ブルー・バレンタイン(デレク・シアンフランス)

 いつのまに二人はすれ違ってしまったのだろう。

 一組の夫婦が離婚にいたる一日を、二人が出会い、恋に落ち、問題を乗り越え、結婚へとたどり着いていった過去のプロセスとともに同時並行的に映し出していく。そして、結婚式と別れのシーンがラストに同時にやってくることで、作品を通して見てきた二人の関係に対するさまざまな思いをかきたてられるとともに、とても24時間の出来事とは思えない濃密な時間感覚がもたらされる。見事な構成だ。

 破滅の予兆は、冒頭の朝のシーンにあらわれる。幼い娘が飼い犬を探している。いくら呼んでも見当たらない。やがてディーンは、娘を抱きかかえると、そのまま妻シンディのベッドへ。ふざけ半分に起こそうとする父娘とは対照的に、彼女は「頼むから寝かせて」とつれなく不機嫌だ。目覚めとともに目に飛び込む娘に思わず微笑みかける――。そんな優しい朝の光景を期待した観客は、ここで冷水を浴びせかけられる。夫婦の終わりの予感と不穏な空気に満ちた幕開けだ。

 手早く朝食を済ませて、娘を学校に送りださなければ。妻はあせるが、遊び感覚で娘に苦手なレーズンを食べさせようという夫には、まったくあわてる様子が見えない。オートミールのレーズンをテーブルの上にばらまき、手を使わずについばむ。娘も真似をする。妻はその下品さとマイペースぶりにいらいらするばかりだ。夫は夫で、シートベルトそっちのけで娘を車に乗せ、猛スピードで飛ばしていく妻にがまんならない。

 もともと医者志望で、今は看護士として働く妻と、ペンキ職人らしく朝からビールを飲みながら遊ぶように仕事をする夫では、所詮釣り合わなかったということなのだろうか。それとも、娘がシンディの元彼の子だからか。

 もちろん無関係のはずはない。だが、この作品の卓抜さは、二人の関係が崩壊する原因や理由を、分かりやすくも、また決定的なものとしても提示しようとはしないところにある。

 作品を振り返って思い出してみても、いったい二人がどこでボタンをかけ違ったのか、はっきりとは分からない。結局は、はじめから何か根本的に「合わない」ところがあったということなのか。恋に燃えていた当初は、お互いにそれが見えなかったという、よくある恋愛のパターンなのだろうか。

 出会った頃の二人が、はしゃいで後ろ向きに競争していたように、ひょっとして二人は、愛を育てて前進していたはずが、気付かないまま別れに向かって後ろ向きに走っていただけのかもしれない。そうは思っても、最初から先行きを見据えて一緒になる二人などいないだから、結局彼らは一緒になっただろう。そんな思いから、いつしか二人が愛おしく見えてくる。

 とりわけ大きかったのは、シンディが、母に対する父の記憶もあって、男性が女性を怒鳴ることが完全にNGだったということだろう。だから、ディーンがシンディの職場まで押し掛けてきて、全員同僚を部屋から追い出して彼女に大声をあげてしまったとき、二人は「もうこれ以上は無理!」となる。ジ・エンド。

 「女々しい」と言われ逆上したディーンは、「じゃあ男らしいところを見せてやる!」と言って、机の上のものを次々とぶちまけ始める。ディーンの単純さは滑稽きわまりないが、おそらくこのとき彼は、完全に自制心を失いながらも、彼女に手を出すことだけは必死に回避しようとして物に当たったのだ。現にこの後彼は、彼女にぶたれるままになっており、彼が唯一暴力をふるったのは、出世を餌に妻を誘惑しようとした上司に対してだけだった。そういえば、彼は、かつてシンディの元彼に襲われたときもなぐられるままになっていたような男だ。

 だが、ひょっとするとシンディは、このとき夫に手を挙げさせようとしたのかもしれない。ディーンもそれが分かっているからこそ、さかんに「なぐるもんか!」と言っていたのかもしれない。もちろん、それは「そうすれば離婚の正当な理由ができる」というような合理的なものではない。もっと無意識のレベルで、だ。

 成績も優秀で医者に向けて将来有望だったシンディは、おそらく元彼との子を出産したことが原因で、看護士にキャリアダウンせざるを得なかった。彼女に一目ぼれしたディーンは、その子も含めてまるごと自分を受け止めてくれた。にもかかわらず、そのディーンを「通して」、どうしてもふがいない自分の過去を思い出してしまう。だからこそ「家族を守っていきたい」というディーンに、「もっと大きな夢はないの?」とか「あなたには、いろいろなことができる能力があるのに」と、自分を投影したことを求めてしまうのだ。

 二人の恋が絶頂だったあのとき――ディーンがウクレレでミルス・ブラザースを歌い、それに合わせてシンディがタップを踊るシーン(はにかみながらタップを踏む、シンディ=ミシェル・ウィリアムスが最高にキュートだ)――がいやがうえにも思いだされる。それにしても、いったい二人は、いつのまにすれ違ってしまったのだろう。

 おそらくこの映画を見終わった観客は、思わず「男って」「女って」と恋愛論を語り出したくなる誘惑に勝てないだろう。二人の関係や感情が丹念に描かれているからこそ、その向こうに普遍的なものが見える。何ら劇的なことが起こるわけではない。だから、「子供」にはつまらないだろうし、見ない方がよい。

中島一夫