22年目の告白――私が殺人犯です(入江悠)その1

「私が生きのびたのは、おそらく偶然によってであったろう。生きるべくして生きのびたと、私は思わない。」「生き残ったという複雑なよろこびには、どうしようもないうしろめたさが最後までつきまとう。」「生きている限り、生き残ったという実感はどのようにしてもつきまとう。」(石原吉郎「確認されない死のなかで」)

 この作品について書くのは気が進まない。だが無視もできない。自身が書いてきたことや、考えてきたことを逆撫でするような作品だからだ。作品はスルーできても、おそらくわれわれはこの「犯人」からは逃れられない。

 22年前の1995年に起こった連続殺人事件は、その殺害方法が奇妙だった。五人の殺害すべてにおいて、被害者とその殺害の目撃者(被害者にとって大切な人間が選ばれる)とを対面させたまま縛り付け、犯行後、目撃者はそのまま放置して立ち去るというものだ。目撃者は、大切な存在が目の前で殺されていく一部始終を「目撃」しながら、どうすることもできない。そして、冒頭の石原のように、「なぜ殺されたのは自分ではなかったのか」、「なぜ自分だけ生き残ったのか」という自らの生の「偶然性=確率性」に苛まれながら、その後の人生を送ることを余儀なくされるのだ。

 ネタバレになるが、本作の真犯人は、戦場ジャーナリストに憧れ戦場に赴いた際、イスラム原理主義勢力に大切な人を目の前で殺害され、なぜか自分だけは解放されるという過去をもっていた。それ以来、自らの生の偶然性=確率性に呪縛されてきたというのである。連続殺人は、したがって、彼の経験した理由なき選別、つまり享楽的としか思えない暴力の反復として行われたのだ。

 まるで、連続殺人は、外から持ち込まれたその偶然性=確率性という「思想」を、拡散、布教、浸透させるためになされたようなのだ。そして、一見真犯人と敵対するものの、その実犯人同様、生き残った偶然性に苦しみ、彼の「鏡像」となってしまう「曾根崎雅人」(藤原竜也)もまた、あのような「告白本」を書き、その「思想」を広めていく必然性をもっていたと見なせよう。

 もちろん、本来その告白本は、その時点では逮捕されていない真犯人をあぶり出すことを目的としていたが、実際の執筆者たる刑事(伊藤英明)も含めて、その三人(真犯人、曾根崎、刑事)は、「思想」を広める「共犯」関係を形成してしまう(だから三人は、四人目の「まがい物」を結託して排除せねばならない)。告白本は、ベストセラーとなって、「思想」の流通に寄与するだろう。たとえ真犯人が逮捕され殺害されたとしても、この「犯人」からは逃れられないゆえんだ。

 本作が興味深いのは、その「犯人」の起源を、明らかに1995年に見出していることだ。言うまでもなく、日本においてそれは、オウム事件阪神大震災を想起させる。社会学者なら「不可能性の時代」とでも言うのかもしれない。

 だがさらにさかのぼれば、本来それは、1930年代のマルクス主義の退潮や変質が指し示されるべきだろう。本作のイスラム原理主義は、むしろその「帰結」である。偶然性=確率性とは、思想的には、マルクス主義的な歴史の「必然」(史的唯物論)からの「解放=転向」によって、もたらされたものだからだ。

 日本の文脈で言えば、1930年代の思想や文学への「偶然性」の導入(シェストフ的不安、九鬼周造三木清、横光「純粋小説論」、偶然文学論争など)に始まり、90年代の東浩紀に至るまで、その歴史の「必然」からの「解放=転向」としての「偶然性」の導入は、何度となく反復的になされてきた(拙稿「可能世界の「起源」」(『述』4)参照)。

(続く)