夢売るふたり(西川美和)

 「人間、この嘘つきなるもの」というテーマは健在だが、この新作では、むしろ女性の孤独、迷いにウェイトがあると感じた。

 そもそも、さほどイケメンでもない中年男の「貫也」(阿部サダヲ)に、次々と結婚詐欺が可能なのも、女性の側に、それを受け入れてしまう心の隙間と乾きがあるからで、その隙間と乾きが渇望するものを、この作品は「夢」と呼ぶだろう。

 不倫相手が事故死してしまう女性、結婚したい独身OL、孤独なウェイトリフティング選手、男運のない風俗嬢、幼い息子のいるシングル・マザー……。孤独な現代女性図鑑とばかりに、さまざまな女性の生き方と、それぞれが抱える悩みや迷いが、貫也相手に警戒を解いた女性の口から、次々と語られていく。

 結婚するのか、いやその前に出来るのか、それとも今後もひとりで生きていくのか。先行きが見えずに不安や迷いを抱えた女性たちは、将来に備えて小金を貯めるほかなく、さまざまな詐欺が、その「あるところにはある」金を嗅ぎつけて寄ってくる。

 例えば、75キロ超級のウェイトリフティング選手はどうか。オリンピックという目標を目指してがんばっている時はいい。だが、その先はどうするのか。いつまでも続けられる競技ではないし、自分は先が約束される美人アスリートなどでもない。それどころか、巨漢で男性から「怪物」扱いされるほどだ。病気の親もいる。爆弾を抱えた彼女のひざには、いろいろなものがのしかかっているのだ。

 当初は、貫也に詐欺をもちかけ、自らも参謀として協力してきた妻の「里子」(松たか子)は、このウェイト選手の「ひとみ」を前に胸の痛みを覚える。「あんたが気の毒だから」と貫也を気づかうようなことを言うものの、「(ひとみを見下すような)お前のその考えの方がよほど気の毒だ」と返される。だが、おそらくこのとき里子は、自分の足で立っているひとみに対して、自らの「ひきょうさ」(「自分の足で立たないと、女はひきょうになる」)やふがいなさを感じていたのではないか。

 思えば、今自分が詐欺などに手を染めているのも、スカイツリーを見上げる場所に店を構えて再起したいという、夫の「夢」に自らも乗っかっているからではないか。このとき、地に足のつかない詐欺行為を続けながら、「上=スカイツリー」を見上げてばかりいる生活から、里子は下りようとひとり逡巡していたのだ。貫也とひとみをレストランに残して、長いエスカレーターをひとり下りていく里子の姿は、それを物語っている。

 このとき、「上」を見続けようとする貫也と、そこから下りる里子は、決定的にズレてしまった。あくまでこれは、「ふたり」ではなく「ひとり」の映画なのだ。女性の孤独は、結婚していた里子にも襲う。夫が外で女を抱いているときに、家でひとり自慰を行う、あのシーンの里子の物悲しさ。

 店を持つまで詐欺を「貫」いていこうと突き進む貫也を、もはや里子はとめることができない。すべてに決着をつけようと、里子は貫也を包丁で刺そうとする。だが、もはや「上」の人ではない里子は、もろくも階段から転げ落ち、包丁を落としてしまうだろう。その後の修羅場は思いがけない展開となる(結局、刺されてしまうのは、貫也を追っていた私立探偵の笑福亭鶴瓶だが、これは前作『ディア・ドクター』で嘘をついたまま失踪したドクター(鶴瓶)への「罰」であろう)。

 ラストで、あいかわらず空を見上げ、羽ばたく鳥に自らを重ねるように見つめる貫也に対して、一瞬同じ空と鳥を見上げた里子は、だがすぐに視線を落としてしまう。夫婦は、もはや「ふたり」で視線を共有することはないのかもしれない。里子はそのまま画面のこちら側を見つめる。それは、こちらの生き方をも問い返してくるような、強い視線であった。

中島一夫