新たなビッグブラザーについて


 TPP交渉において、開かれた「自由」貿易の名のもとに、知的財産権の閉ざされた「独占」が着々と進行している。

 グーグルやマイクロソフトの世界支配=「帝国」は、植民地主義的な暴力ではなく、情報のプラットフォームによる「独占レント」であり、したがって、「グローバル資本主義の極北に出現するのは、自由な個人のユートピアではなく、全世界の個人情報を「ビッグデータ」として管理する新たなビッグブラザーかもしれない」(池田信夫氏のブログより)。

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 確かに、ジョージ・オーウェルの『一九八四年』やそこに出てくる「ビッグブラザー」は、一般的にそう捉えられているように、ソ連社会主義スターリンをモデルにしたものではないとも言われる。

 『時計仕掛けのオレンジ』で有名な作家、アントニイ・バージェスは、オーウェルが描いたのは、「1984」年ならぬ「1948」年当時、第二次大戦直後のイギリスだと言う(『1985年』)。当時のロンドンの風物をちりばめながら、労働党が政権を取ったイギリスをコミカルに描いたのだと。

 『一九八四年』の三大国の一つオセアニアは、アメリカ、ラテンアメリカ、元英国連邦を含む「帝国」であり、それを統合するイデオロギー「イングソック」とは、英国社会主義(English Socialism)にほかならない。また、思想管理のための言語「ニュースピーク」は、エスペラントとともに、イギリスの心理学者オグデンらが1930年に発表したベイシック・イングリッシュの文法の単純化と規則化をベースにしている。

 詳しくは別稿に書きたいと思っているのだが、私はここに、フーコー『生政治の誕生』を重ね合わせてみたい誘惑にかられる。フーコーは、そこで、ネオリベラリズムの起源の一つを、ドイツ・オルド自由主義が登場した1948年に見出した。やがてこれが、アメリカに亡命したハイエクやミーゼスらがもたらした流れとともに、現在にまでつながる世界的に一つの大きな潮流を形成していくのである。すなわち、1984年ではなく、1948年にこそ、世界的なパラダイムチェンジが起こったのではないか。

 オーウェルは、19「48」年を19「84」年と逆さにすることで、これが喜劇化であることを示しつつ、1948年にすでに萌芽として感知されていたものをデフォルメして描いた。だから、バージェスが言うように、オーウェルは「未来を予告していたのでない」ものの、まさに「小説というものは感覚単位(センス・データ)で作られるものであって、観念で作られるのではない」ために、1948年イギリスの「感覚」を描くことで、期せずしてオーウェルは、1984年=未来をも包摂する「感覚」を、先取りするように描いてしまったのだといえよう。

 思うに、村上春樹の『1Q84』における、月が二つになるというパラダイムチェンジも、19「84」年ではなく19「48」年に起こったはずだ。その、別なる1Q「48」の世界を、いつのまにか網羅的に牛耳っているのは、一見「ビッグブラザー」に見えない、「リトル」(ピープル)で「マイクロ」(ソフト)な「情報=知識レント」である。

 ところで、このパラダイムチェンジは、表面的には新しく見えるものの、ロジックとしては、マルクス資本論』を一歩も出ていないのではないか。そこでは、商品形態に、従来の労働生産物や労働力、貨幣、土地などに続いて、新たな社会的対象=知識生産物が取り込まれたにすぎない。それにともなって、かつてのイギリス・エンクロージャーにも似た、新たな囲い込み=独占が起こっている。

 この問題については、上記『情況 6月別冊 思想理論編第2号』所収のロドリゴ・アルヘス・テシェーラ&トマス・ニールセン・ロッタの「近代のレント生み資本――新たな囲い込み・知識レント・独占的権利の金融化」(長原豊訳)が、刺激的で示唆に富む。あいかわらずシャープな沖公祐や松本潤一郎の論考とともに、大変参考になった。

中島一夫