2020-03-01から1ヶ月間の記事一覧

失われたラザロについて――中村光夫、三島由紀夫、転向 その4

ブランショに、革命=恐怖政治を文学と直結させていくのは、むろんサドの存在である。 一七九三年に、革命と《恐怖政治》とに完全に一致していた一人の人物がいた。〔…〕サドは優れた作家である。作家のすべての人間の中で最も孤独であり、それなのに公共的…

恐怖政治と文学――中村光夫、三島由紀夫、転向 その3

革命は作家の真実である。書くという事実そのものによって、自分は革命であり自由だけが自分をして書かせているのだと考えるに至らない作家はすべて、実際には何も書いていないのだ。(ブランショ「文学と死への権利」一九四九年、篠沢秀夫訳) ブランショは…

中村光夫、三島由紀夫、転向 その2

中村との対談の二年前、一九六五年から、三島は「太陽と鉄」という、自称「告白と批評との中間形態」を発表し始める。冒頭はこうだ。 このごろ私は、どうしても小説という客観的芸術ジャンルでは表現しにくいもののもろもろの堆積を、自分のうちに感じてきは…

中村光夫、三島由紀夫、転向 その1

三島由紀夫は、中村光夫との対談(『対談・人間と文学』一九六八年)で、日本の小説家がプルーストのように自我が崩壊しなかったのは、「左翼からの転向」があったからだと述べている。 自分はイデオロギーで戦って、イエデオロギーで罰せられて転向を迫られ…