ダラス・バイヤーズクラブ(ジャン=マルク・ヴァレ)

 暴れ牛に8秒間、跨がれ!
 ロデオショーに出演するカウボーイの「ロン・ウッドルーフ」(マシュー・マコノヒー)は、HIV陽性で余命30日を宣告される。だが、ロンはその死の宣告に抗って、生を宣戦布告していく不屈の男なのだ。

 それまで酒と麻薬、賭博、女に明け暮れていた彼は、余命宣告を受けてからというもの、真剣に生を闘い始める。エイズという、あるいは患者を食い物にする医療業界と政府という「暴れ牛」にしがみつき、必死に振り落とされまいとするように。

 当初、ロンは、HIVはゲイのみが感染するものと思いこんでいた。またそれが、自ら電気技師として働く作業現場の仲間たちの共通認識でもあった。だからこそ、感染したと知られるや、周囲は掌を返したようにロンをゲイ扱いし差別しにかかる。1985年だから、エイズという病に対する認識が、いまだ差別と偏見に満ち、対策もままならない時期だ。

 昏倒し運び込まれた病院での扱いは、さらにひどかった。そこでは患者たちが、製薬会社と癒着した病院の命じるままに、いまだ臨床試験段階にあるAZTのモルモットと化していたのである。だが余命宣告を拒絶し病院を飛び出したロンは、それすら受け取ることができない。そこで彼は、病院の掃除夫をバーで買収し、毎度ゴミ捨てに見せかけてはAZTを横流ししてもらおうとする。

 このあたりから、作品のテーマが明確になってくる。すなわち、これは、いまだ特効薬のないエイズをめぐって不断に繰り広げられる、認可/非認可、法/無法の激しいせめぎ合い=ドラッグ「戦争」の記録なのだ。テキサスのカウボーイたるロンは、これ以降、まさに法に縛られないドラッグディーラーとして、「暴れ牛」に劣らぬ大暴れを見せていくことになる。

 境界をめぐるドラッグ戦争は、不可避的に国境をまたいでいく。ロンは、AZTが容易に手に入らなくなるや、今度はアメリカを出て、医師免許をはく奪されたメキシコの医者のもとへ。そこでAZTは副作用が強いことを知ると、この無免許医と組んでddCとペプチドTの売人へと華麗に転身していくのだ。

 だが、本格的に売人に成りおおせるには、トランスジェンダーの「レイヨン」(ジャレッド・レト)との出会いが不可欠だった。カウボーイでゲイ嫌いのロンは、最も商売を広げられるゲイコミュニティーに顔がきかないし、分け入ってもいけないからだ。

 ここに、両者win―winのロン+レイヨンの「ダラス・バイヤーズクラブ」が結成される。以降、FDA(食品医薬品局)によって認可されないエイズの特効薬を会員制で販売し、製薬会社のいいなりに病人たちをAZT漬けにしている病院から、次々と患者を奪っていくことになる。

 ロンは、神父に、パイロットに、ビジネスマンに七変化し、さらなる新薬を調達すべくグローバルに飛び回る(日本の岡山・林原生物化学研究所も登場する)。と同時に、あれほどゲイ嫌いだったロンは、徐々にレイヨンへの親愛を示していく。当初、自分はゲイではないからという理由でHIVに感染したことを受け入れられなかったロンは、このとき真の意味で他に自らを開き共存する(ウィルスもその一つだ)ことへと進むことができたのではないか。

 また、それとともに、最初は商売にすぎなかったクラブのあり方も変化していくだろう。ついにロンは、自らの車を売ってまで、国家と資本に食い殺されようとしている患者たちを救おうとするまでになる。一方、そうまでして自分たちを守り、暴れ牛を相手取っては、疲労困憊しながらも裁判を闘おうとするロンを、クラブのメンバーたちは温かく包みこむだろう。いつしか、クラブは、己の生と死とを、他なるものに譲り渡すまいと連帯する集団(クラブ)へと変貌を遂げていたのだ。

 静かにエンディングテーマが流れてくる。いつもレイヨンの部屋にかかっていた曲だ。そのとき観客は、レイヨンが、まさに消えゆく媒介者として、クラブの連帯を可能にした精神であったことを思わずにいられない。

 レイヨンこそ、両親や周囲の無理解のなか、だが己の生を生き、死を死んだ。ほかならぬその精神が、再びロンを、カウボーイという自分にとって最も生き生きと輝く場所へ、あの暴れ牛の上へと舞い戻らせることになるのだ。

中島一夫