が出ていってしまって、芸術は政治に対してネガティブな意味しかもたないものだから、新日本文学会の運動は、空前の危機にさらされてるというふうなことを言ってたけれど、これはどういう意味なのか。芸術アクティヴが殆んどいないので、空前の危機にはちがいない。しかし、そういう意味で平野君は言ってるのか。もしかすると、ぼくはあの人は本当は政治家なんじゃないかという感じもあるんだ。芸術を政治に対して常に擁護してるけれども。

武井(昭夫) 政治家というもものを運動族とパーティ族に分けて言えば、現実ではパーティ族しかいないという意味では、平野さんも政治的でしょうね。けれども本来、政治がそういうものであっては困るわけです。そうなると、平野さんはやはり、政治的でもないし芸術的でもない、「政治と文学の間」というふうなところでしょう。

花田 もちろんそれはそうだ。そういう位置があって、はじめて彼はオールマイティになるわけだから。

武井 パーティ族対パーティ族という低次元の関係での「政治」と「文学」の対立がないと具合がわるいということになるんじゃないですか。文学が本来、政治に対してネガティブだなんて、そんなバカなことはないわけでしょ。(花田清輝武井昭夫「芸術運動とは何か」、1967年2月『新日本文学』)

 

 ここで花田と武井が言っているのは、「芸術(文学)は政治に対してネガティブな意味しかもたない」という平野史観の「政治と文学」とは、あくまで「「政治」と「文学」の対立がないと具合がわるい」というところからくる、一種の「政治」だということである。花田が「あの人は本当は政治家なんじゃないか」と言うのは、そういう意味だ。先ほどの「共有」という点から言っても、ここの花田の「政治家」という言葉は、決して否定的な意味(のみ)ではない。そもそも平野が「文学の自律性」を主張せねばならなかったのは、「政治=革命」が「優位性」にあったからであり、平野にとってもそれは自明だった。花田はむしろ、平野の「二律背反」を、「封建的残滓」に塗れたそれではなく、「政治=革命」と「芸術=文学」とが拮抗する二つの中心をもつ「楕円」をなすように、「純粋」状態の真の「二律背反」へと高めようとしていたのではなかったか。花田にとっては、「政治=革命」と「芸術=文学」とは、どちらが「優位」(正統)か、そうでない方は「自律」(異端)か、ではなく、「喧嘩友達」でなければならなかったのである。「対立」物を「対立」したまま「統一」する、花田の弁証法である。

 

(続く)