妥協せざる人々(和解せず)(ストローブ=ユイレ、1965年)

 久しぶりにストローブとユイレの初期作品を見る機会を得た。すっかり忘れていたが、彼らの作品にしては、ずいぶん動きもドラマもあっていささか驚いた。記録映像の挿入(スクリーンプロセス)などもある。

 原作は、ハインリヒ・ベル『九時半の玉突き』(1959年)。
 フェーメル家の祖父が設計した聖アントン修道院を、父のローベルトが爆破し、息子のヨーゼフが再建計画に参加するも途中で辞退する。この、祖父―父―息子の弁証法的な発展を途中で切断する関係性は、のちの『モーゼとアロン』などでより洗練された形で追究される、いわゆる「中間休止」の方法論を先取りしているともいえよう。

 今回、同時上映された『花婿、女優そしてヒモ』(1968年)の三幕仕立ての展開=切断にも、同様な構造が見られる(銃による暴力が、ある重要な場面で作品空間を切り裂く点も、両者は似ている)。

 だが、この『妥協せざる人々』においては、そうした弁証法の破壊が、まさに修道院の破壊という暴力によってなされていることが、とりわけ重要だろう。

 父ローベルトは、「わたしは和解しない」、「和解の精神とも和解していない」、「修道院を破壊したのは、盲目的な執念ではなく憎悪だった」、「なんの後悔もしていない」と述べる。息子のヨーゼフも、修道院を爆破したのが自分の父だということを知り、再建計画から撤退する際にこう述べる。「お父さんの爆破熱のおかげ」、「ダイナマイト万歳さ」。

 一見、親子二代にわたって、テロという暴力が肯定されているように見える。実際、原作のハインリヒ・ベルは、70年代に西ドイツにおいて過激派のテロが激化したときに、テロを容認するような発言を行い、テロリストの同調者と見なされていた作家であり、ローマ・カトリックの価値観を背景に、一貫して体制批判的な作品を書き続けた(ソルジェニーツィンソ連を追放されたとき、真っ先に避難したのがベルの家だった)。

 だが、そうではないだろう。この作品の副題は、ブレヒトの言葉「暴力が支配するところ、暴力のみが助けとなる」(『屠殺場の聖ヨハンナ』)がそのままとられている。また、プロローグにも、これまたブレヒトの「俳優は、役に乗って同化するのではなく、真実を引用しなければならない」という言葉が掲げられるのだ。

 ならば、それは、暴力といっても、あくまで「銀行を設立するのに比べれば、銀行強盗などかわいいものだ」と言ったブレヒト的な対抗暴力と捉えねばならない。いわばそれは、ベンヤミンゼネストに見出した「神的暴力」なのだ。

 むろん、まさにブレヒトベンヤミンを糸口に、もう一度暴力を思考しようとするジジェクが言うように、「ある暴力を神的暴力として認定するのを可能にする「客観的」な基準は存在しない」。そうした「大きな他者」は存在しない。「それを神的なものとして解釈し受け入れる、賭けともいうべき仕事は、完全に主体の仕事である」(『暴力』)。

 今作でストローブ=ユイレがやろうとしたのは、まさに上のような「主体の仕事」だろう。いまだ十分に「暴力」的でないハインリヒ・ベルの作品を、すべてのシーンやセリフを原作から引用しつつ(真実の引用!)、そのエッセンスをブレヒト的に読み替え、「神的なものとして解釈し受け入れる」「賭け」のような仕事を行ったのだ。

 それゆえにだろう、著作権者側からは、この映画化が小説にとってプラスにならないといって、映画の破棄を要請されたという。むろん、その後「和解」したからこそ、作品は日の目を見たわけだ。だが作品は、それがあくまで「妥協」のないそれだったことを告げている。

(中島一夫