2011 危うく夢見た一年(スラヴォイ・ジジェク)

2011 危うく夢見た一年

2011 危うく夢見た一年

 ウォール街占拠運動は、したがって、(混乱をもたらすことがしばしばある)さまざまなその言明の氾濫の背後に、以下の二つの基本的な洞察を隠し持っている。
 第一の洞察は、現代において人びとが抱えている不満はシステムとしての資本主義に向けられている。問題はシステムそのものであり、個別のその腐敗形態ではない。
 第二の洞察は、現代で複数政党制度に基づく代議制民主主義がとる形態では、資本主義的過剰に対処することができない。言い換えれば、民主主義は発案しなおさればならないということである。
 こうした洞察によってわれわれは、ウォール街での抗議で懸案された問題の核芯に、接近することができる。それは、民主主義を、経済生活の破滅的帰結に直面して為すべきを知らないことが明らかになった現行の政治形態を超えて、どのように拡張するか、という問題である。複数政党政治に基づく代議システムを超えて再発案された民主主義にはどんな名称が相応しいのか? 存在する。
 それはプロレタリアートの独裁である。(p183)


 「反資本主義」の顔をした資本主義を民主化しようとする政治や運動、あるいは「反資本主義」と言ってはいけないという民主主義的な政治や運動ばかりが横行する現在、「民主主義は敵である」と言い放つバディウや、「プロレタリアート独裁」を明言するジジェクは、きわめて批評的だし貴重だと思う。そんなことを言う人は、もうどこにもいないからだ。

中島一夫