一瞬の夢/プラットホーム(ジャ・ジャンクー)

 見逃していたジャ・ジャンクーの初期二作品を見ることができた。

 両作とも、ジャ・ジャンクー自身の出身地、山西省は汾陽(フェンヤン)が舞台である。また、文革後の改革解放政策の波が、この内陸部の地方都市にも押し寄せるなか、若者がどう変わっていくかを映し出している点でも共通している。

 『一瞬の夢』は、スリで日銭をかせぎながら、やるせない毎日を送る青年「小武・シャオウー」(ワン・ホンウェイ)が、やがてカラオケバーで働く「メイメイ」と知り合い、彼女との関係の中に「一瞬の夢」を見るという物語だ。

 国家からの配給制で成り立っていた、いわゆる「単位社会」や「人民公社」の集団社会が、改革解放によって徐々に個々人へとばらけていく。そして、それは、作品が示すように、テレビやポケベルなど、さまざまなメディアの浸透によって人間関係が変容していくさまと平行しているだろう。

 かつて仲間だった「ヨン」は、今や実業家として地元の名士となっている。やがて行われる彼の結婚式の話題は、地元テレビで取り上げられるほど有名な話題だが、テレビとは縁のない生活を送る小武はそれを知らない。ヨンもまた、スリから足を洗っていない小武には、知らせなかったのだ。

 それを知った小武は、痛切に疎外感を抱きながらも、ヨンに会いに行き、赤い紙で包装したご祝儀を「直接」渡しに行く。テレビというメディアに媒介されたこれからの人間関係に、早々と乗じているヨンと、それになじめずかやの外にはじかれてしまう小武という、二人の対照が浮き彫りとなる。

 小武は、カラオケバーで懇意となったメイメイが病気になっても、「直接」会いに行くというストーカーまがいの行為に出てしまう。そんな関係の取り方しか、彼にはできないのだ。そもそも、彼は、街頭テレビでカラオケの練習をする人々の輪にもなじめないために、カラオケバーでメイメイを指名しても満足にデュエットも歌えない。別にカラオケをするためにここに通いつめているわけではないという、全くもって困った客なのだ。

 突然の訪問にメイメイは、表面的には喜びながらも、小武に「私の方から鳴らすから」とポケベルを渡す。「媒介=メディア」による距離を取ろうとしたのだ。ここには、やがてケイタイへと進化していくコミュニケーションメディアが、一見お互いに近づくためのツールに見えながらも、その実相互に切断し合い、相手を遠ざけるためのものであることが痛烈に皮肉られているだろう。もちろん、何も分からず喜んだ小武が、その後、始終ポケベルを気にする依存体質になっていくことは言うまでもない。

 スリの最中に、そのポケベルが鳴ってしまい、最後小武は逮捕されてしまう。ちょうど、「厳打」という犯罪追放強化キャンペーン中で、彼は街角に手錠でつながれ、人だかりの中でさらし者になっていく。その後の『長江哀歌』で、瓦礫に埋もれてしまった友達の着メロが、その瓦礫の中から切なげに聞こえる場面が先取りされているようなシーンだ。ジャ・ジャンクーにおいては、ポケベルやケイタイから流れる歌は、「死」のメロディーにほかならない。


 続く『プラットホーム』は、毛沢東共産党を称え、その価値を啓蒙する歌劇を巡業していく、「文工団(文化劇団)」に属する男女の群像劇だ。1979年〜91年までの時代だから、改革開放が浸透し、その後第二次天安門事件になだれ込んでいくなかで、「走資派」訒小平の経済近代化路線が勝利、定着していくあたりの物語である。まさに、彼らは、その後中国という「列車」が、資本主義による近代化の道へとひた走っていく、その途上の「プラットホーム」で、今まさに「列車」が来るのを待っている若者たちなのだ。

 そうした時代の流れを示すように、作品の前半では盛んに現れていた毛沢東スターリンの肖像が、後半はほとんど見られなくなる。彼らが、家を囲む壁に、防犯のためガラスの破片を埋め込んでいくシーンがあるが、それも「家」が集団ではなく個人の所有になったことを示していよう。

 やがて劇団が「請負」になり、それを期に分裂、その後残党は、ブレークダンスを取り入れたダンスパフォーマンスを行なったり、エレキギターやリズムボックスを駆使したライヴパフォーマンスを披露したりしていく。時代や風俗が変化するとともに、今まであり得なかった、劇場の支配人や観客のニーズに応えなければ巡業自体が成立しないという事態に、彼らは直面していくのである(たむろしていただけの男をそこの支配人と間違え、ダンスを披露してしまった双子のダンサーたちが、むなしさを覚えて立ち尽くすシーンが印象的だ)。

 生まれて初めてパーマをかけたという女性劇団員が、赤い衣装に身をまとい、また赤いバラを口にくわえながら、毛沢東の肖像の前でフラメンコを踊ってみせるシーンが素晴らしい。中国共産党紅衛兵の「赤」は、いつのまにかパーマやフラメンコの「赤」に軽やかに塗りかえられてしまっているのだ。

 この「軽やかさ」は、彼らに「二重の自由」をもたらす。すなわち党からの「自由」と、もはや共同性や場を保持できない「自由」と。演劇とは、まずもって、(たとえそれが「党」の「磁場」だろうと)「場」を形成するコミュニケーションメディアにほかならないからだ。

 したがって、『一瞬の夢』と『プラットホーム』は、ともに中国の改革解放を背景にした、「共同性=場」と「コミュニケーションメディア」の映画として見ることができる。彼らのダンスの軽やかさは、その後、この監督を故郷の「汾陽」から飛び出させ、都市の「大同」に舞台を移して、あの傑作『青の稲妻』を撮るに至らせるだろう。

 それにしても、『プラットホーム』のラストシーンは、あまりにも唐突で謎めいて見える。そこでは、別れ別れになってしまったはずの劇団の男女が同じ画面に映り込み、女が鍋に火をかけながら赤ん坊をあやしている傍らで、男が眠りこけているのだ。それは、『一瞬の夢』同様冴えない主人公を演じ、汾陽時代のジャ・ジャンクー自身の投影かと思わせるワン・ホンウェイが、眠っている間に見た「一瞬の夢」のように見えた。彼が目覚めることは、最後までなかった。

中島一夫