いわば、それは、ヘーゲルの「主」と「奴」という形ではない弁証法であった。「主」と「奴」においては、「主」の「優位性」は不可避的であり、そこから「奴」が「異端」として「自律性」を主張し始めることになる。それがモラリスト(ヒューマニスト)である。花田が、モラリストとの論争のさなかで、「いき」との類似(共有)と差異において、レトリックを駆使しながらも「いやったらしさ」に言及しなければならなかったゆえんである。
ところで、柄谷行人は、九鬼周造のいう「いき」とは、一切の下剋上の禁止という、徳川体制のイデオロギーであると言った。
徳川体制とは、一言で言えば、一切の「下剋上」の禁止であるが、何よりも、それは、超越の禁止なのである。
要するに、今日「日本社会」の特徴と見えるものは、実のところ、徳川体制の特徴である。われわれは、それを中世や古代に投影するような遠近法的倒錯をやめなければならない。たとえば、九鬼周造は、江戸時代後期の生の様式を「いきの構造」と呼んだ。「いき」とは、極端さ(超越)への可能性をもちながら、その手前で留まりつづけることである。だが、それは、何と徳川のシステムに似ていることだろう。九鬼が「いき」に日本文化の本質を見たのならば、彼は徳川体制の本質に日本文化を見ているにすぎない。江戸時代に「近代」があるというのなら、逆に、現在の日本の社会(あるいは会社というべきか)は江戸時代であるといわねばならない。(「伊藤仁斎論」1986年)
超越=下剋上への「可能性をもちながら、その手前で留まりつづけること」。すなわち、「主」の「優位性」を「承認」し、それを保持しながら決して「主」を乗り越えずに「奴」に留まること。これこそが「いき」だと。二者による承認をめぐる死を賭した闘争において、死を賭し得た者が「主」、死を賭し得なかった者が「奴」となる。その「主」と「奴」の対立こそが「人間」を生み、その「歴史」を開始、展開させるというのが、ヘーゲル『精神現象学』の要諦である。
だが、「いき」における「奴」は、決して「主」と対立せず、「主」の「優位性」の手前で「媚態」を示し続けるばかりなのだ(ゆえに「歴史」が開始し得ない。江戸時代=日本文化が「ポストヒストリー」などと言われるゆえんである)。これが、先に見た、「転向」者=モラリストの「主体性」という名の「自己二重化=自己意識」と同型であることは言うまでもない。後者からは、「主」から疎外されている者による「疎外論」や、「主」が持ちようもない「実存」を「死=自由」に漸近するまで追求する「実存主義」などが派生したが、「芸術のいやったらしさ」の花田に言わせれば、それこそ「疎外」という「諦め」であり、「実存(主義)」という「意気地」という、「いき=媚態」にまとわりつく典型的な「封建的残滓」にすぎないということになろう。
繰り返せば、花田にとっての問題は、「自己二重化=媚態=いやったらしさ」そのものではなく(それは花田も共有していた)、あくまで「自己二重化」にまとわりつくこの「封建的残滓」だった。言いかえれば、いかに革命を、「死=主=非転向」を前にした「奴=転向」者の畏怖や劣等感、あるいはその裏返しである崇高やそれに対する「(気)遅れ」という「自己意識」によるものではないものへと転化させられるか、だった。
そのことは、花田が、モラリスト論争の渦中で「芸術のいやったらしさ」と言っていた同時期に、「スタア意識について」(1955年)言及していたことからもよく分かる。いわゆる「スター中心の考え方」をいかに脱却し、それを転化させるか、である。まずは、武井昭夫を軽くたしなめているやりとりから見よう。
花田 編集長、編集責任者というのは単なるアクティブとは称しがたい。オルガナイザーの一面をもっているわけですね、当然。・・・武井君は『中野重治全集』が出た時、「一将功成りて万骨枯る」と言ったそうですね。
武井 そう言った人の説を紹介したわけです。
花田 ぼくは一将は功成ってもいいと思うんだよ。万骨は枯れてもいいと思う。
武井 そうですか。
花田 つまり万骨というものになって枯れることを愛するものが活動家だと思うのですよ。
武井 それは、枯れること自体が目的じゃない。(笑)それから、一将功成ることが目的でもない。
花田 もちろんそうだが、だからと言って一将功成ることは結構なことであって、それが万骨の目的の一つでもあるわけだ。
武井 だけど、一将の方がいい気になってたら困るわけですよ。(笑)
花田 そういう言い方はやっぱりスター中心の考え方でね。それは、ぼくは誤りだと思うんです。(「芸術運動とは何か」)
花田と武井は、活動家というものが、「万骨」となって「枯れることを愛する」べきものだという点は共有している。だが、その時「一将」、すなわち「スター」が「功成る」ことに対して、「いい気になってたら困る」というのは、いわば「遅れ」からくる「媚態」の意識であり、それを「万骨」が抱いてしまうのは、結局は「スター」の優位性を前提にした「スター中心の考え方=スタア意識」の表れであって、いまだ精神が「万骨」になりきっていない証拠だと花田は言っているのだ。すなわち、そこにはまだ「封建的残滓」がまとわりついている、と。
したがって、花田が言っている「スタア意識」は、スター=一将という存在そのものではなく、むしろ「万骨」側の「(スタア)意識」、すなわち「スター」を「中心」に捉えてしまう「万骨」の(自己)意識を批判するものだと言うべきである。「スタア意識について」という一文も、「〔・・・〕しかし、戦後間もなく、アルチスト・アルチザン論争というのをやって、アルチストの肩をもち、アルチザンをさんざんコキおろしたことのあるわたしは、いまさら豹変して、攻守ところをかえるという気にはどうしてもなれない」というところから始まる。そして、「しかし、誤解をさけるために一言しておくが、わたしは、スター意識という言葉を、ウヌボレと同一の意味でつかい、これからおもむろに自己批判にとりかかろうというのではない、そうではないのだ。わたしのいいたいのは、それとはまったく反対のことなのである」と断ったうえで、花田は次のように述べる。
アルチストとは――したがってまた映画スターとは、自分自身に、売れるかもしれないところの肉体も、売れるかもしれないところの芸も、きれいさっぱりもちあわせのないということを、骨身に徹して自覚している人間のことをさすのである。
一言にしていえば、かれらは、かれら自身が完全にデクノボーだ、ということをちゃんと知っているのだ。身を売ったり、芸を売ったりしてスターの地位を買うとすれば、売り手と買い手とのあいだには、立派に、「ギヴ・エンド・テーク」の関係が成立する。しかし、スターというのは、法則のためにではなく、例外のためにつくられた人間なのだ。したがってかれらはなんにも売らないで――売りたくても売るものがないのだから、自然そういうことになるが、もっぱら、「テーク・エンド・テーク」の道を突破する。その心意気がかれらをスターにするのである。
つまり、「スター」とは、「みずからの無為無能を身にしみて感じながら、しかも、人びとから天才あつかいされ」続けなければならない、「例外のためにつくられた人間」、すなわち「ロボット」だと。これは、共和制ではなくあえて君主制を肯定するヘーゲルの、共和制に対する「例外=非理性=君主」に近い。ヘーゲルの言う「君主」も「ロボット」のようなものである。だが、花田は、そのヘーゲルと「君主=ロボット=スター」をまさに「共有」しながらも、そこから「君主制」に戻るのではなく、それを転化させ、その先の「集団指導」へと抜けようとしていたといえる。時は、スターリン批判前年である。
しかし、スターリンやヒットラーの時代はおわった。この世の中はしだいに集団指導の時代に変りつつある。もっとも、スターリンのような存在は、一見、独裁者としてぜったい権力をにぎっていたようにみえたかもしれないが、あのくらい、自我というものをもっていなかった人間はすくないだろう。かれは、かれ以外の人間のチーム・ワークをとるためにだけ存在していたようなものだ。おそらくかれは、かれのまわりにいる人間のほうが、かれよりもはるかに有能だということを、つねに忘れたことはなかっただろう。それがスターリンの政治家としてすこぶる老練なところなのだ。スターリンにくらべると、ヒットラーのほうがはるかに個性もあり、テキパキと行動したが、そこがシロート政治家の悲しさで、いつか自分を天才の一人ではなかろうかとおもいはじめ、ついに独断専行、チーム・ワークを乱して没落するにいたった。映画スターのばあいでもおなじことで、衆目は、かれまたはかの女一人に集まるが、その実かれらは扇のカナメのような存在で、登場人物全員のチーム・ワークをとるために必要とされているにすぎないのだ。したがって、すぐれたバイプレヤーはスターをくわないようにたえず注意している、というようなことがよくいわれるが、わたしは、スターほど、バイプレヤーをくわないように心をくばっているものはいないような気がする。むしろ、スターをとりまいているバイプレヤーたちのほうが、たえず、スターをくおう、くおうとしているというのが実状ではあるまいか。しかしとにかく、政治の世界でも、しだいに独裁者が消えてなくなりつつあるとすれば、やがて近い将来、映画の世界でも、スターはみごとにその集団演技の時代がくるかもしれない。わたしのみるところでは、そのさい、みごとにその集団のなかにとけこむことができるものは、アルチストであるスターであって、アルチザンであるバイプレヤーではないのだ。
この自らは「無為無能」でありながら、「チーム・ワーク」を組織する「オルガナイザー」としてのみ機能する「スター」という存在は、翌年スターリン批判の年に書かれた「胆大小心録」において、死んだスターリンその人として登場することになる。「スターリンという個人なら、とっくの昔に死んでいますよ」、「個人としてのスターリンが死ぬやいなや、ぼくは無数のスターリンに変って組織のなかに生きはじめた」。
スターリンの実像がどうであったかや、スターリン批判以降の時代が本当に「独裁者」なき「集団指導」に移行していったかが問題なのではない。花田は、スターリン批判によって、「スタア意識=スター中心の考え方」にがんじがらめになっている、「封建的残滓」にまみれた「いやったらしさ=媚態」を振りまく「モラリスト=転向者」らがいい気になり、「これでバイプレヤーの時代になる」と勘違いするだろうという事態を予見し、それをあらかじめ封殺しようとしたのだ。だからこそ、時代はすでにスター(リン)個人から集団指導に移行しつつあるとあえて「強弁」し、いつものごとく、その方向へと導こうとしたのである。
もちろん、その後の歴史を見るかぎり、花田の認識は甘かった。だが、甘かったのは、果たして花田の「認識」なのか。ずっと伴走していた武井昭夫ですら脱却しきれていなかった「スタア意識=スター中心の考え方」、だがそれが拭い去れないかぎり、必ずそれは「主」の優位性に対して「媚態」を示し続けるほかない、「封建的残滓」としての「奴」の「自己意識」へと帰結する――(現在、その「スター中心の考え方」という「自己意識」は、「推し(活)」という形へと通俗化している)。花田が、スターリン批判前後において、延々とモラリスト論争をたたかいながら目論んでいたのは、繰り返せばモラリスト(ヒューマニスト)ら(それは彼らの理論的バックボーンだった、「転向論」の吉本隆明をも含むものだった)の切断ではなく、むしろ彼らとの共闘だったのである。そして、武井昭夫には、自身に対する批判も含めて、それがよく分かっていた。
鎌田(哲哉) でも、花田清輝の戦争責任の問題への姿勢には、何か抜けているものがないでしょうか。たとえば花田さんは、戦争責任の問題が道義的追究に終始している状況を批判する。それは正しいと思います。でも、そうした状況を批判するのは、各人の責任を徹底的に検討する・・・・・・道義や倫理だけでなく、彼らの認識の盲点に至るまでより深く検討するためで、小ずるい連中の「やったもん勝ち」を野放しにするためではない、と思うんです。私の印象では、吉本隆明はともかく、武井さんは今なおこのモチーフにこだわられていて、たとえば『戦後史のなかの映画』の黒澤明批判、あれは『一番美しく』の認識の責任を問うものですね。でも、花田さんに武井さんのそういう意図が伝わっていたんでしょうか。
武井 知ったうえで批判的だったのだと思いますね。こいつらは、どうしようもない敵と思っていたのではないですよ。知識人が労働者階級の闘いと結びつくことができなくて、孤立していく状況があり、それを作り出してきている日本の資本主義と天皇制がある。その戦争責任を追及しながら、元コミュニストやリベラリストたちの責任問題も考えるべきだというのが、花田さんの前提条件であり、吉本さんやわたしが展開している戦争責任論は、その筋道から外れているところに批判があったんでしょうね。つまり、戦中の転向および転向論への批判に集中していくのは、転向したまま戦後を生きている文壇や論壇のモラリストに利用されるだけだと、花田さんは見ていた。花田さんは、戦中に、転向者を再転向させて運動の協力者を拡げる闘いをやった人ですからね。その観点から見ると、吉本さんのそれは転向者に追い撃ちをかけるもので、そこに運動の再生を見ることはできない、と考えられたと思うのです。そして、なんとかして、自分が考えている前提の方向へ議論を発展させたい、と考えていた。「シャム双生児のような」というおちゃらかしは、本当は二人の違いをきちんと見てくれていて、しかし今のままだと、モラリストに利用されてしまうよと、わたしに言いたかったんじゃないか。吉本さんとの違いを整理して、論理的に対決できるぐらいにならないとダメだと言っていた気がする。そこを十分に読み取って対応できなかったのは、わたしの不明のいたすところです。あの時は、なぜ吉本さんと一緒にされるのか不可解で、不満もありましたね。
鎌田 でも、武井さんの方では、・・・・・・少なくとも「運動内部者の微視的感想」を書いて、吉本さんとのわずかな、しかし決定的な差異を表現されるまでは、ご自分を介して、花田から吉本にいたる統一戦線が可能だと思われていたわけでしょう。
武井 そうです。
鎌田 では、花田さんの場合はどうですか、特に吉本さんへの姿勢について。
武井 花田さんにも、その要素と気持ちがあったと思います。吉本さんの持っている能力、資質、考え方を、変形しながら、協働の道を切り開くのは可能であって、花田さんは、そうした方向を考えられていた。その証拠のようなものはいくつもあります。(武井昭夫✕鎌田哲哉「「真実」の力、「思想」の息吹き」、『週刊読書人』2010年8月27日)
このときに、花田が考えていたモラリスト=転向者らとの「協働の道」が実現することはなかった。その後時代は、反スターリン主義=異端を時代的に宿命づけられた新左翼諸党派による「内ゲバ」的状況へとなだれこんでいくことになる。重要なのは、新左翼諸党派が、花田が論争=協働しようとしていたモラリスト=転向者らの「末裔」として登場してきたことだ。両者がいかに縁遠く見えようとも、理論的には「政治の優位性」に対する「文学の自律性」という文学(芸術)の「いやったらしさ」の一帰結なのである。
細かい論述は省くが、以上のことから知られるのは、日本の反スターリン主義的な新左翼諸党派とは、基本的に「文学の自律性」に依拠した文学的転向者の思想だったということだ。それが疎外論的マルクス主義を援用して語る「主体性」とは、その自己意識の言い換え以外ではない。そして、「モラリスト論争」の花田清輝が批判しようとしたのは、そのような自己意識だった。「革命の現実性」が信じられるや、それは再び「死を賭した闘争」のサイクルに入っていくからである。(すが秀実「天皇制の「永遠」と内ゲバの「終焉」」、2024年)
この「「死を賭した闘争」のサイクル」は、「転向者=モラリスト」らによるものだ。「スターリン主義の誤りを認めて転向した者は、死を賭しえなかったわけだから「奴」の地位に落ち、そこから再び、「承認をめぐる死を賭した闘争」に入ることになる」。花田は、この「転向者」らが、正統に対して異端の「別党コース」をたどることをあらかじめ封じようとして、「党=コミンテルンの復活」を「強弁」した。花田に伴走した武井昭夫も、ブント(共産主義者同盟)への合流を求められながらも固辞した。「武井の別党コースを斥ける姿勢は、生涯変わらなかった。ゆえに、最後まで「一九六八年=新左翼」には冷淡だった。
だが、ここでも問題は、単なる両者の「対立」ではない。「対立」を「対立」のまま「統一」できる視点を模索し続けることなのだ。重要なのは、見てきたように、花田が単に「転向者=モラリスト」らを退けたわけではなかったことであり、それをまた武井がくみ取っていたことであった。さらに、すがが、花田―武井にあったそのジグザグのジレンマを、正確に捉えていたことである。
もちろん、そのことが武井を、そして花田清輝を「一九六八年」に際しての「革命の現実性」から隔てることになったのは否めないし、大きな問題だが、それは同時に、内ゲバ的状況の出現に対する、あらかじめの警鐘という意味があったと言える。
花田や武井が「一九六八年」と交わらなかったのは「大きな問題だが」、同時にそれは「内ゲバ的状況の出現に対する」「大きな警鐘」だったことを理解すること。その後、「内ゲバの遂行は、「革命の現実性」をめぐる争いとして、それを認識する党派と肯んじない党派とのあいだでおこなわれ」、それが後者の「革マル派の悪名高い「他党派解体」論」に一定の根拠を与えることになったからだ。結局、「対立」を「対立」のまま「統一」することができずに排除することに向かったわけである。
これが、いわゆる「川口大三郎事件」(1972年11月)を生起させ、以降、管轄するエリア内において異論、反論する「対立」さえ許さない、そのような「他党派」(とみなされた者)を「回教徒(ムーゼルマン)=生ける屍」として「無力化」しておくという監視・管理=生政治が、エリア内の「安全=平和」のために公然と要請されていくことになる(『全共闘晩期』参照)。
その世界規模の形態が、すでに『革あ革』で指摘されていた、現在にいたるイスラエルによるパレスチナ支配であることは言うまでもない。「内ゲバは六八年革命がそのなかで生み出した(というよりは、熟成させた)、最悪の反革命にほかならないが、その論理は現代にいたる六八年以降の時代を決定的に規定している。それは、現代におけるアウシュヴィッツ的支配のありようであると同時に、イスラエルによるパレスチナ支配とアナロジーしうるだろう」(『革命的な、あまりに革命的な』2003年)。
そして、このエリア内の「対立」勢力の「解体=無力化」は、ロシアがウクライナの「無力化」を公然と要求している現在や、さらにはやがて来ると言われる中国による台湾の「無力化」要求へと地続きに(「アナロジーしうる」ように)拡大していこうとしている。もはやここにあるのは、旧来の主権国家間における近代の「戦争」ではないだろう。ならば、求められている「停戦」や「休戦」もおためごかしでしかないことになる(現にロシアは「停戦」協議ではなく、ウクライナの「和平」(=安全・平和!)協議と言い出した。もちろん、たとえおためごかしであろうと、「攻撃」は即時停止されなければならない)。圧倒的に非対称な両者のうち、強大な前者が弱小な後者を「無(力)化」し、(大国間で共同)管理しようと目論むことが、「停戦」や「休戦」という名で呼ばれているのだ。
したがって、こうした状況を、「戦争」「停戦」「休戦」と呼ぶことで、かえって事態を覆い隠されてしまうだろう。そうではなく、事態を「内ゲバ的状況」や「内ゲバの論理=生政治」と捉え直すこと、そうすることでこの状況が、あの花田清輝の「いやったらしさ」と、そこから生起する「別党コース」の遠い一帰結であるという視点が、すなわち事態を「歴史」化し得るパースペクティヴが可能になるのではないだろうか。
(中島一夫)