PK(ラージクマール・ヒラニ)

 嘘と詩を知らない星からやってきた風変わりな男が、優しい嘘と詩を覚えて帰っていく――。

 前作『きっと、うまくいく』同様、いわゆるマレビト=物語である。どこからともなくやって来て周囲に影響をもたらし、共同体を変革して去っていく「マレビト」(折口信夫)。

 『きっと、うまくいく』の原題「3idiots」のidiotは、文字通り「バカ」というより、世間の常識を共有しないがゆえに、それを疑い、覆す力をもつ変革者だった。今作の「PK」もまた、PK=酔っぱらいと見まがうほどに常識が通じない存在だ(何せ宇宙人)。

 『きっと、うまくいく』では、徹底した競争によって互いに分断されている大学生たちを、分け隔てられた教室、部屋、トイレやシャワー室から飛び出させては、全員で歌い踊ることで彼らに連帯の力を思い出させていった。主人公「ランチョー」が唱える「きっと、うまくいく」という言葉は、相互不信と疑心暗鬼に苛まれ頑なになっている心を、いわば「麻痺」させることによって孤独から解放する「まじない」だった。

 今作は、周囲に「導師」とあだ名された前作のランチョーを、自身が(ランチョーもPKも、アーミル・カーンが演じている)呪術的な言葉もろとものり越えていくような話だ。

 今作については「前半が長い」という声が聞かれる。奪われてしまった宇宙船を呼ぶリモコンを取り返して「家」に帰ろうとするPKが、「神様に聞け」「神様のみぞ知る」という人々の言葉を、嘘を知らないがゆえにコンスタティヴに受け取り、「本気」になって神を探す姿が前半では描かれる。

 別々の神と宗教がバラバラの教えを言うので、それぞれの宗教が求める苦行を次々に実践し、だが一向に神にたどり着くことができない。嘘を知らないPKが、さまざまな宗教的実践を愚直に一通り試してみる、その経験(論)的な過程が描かれる、だから前半が「長い」のだ。その過程がなければ、後半、シヴァ神を崇めるヒンドゥー教の導師との論争というクライマックスにおいて、あれほどまでにPKの言葉が説得力をもつこともなかっただろう。

 前作も今作も、一見特権的な力に恵まれた者が、超越的なポジションから啓蒙的に人々の分断を解消させていく夢物語に見えるだろう。なるほど、PKは現行の神や宗教を、人々に不安や恐怖を植え付け「信仰」に縛りつけようとする「恐怖ビジネス」だと喝破し、人々に「魔術からの解放」(ウェーバー)をもたらす。導師との論争は、神を守ろうとする者と、神は死んだという者との、ある意味で近代における普遍的な論争だ(実際、ヒンドゥー教徒の多いインドでは、上映禁止運動も起きたようだ)。

 だがそれも、前半、PKが人々と一緒に実際に食べ物の施しを受け、その瞬間神を信じたことが重要なのだ。いや、正確には、彼は神を「信じた」のではない。嘘のない星から来たPKには、「信じる/信じない」という対立は存在しない。彼は、人々が口々に言っていた「神」が、存在することを経験的に「知った」のだ。

 だから、なかなか神にたどり着けない理由を、彼は「番号のかけ間違い」に見出すだろう。導師(代理人)が神にきちんと祈りを伝えていない、すなわち間違い電話をかけ続けているのだ、と。決して嘘を言っているのではなく。

 PKが教えずして、結果として教えているのは、嘘と信仰はともにこの「かけ間違い」によるということだ。「かけ間違い」が起こるのは、心(真実、神)と言葉(嘘、代理人)とが互いに離れているからにほかならない。人間にとって不可避的なこの言葉の構造そのものが、常に「かけ間違い」を引き起こし、人に嘘をつかせ、神にたどり着くことを拒んでいるのである。
 
 クライマックスの論争で、導師はPKに言う。「あなたは私の言葉を「かけ間違い」だと言う。では「正しい番号」を示せ」。PKは苦渋の決断を迫られる。なぜなら「正しい番号」を示すことは、自分が恋し始めているジャグーに、まだ彼女の心の中にいる、ベルギーで出会ったパキスタン人の恋人サルファラーズへと、文字通り「正しい番号」で電話をかけさせることになるからだ。論争の勝利が恋の敗北になるのである。

 父の強要に逆らって、導師を信じていなかったジャグーが、どうして結局は導師の教え通りにサルファラーズと別れてしまったのか。導師の予言「彼はお前を裏切るだろう」に、知らず知らず呪縛されたジャグーの心は、サルファラーズの心を信じ切れなかったのである。

 かくも人間は、横にいる他者を信じ切るには弱く、上にいる神への信仰へとたやすく身を委ねてしまう。「番号のかけ間違い」とは、この「心」の構造そのものだ。人間は、「信じる」ことを貫徹できない(=正しい番号にかける勇気がない)からこそ、むしろ「信仰」に走る(かけ間違いを続ける)のではないか。一度神を信じ、本気で探そうとしたことのあるPKだからこそ、そのジャグーの、人々の心の弱さが分かる。

 「正しい番号」は、神ではなく、人を信じることからしか得られない。そして、一人一人が「正しい番号」でかける勇気を持つならば、代理で誰かに代わって電話をかけてもらう必要もなくなる。その日が来るまで、増殖する複数のPKは、人々に「元気チャージ体操」を伝えようと、何度でも地球にやってくるかもしれない。

中島一夫