22年目の告白――私が殺人犯です(入江悠)その2

 東浩紀の新刊『観光客の哲学』とは、「必然性」の最後の領域と思われてきた「家族」にまで、「偶然性」を導入した「思想」にほかならない。

 世界は「偶然性=確率性」で覆い尽くされていると見なすこと。そこで言われる、「「まじめ」(必然性)か「ふまじめ」(偶然性)かわからないテロリスト」とは、まさにイスラム原理主義のテロに「感染」した、本作の真犯人のような人間であろう。繰り返すが、確かに現代は、この「犯人」から逃れられない。この「犯人」の「時効」は成立し、その「思想」は野放しになっているのだ。

 だが、冷戦終焉以降(スターリン批判以降というべきか)、歴史の「必然」は崩壊し、もはやそれが作動していないならば、世界が「偶然性」で覆われると見なすことに、何か「思想」的な意義があるのだろうか。それはただ、世界の現状をそのままなぞっている「リアリズム」にすぎないのではないか。「偶然性」は、鉄のような歴史の「必然」が一方に強固にあり、そこからの「解放」を意味したからこそ思想的な意義があった。今やそれはただの現状肯定でしかない。「偶然性=確率性」の思想的な耐用年数は、とうに過ぎているのだ。

 むろん、今から歴史の「必然」を再建するのは不可能だろう。だから、未来は、偶然の「家族」(=観光客)の偶然の子供たちに、「ふまじめ」にまた「無責任」に託すほかないように見える。そうでなければ、本作の真犯人のような享楽的暴力か、またそれを薄めて「思想」化したような、テロリズムと踵を接した「あばれる力を取り戻す」アナキズム(栗原康『現代暴力論』など)か。「観光客」と「あばれる力」は、コインの両面なのだ。

 だが、同じく歴史の「必然」の失効に立ち会い、享楽と無責任に接していながら、それを革命に転化していったのが「68年」ではなかったか。転化への道はか細く、今や見えにくくなってはいても、それは依然、重要な参照先としてある。

 「その1」冒頭の石原は、確かにスターリン体制下のラーゲリで「偶然性=確率性」の洗礼を浴びた。私が生きのびたのは、偶然によってでしかなく、だからこそ生き残ったことにはうしろめたさがつきまとう――。だが重要なのはそこからだ。石原は、決して自らの生が偶然性にさらされたことを、言葉にしたわけでも思想化したわけでもなかった。

だが、偶然であればこそ、一個の死体が確認されなければならず、一人の死者の名が記憶されなければならないのである。

 自らの生の偶然性=確率性ではなく、あるいは子供たちのそれではなく、あくまで自らの偶然の生の代わりに偶然に死んだ、一個の死の名を呼ぼうとしたのだ。そこに、享楽と無責任を、責任へと転化するか細い道がある。私にとって「68年」とはこの「転化」であり、コミュニズムがあり得るとしたらこういうものだ。

 生の偶然性=確率性を、自らや子供たちの生に見出すか、それとも死者の名を呼ぶ行為へと転化するか。そこに決定的な分岐点がある。私にとって、思想は後者にしかない。それだけが、本作の「犯人」の「時効」を、真に無効化することができるはずなのだ。

中島一夫