田山花袋『蒲団』について

 学会や研究者にとってはもはや常識なのだろうが、花袋『蒲団』の、例の蒲団の匂いを嗅ぐ場面が、赤裸々な「告白」どころか、ゾラの模倣とは知らなかった。

 柏木隆雄「ゾラ、紅葉、荷風」(『ゾラの可能性――表象・科学・身体』所収、2005年)は、「花袋を告白文学の盟主とした」『蒲団』最後の場面は、「ゾラの小説『作品(制作)』の読書経験なしには無かったのではないか」と述べ、両者を並べて引用している。


 机、本箱、罎、紅皿、依然として元の儘で、戀しい人はいつもの樣に學校に行つて居るのではないかと思はれる。時雄は机の抽斗を明けて見た。古い油の染みたリボンが其の中に捨ててあつた。時雄はそれを取つて匂いを嗅いだ。(中略)時雄はそれ(蒲團)を引出した。女のなつかしい油の匂ひと汗のにほひとが言ひも知らず時雄の胸をときめかした。夜着の襟の天鵞絨の際立つて汚れて居るのに顔を押附けて、心のゆくばかりなつかしい女の匂ひを嗅いだ。(花袋『蒲団』)


 

彼は、すべてをきちんと、じつに清潔に金盥も、タオルも石鹸も並べてあるのを見とどけて、それからかっとなった。女はベッドの始末をしていかなかったのだ。彼はベッドを直し始めたが、大仰なほど力を入れ、両腕いっぱいにまだ生温かいマットをかかえ、匂いのする枕を両のこぶしで叩いた。シーツから立ち上る若い、この温かさとこの匂いとにむせかえる。彼はざぶざぶと水で顔を洗い、額を冷やした。その湿ったタオルにもまた同じ匂い。処女の吐息が息をつまらせ、その甘美な香りがアトリエ中に散乱した。(ゾラ『作品(制作)』)


 確かに「瓜二つ」だ。

 また柏木は別論文で、花袋の「読書体験=模倣」は、『蒲団』発表の前年に「明星」に掲載された馬場胡蝶の翻訳によると指摘しているようだ(そこにはmatelasが「ふとん」と訳されてもいるという)。

http://bokyakusanjin.seesaa.net/article/260540616.html

 だが、前年に翻訳されていたとなると、当時はゾラの模倣は自明だったということなのだろうか。

 それにしても、花袋は『東京の三十年』で、『蒲団』を書くうえで触発されたものとして、まったく似ていないハウプトマンの『寂しき人々』なんかを挙げて、このゾラの方は隠している。こういうところはいかにも「小説家」が感じられ、かえって興味深い。

中島一夫